【72候小説】紅花栄ーべにばなさかうー後編
日本の暦「72候」とみんなのフォトギャラリーをイメージの起点にした小説です。
詳しくはこちらをご覧いただけると幸いです。
そして、紅花栄の前編はこちらからお願いいたします。
それから、週に一度くらい彼女の家に遊びに行った。
彼女は大体いつでも家にいて、外から呼ぶと窓から顔を出した。
二度ほど具合が悪くて寝込んでいるときは、彼女のお母さんが玄関から出てきて申し訳なさそうに今日は遊べないと言われたことがあった。
その二回以外も、彼女は部屋から出てくることはなかった。どうも、彼女のおばあさんがひどく心配しているから出られないと言っていた。でも、幼い僕から見ても彼女は外で遊びまわれるようには見えなかった。
「じゃあ、先に的に入れたほうが勝ちね!」
お互い工夫した紙飛行機を作って、彼女は僕が地面にろうせきで書いた輪に、僕は彼女のいる窓に入れることにして、遊んだ。
折り紙や大きい新聞紙を使ってあれこれ折ったけれど二人とも的に入れることが出来なかった。途中彼女のお母さんが、休憩のおやつを、と家の中に招いてくれたけれどなんとなく入れなかった。恥ずかしかったのかもしれないし、家の中から流れてくるひんやりとした空気が怖かったのかもしれない。
夏休みになって家に行くと、ちょうどおばさんが出てきたところだった。
父方の田舎に避暑にいくという。
「あの子の体調のためにも、涼しいところで過ごそうってなってね。いいお医者さんもいるから」
今日はその準備で忙しいらしい。
「明日から八月の終わりぐらいまで向こうで過ごすから、帰ってきたらまた遊んでやってね」
僕はおばさんのお辞儀をして、そこを後にした。
その後、八月の終わりはため込んだ宿題にてんてこ舞いで誰かと遊ぶ余裕もなく、そのまま学校が始まった。
学校が始まっても彼女の姿はなく、ほとんどのクラスメイトは彼女と合ったことすらないのだ。なんだか、急に不安になった。まるで、彼女がいなくなってしまったかのようだった。いや、最初からいなかったような気すらした。
学校の帰りにランドセルを背負ったまま走って彼女の家に言ったけれど、彼女の家は真っ暗で人の気配がなかった。ただ、表札はそのままだったし引っ越したわけではないようだった。
しばらく心配で仕方なかったけれど、じわじわと彼女の存在は薄れて行って、十一月になっていた。その頃には僕は彼女の家にしばらく行っていなかった。
「ほら、れいちゃん送っていくんだから、あんたも支度しなさい」
「はーい」
従弟のれいが五歳になるので、家で着物を着こんでいるが神社まで遠いのでうちの車で送ってあげることになっているのだ。
母の運転する車に乗り込み、従弟家族が乗り込むのを待ってそのまま神社に向かった。5歳の従弟は汚すなと厳命されていたのか、がちがちに固まって座っていて話しかけても何故かささやき声で返事が返ってきた。普段はよく遊ぶ元気な従弟のイメージしかないので、僕まで緊張してきて後部座席で二人で口を閉ざしてじっと座っていた。
「ほら、ついたわよ。降りるときは袴のすそ、気を付けるのよ」
ひどく真面目な顔をして車を降りる従弟のあとをついて車を降りた。
神社に着くと、何組かの家族と着飾った子供たちがいて、普段着の僕が少し場違いな気がした。
「ねぇ、どうして僕もあれ来てないの?」
「今日は七五三だからよ」
「僕七歳だよ」
「七歳を祝うのは女の子よ。あんたも二年前これやったのよ」
「そうなの?」
「家に帰ったら写真見せてあげるは。もう、ふんだんに写真撮ったんだから」
母はにっこりと僕を見て笑った。今日もカメラを持っていたが、主に従弟を撮る予定らしい。従弟はちゃんとしたカメラを見るのも初めてだったようで、より顔を固くしているような気がした。
僕は暇になって神社の中をぶらぶら歩いて、木や草の中に虫がいないかとうろついていたがふと、見たことのある車が入ってきたことに気がついた。
彼女の家の前に何度か止まっていた車だ。
「一人で降りられる?」
「大丈夫」
おばさんが下りてきて、そこから着物を着た女の子が出てきた。
彼女だ。
「ちゃんとつけてるね? おちてない?
