免疫逃避は自然的なものなのか?

AKIRAです。
本日は、いつもより専門的な話になりそうです。


コロナウイルスを特別視する意味があるのか?

こう言っては何ですが、新型コロナウイルスも数あるウイルスのたどる変遷と変わりありません。
「ウイルスの毒性は弱まっていない」だとか「感染性はむしろ増している」だとかそんなことをのたまう専門家もいるらしいですが。

どんなウイルスも、勢力を拡大させるようなウイルス種はその感染力を獲得するために毒性を犠牲にするのは当たり前の話です。
もちろん、新型コロナウイルスも例にもれません。

大前提を無視した考察は、目を曇らせる原因になるだけです。
そのことを本記事で記述したいと思います。

根拠その1:コロナウイルスの変異不連続性

宮沢孝幸氏の上の論文。
こちらにもある通り、各ウイルスの変異には一種の不連続性が見られます。
これが示すのは、少なくともこれらの変異が自然のものと考えるには少々無理がある、ということです。

それも、オミクロン時点でこの変異の違和感が始まっていたのならまだコロナウイルス株も自然選択の仕業である可能性を捨てきれなかったと思うのですが、その割には新型コロナウイルスと呼ばれる株の初期のころからその変異に不連続性が確認されている、ということです。

仮に、ウイルスの変異自体にケチをつけるのであれば、わざわざ自然選択の変異による影響をその毒性と関連付けて考えるのは、考察の前提から的外れであると考えるべきでしょう。

なぜならば、これらの変異は自然選択に依存すると考えるよりは、独立した変異が意図的に作製されていると考えるほうが逆に自然だからです。

根拠その2:ワクチンの影響

残念ながら、新型コロナウイルスのワクチン接種は、かなり早い段階から始まっていました。
それこそ、武漢株の出現からすでにワクチンの導入は検討されていたためです。

つまり、人類は「今となってはワクチンが存在しなかった場合でのウイルスの変異の変遷を誰も見ることができない」のです。ということは、「ウイルス変異が自然選択によるものであると結論付けるためには、まず真っ先にワクチンの影響を排除した状態を想定しなければならない」のです。

思い出していただきたいのですが、α株からの変異の出現時期は、ワクチンの登場よりも後の話なのです。

根拠その3:理論的には免疫逃避は標的となる変異が狭いほど起こりやすい

当たり前の話ですが、特異抗体は一種類ではなく、抗原の中和に寄与する抗体はウイルス個体のスパイク、エンベロープ、核酸タンパクなど様々な標的を選択します。

しかし、modRNAワクチンはスパイクの特定の部位をコードするmRNAを選択しています。つまり、限定した抗原種を大量に発現することで抗原提示を図ったコンセプトです。
しかし、それでは中和できる抗原情報が少ない状態ですべてのIgGの組み換えを行ってしまうので、免疫情報を逃避されるのは自明です

これで有効な中和抗体を誘導しようという方が無理な話です。

ワクチン戦略は失敗に終わった

もう何度も繰り返した表現ですが、ワクチン戦略は失敗です。
modRNAワクチンを使用し続ける以上、感染の波は止まりませんよ。

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