[無いものの存在]_17:存在の背景
以前、義足のリハビリを行う際に義足の歴史や制度、技術的な情報を得ることも大切なのではないかと書いた。
それは例えばアートで言えば作品を深く理解しようとすることである。職業柄、展覧会で展示された作品を鑑賞するだけではなく、アーティストのスタジオを訪問し、制作環境そのものを見ることで多くの気づきを得たりする。
リハビリ施設を退所して翌日、仕事の一環で建築家の佐藤研吾を訪ねに福島県大玉村へ行ってきた。
早速ハードなリハビリ実践編となる一泊二日の旅行だった。
大玉村までは東京から車で3時間程度ではあるが、初めての高速と長距離ドライブに手に汗を握ることに。
免許は10年前に取得していたものの都内の移動ならほぼ公共交通機関でどうにかなっていた。それと僕の場合は右足の障害なので、「左アクセルのオートマ車限定」という条件付きの免許である。切断後は障害者手帳の等級が少し変わったが基本的に車はこれまで同様に左アクセル車ではないといけない。
切断後のリハビリに通うことや、仕事の移動を考えて手術前に車を買っておいたので、年末の退院後に義足の前に車の運転のリハビリ期間があった。自宅から車で30分ほどのリハビリ施設まで運転してみながら徐々に勘を取り戻し、義足も乗れるようになったところでいきなりの高速。義足も車も自転車も新しい乗り物づくめである。
大玉村では佐藤さんの活動拠点で藍染をしたり、畑を見学したり、夜は村の方々との交流会など目白押し。
僕と佐藤さんらが共同ディレクターを務める「喫茶野ざらし」の内装でも使われいる鋳造の装飾品や藍染がどんな環境で作られているのか、その空気感を体験してきた。村の前に広がる安達太良山のシルエット、家を囲む木々の重なり、冬でも暖かく感じれる陽の光、この空間の開けた雰囲気が佐藤さんの作品の背景にはひっそりと、しっかりと佇んでいるのだなと身体で感じた。
鋳造のための釜。「喫茶野ざらし」の取っ手の荒々しさがある。
鋳造で作られた小さな工作物は玄関にディスプレイされている。
初日の夜は比内地鶏が丸々一羽。
この後キッチンではさみできれいに解体されて僕らのお腹の中に入っていった。その他食卓に並ぶのも村で取れた様々な野菜やお米。
ローカルな義足のあり方
先日、リハビリ中に施設の外を歩いている時、PTの人と悪天候時の歩行の話になった。
もし積雪があったら義足じゃ歩けないだろうな...と話していると、北海道からリハビリに来た人もいると教えてくれた。その時、それまで自分が想像しているシチュエーションに、「雪の積もった北海道」は無かったことに、ハッとした。義足ユーザーのそれぞれのリアリティは、その人が足を踏みしめるその地面にしか無い。ラッパーが地元/Hoodをレペゼンするように、自分自身の身体がそこに存在していることのリアリティ。どんな道を歩いてきたかのリアリティがきっとローカルな義足のあり方をつくっていくのだろう。
大玉村では土、石、坂道など色々な路面状況を体験することになった。多少の険しさはあるものの歩けないことはほとんどなく、膝折れで転ぶことも一度も無かった。
でも、僕がここで生活をしていたら今の義足のパーツを選んだだろうか。自転車に乗ることを考えただろうか。「幻肢をコントロール」とか「義足に乗る」といった発想があっただろうか。
同じように義足を使う側だけじゃなく、義足を開発するドイツのメーカーや、東京の医療関係者が大玉村のことまで考えることはできるのか。
もちろん、できることが正しいわけではない。障害の有無に関わらず、全ての人にそれぞれのリアリティがある。そのリアリティは多くの場合、目に見える自分の周りのリアリティに囲まれてしまってはいないだろうか。
僕は12歳からいわゆる「障害者」となり、社会の中で過ごしてきた。一般の中高に通う中では「障害者」、車椅子バスケの中にいると「比較的動ける障害者」となる。そのグラデーションは置かれた環境やその状況の目的によっていくらでも濃淡が変わっていく現実の中を漂ってきた。
そんな自分自身を肯定するひとつのキーワードが「フラジャイル」な身のこなしを得ることだったように思う。自身を固定せず、柔軟に身体や思考を更新し続ける態度の習得。それはメルロ=ポンティの現象学や宮沢賢治の詩に惹かれるきっかけでもあろう。
同時にフラジャイルであるという当事者性は特に理論の上では強者に成り得てしまうことを強く懸念した。「障害者」というタグが社会の中で当事者自身に対して働く暴力性、つまり「障害者」と「健常者」が区別されることで、「障害者」である自分自身が「障害者」という限定されたカテゴリーの中で自分自身を理解しなくてはいけないという不毛な圧力を感じさえした。「自分のことは自分が一番知らないといけない」というプレッシャーは、一歩間違えると「リアルなのは自分だけ」という理論となり他者を排除しかねない。
だからできるだけ「障害者」というカテゴリーの外部に身を置くことで、その圧力を相対化しようとした。できるだけ飄々とすることを務めていた。
HIOPHOPでも聞いていて面白く無いのはこのリアルを履き違えているタイプだ。「負」を転じてエネルギーにすることは技術がいる。「負」であること自体をアイデンティティにすると急に強力になるようでいて、それは文化的にはドーピングだと思う。
自分のリアルがある場所を知ることや、その体験を大切にすることは重要だと思うが、そのリアルに固執せず、色々なところに身を置くことが、少なくとも自分にとっては非常に必要な「生きる技術」である。
リハビリ室から大玉村はとても心地よい距離感だったのかもしれない。
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