「大丈夫だよ、おばあちゃん」
車から降りて顔を上げた彼女は、見たことのない女の子だった。
唇に赤い紅をひいて、目じりにもわずかに赤い色をいれているようだった。
目が合った瞬間に、彼女があっと声を上げ、おばさんの方も、彼女の反応で僕に気づきあら、と声を出した。彼女に何か言い、彼女は少し戸惑った様子を見せているけれど、少しして僕の方に歩いてきた。
「久しぶりだね」
「あ、うん。帰ってきてたんだね」
「うん、向こうで少しゆっくりしてたから」
「九月もまだかえってなかったよね」
「うん」
僕は、彼女の赤い口と眦から目が離せなかった。
「あ、変だよね。気持ち悪いよね。私も好きじゃないんだけど、おばあちゃんがね、赤は悪いものを寄せないからって、外に出るときはずっとつけてろって言うの。お洋服も顔も汚れちゃうから好きじゃないんだけど」
ちっとも変じゃない。
とってもきれいだと思った。
今まで友達と思っていた子は、女の子だったんだと、思い知った瞬間だった。
結局僕はその日うまく彼女に話が出来なくて、ただ首を縦に振るか横に振るかしかできなかったが、彼女はそれを変に思わず笑ってくれた。
そのあと、二回だけ彼女の家に遊びに行った。その時は窓越しで、彼女の口元は見えなかった。
「神社で話してた女の子、引っ越すみたいよ」
そう教えてくれたのは、母だった。
「自分で言うって言って、まだ行ってないみたいだからって、わざわざお母さんがお電話で教えてくれたの」
僕は引っ越す、というのがよく分からなかった。
「遠くに家族で移るんだって。お父さんの方の実家に居た時に体調が落ち着いていたのと、そちらの病院の治療もあったからそう決めたみたい。会ってきたら?」
「うん」
クリスマス近い、冷え込む日で、僕は白い息を吐きながら彼女の家に走って行った。
いつも通り彼女を呼ぶと、彼女は少しして窓を開けて顔を見せてくれた。窓から辛うじて見える彼女の目元は赤く、泣いていたようだった。
「引っ越すってほんと?」
「うん、ほんと」
「いつ?」
「明日」
「え?」
心の準備も何もできていない。僕はぽかんと彼女を見上げて言葉を失ってしまった。
「とっても遠いからもう会えないと思う。言えなくてごめんね」
彼女の声は、いつも通りか細かったけれど今日はさらに震えているようだった。
「明日何時に行くの?」
「朝早くに行くみたい。七時には出るって」
明日は土曜日だ。見送りに来れるかもしれない。でも、僕がそれを言う前に彼女は、来ないでね、と言った。
「淋しくなっちゃうから。今日いつもみたいに遊んでくれる?」
「いいよ、何する?」
それから彼女とは久しぶりに紙飛行機をして、しりとりをして、糸電話で遊んだ。
途中で、おばさんが僕にオレンジジュースを出してくれた。
「はじめて出来た友達だったのよ。いつも遊びに来てくれてありがとね」
僕は黙ったまま首を振って、出されたオレンジジュースを飲んでいた。
翌朝、暗いうちに目が覚めた。
彼女たちももう起きているに違いない。デジタル時計を睨みつけたまま布団の中で過ごしたけれど、六時半に我慢できなくなって服を着こんで家を飛び出していた。
見送ってほしくないと言われたので、遠くから見送るつもりだった。だが、彼女の家のある路地に近寄ると、すでに出発するところで、まさに車に乗り込むところだった。
僕は立ち止まって見つめていると、彼女は僕に気づき驚いた顔をした。その顔には赤い口紅が引かれていた。
きれいだよとか、もっと遊びたかったとか、いろんなことは思っていたけれど、僕は何も言えなかった。
彼女も何も言わぬまま車に乗り、後部座席から僕をじっと見つめていた。
おばさんは僕に軽く頭を下げて車に乗り込み、家族全員が乗り込んだところで車は走り出した。僕はただ、彼女を見つめて、車が見えなくなるまで見送っていた。
それから、彼女がどこで何をしているのかも知らない。
大人になってから、初めてそれが僕にとっての淡い初恋だったんだと気がついた。
いつの間にか、公園で化粧直しをしていた女性はすでに姿を消していた。
彼女は元気になって大人になれたのだろうか。
公園には低学年のこどもたちが駆け回って遊んでいる。きっと、彼らにも忘れられない出来事がこれからたくさんあるに違いない。
僕は公園をあとにして、また足の向くままにふらふらと探索するのだった。
いかがだったでしょうか。少しでも何か感じていただけたなら幸いです。
(数分日付を超えてしまい、すみません!)
他の72候小説に興味を持っていただけたなら、こちらからよろしくお願いいたします!
【追記】
次回、5月31日麦秋至ですが、ちょっとプライベートの都合により6月1日の夕方以降に公開致します。
大変申し訳ございません!
どうぞまた暁のnoteに遊びに来てくださると幸いです。
よろしくお願いします。
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