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無いものの存在

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2019年11月28日に右足を切断したことで体験した幻肢痛をきっかけに身体のこと、アートのことを綴る日記「無いものの存在」です。
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2020年2月の記事一覧

[無いものの存在]_19:存在の空白

[無いものの存在]_19:存在の空白

最近ふと、「あ〜、右足無いな〜」と思うことがある。
正確に言えば、以前よりも歩けるようになったぶん、義足を外した時のギャップで、足が無いことを考えるのだろう。

今更か!と思われるかもしれない。
自分でもちょっとそう思う。

人工関節でも義足でも運動性能の違いはあるが、切断前から18年間“障害者”をやってきたし、今もそれは変わらない。変わったことはシンプルに、人工関節を覆っていた生身の外装が無くな

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[無いものの存在]_18:幻肢 on 義足

[無いものの存在]_18:幻肢 on 義足

最近すっかり義足のことばかり気になってしまっていたけど、実は義足での歩行時にも幻肢がよく現れていた。今感じる幻肢はどの様なものかというと「幻肢痛の当事者研究」で書いた漠然型に近い。

幻肢を感じる一方で幻肢痛はというと、年末に退院して日常生活に戻るにつれて痛みは少なくなった。リリカも年が明ける前には飲まなくなっており、今では痛みは無くなっている。看護師から幻肢は時間が経つにつれて短くなることが多い

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[無いものの存在]_17:存在の背景

[無いものの存在]_17:存在の背景

以前、義足のリハビリを行う際に義足の歴史や制度、技術的な情報を得ることも大切なのではないかと書いた。
それは例えばアートで言えば作品を深く理解しようとすることである。職業柄、展覧会で展示された作品を鑑賞するだけではなく、アーティストのスタジオを訪問し、制作環境そのものを見ることで多くの気づきを得たりする。

リハビリ施設を退所して翌日、仕事の一環で建築家の佐藤研吾を訪ねに福島県大玉村へ行ってきた。

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