見出し画像

【72候小説】5月21日蚕起食桑ーかいこおきてくわをはむー①


 雨が降っている。おかげで僕の髪も少しふわふわとしている。
 この街に引っ越してきて一ヶ月。久しぶりの雨だと思えば、かれこれ三日ほど降り続いている。五月雨や、なんて俳句もあったけれど、今年はとにかく雨が多くなるらしい。あまり嬉しくはない。
 今日なんて、雨が降っているのに目がかゆい。花粉症だ。
 この街の眼科はまだ場所が分からない。薬ももうないから、見つけないといけない。けれど我慢できないほどかゆくはないので晴れた日にすることにする。
 せっかく休みの日にこの街を探索しようと思っていたのだが、今日は雨脚も強いので気になっていた近所の和菓子屋に行って、イチゴ大福だけ買って帰ることにした。
 少しだけ大回りして、雨の中散歩をしていると急に後ろから声をかけられた。
「あなた、美味しそうなものを持っているわね」
 驚いて振り向くと、そこにはほっそりした女の子がいた。中学か高校生ぐらいだろうか。切りそろえられた前髪は目にかかっていて、表情がよく分からない。細くてまっすぐな髪を腰まで伸ばしている。この雨の中まっすぐうねりもしないなんて羨ましい。
 しかし、その髪は緑がかって見える。
「美味しそうなもの?」
「それ、鞄の中」
 少し前に買ったばかりのイチゴ大福が入っている。だが、鞄の中だ。どうしてわかったのだろう。
「今買ったばかりなんだ」
「それ、分けてくれたりしない?」
 幼子のように首をかしげて、こちらを上目づかいで見つめてくる。顔が動いたことで前髪が割れて、その下から赤い目がのぞいた。
 アルビノかとも思えるぐらい肌は白いが、髪は緑ががかっている。どことなく神秘的な雰囲気が漂っているが、服装は細身のジーンズにオーバーサイズのリネンのシャツと、ごく普通な格好をしている。
「私の鞄を持っている家の者を撒いてきたの。だって、あの人たちったら私に生サラダばかり食べさせるんだもの。それも、葉ものばかり。それが必要なのはもう身にしみてわかっているけれど、たまには他の物を食べたいもの」
 僕が何も言わずにいると、女の子はぺらぺらと自分の事情を話し出す。距離感が近いような気がするのに、それが押しつけがましく感じられないのは不思議だ。
 僕は彼女の話を聞きながら、その特徴的な容姿に驚いたことを隠すのに必死だった。
 こういう特徴的なところで驚くのは失礼だと、幼ない頃から両親に散々教え込まれた。世の中には変わったことなどたくさんある。姿形だけでなく、あらゆることがそれぞれで違うことが当たり前なんだと。
「ねぇ、お兄さん。初対面で何言ってるんだって思っているなら、本当に申し訳ないんだけど、分けてくれないかしら。私お腹がすきすぎて、眩暈がしそうなぐらいなんだけど」
「良いけど、どう分ければいいんだろう。イチゴ大福なんだ。パックに3つそのまま入っているから、そのまま手で持っていく? ティッシュにくるもうか」
 だが、天気は雨で、彼女は鞄も持っていない。ティッシュごと濡れてしまうだろう。
「そうね、そこ少し行ったところに知り合いの家があるわ。可愛らしい小さな一軒家で、庭は軽自動車が止まっていて一杯なのに、縁側があるの。車用に屋根もせり出しているから、そこに座らせてもらいましょう」
 にこにこと彼女は機嫌が良さそうに歩き出す。スキップでもしだしそうな勢いである。
「ちゃんとお礼も考えているから、安心してね」
 くるっと振り向いてそう言うと、また歩き出してしまった。
 まだこの街に越してきて知り合いもいないので、顔見知りぐらいには知り合いが出来るかもしれない。多少変わった子であることは否定しないが、ここで放っておくのもいささか心配だし、大人しくついて行くことにした。

 彼女の知り合いの家は十メートルぐらい行ったところにあった。二階建てだが、敷地からして妙に細長い。これなら、広めのアパートのほうが住み心地がいいかもしれない。何せ、一階は軽自動車と、玄関ぐらいしかないのではと思えるほどこじんまりとしている。
 その代わり、とてもおしゃれな色使いの家だった。赤い屋根はすごくとんがっていて、底にある窓は木枠の丸い窓だ。壁は漆喰のような趣のある白い壁をしている。
「すみませーん。ちょっと縁側で休んでもいいですかぁ」
 名乗りもせずに彼女はすでに傘をたたんで、縁側から家をのぞいて大声を上げている。
 家の中になにやら物音がしてから、少し待つと、カーテンが開いて中から40ぐらいのふっくらした女性が顔を出した。
「あらあら、これはまぁまぁ。そういう時期ですね。良いですよもちろん」
「ありがとうございます」
「家の人はどうしたんですか」
「そのうち来ると思う」
 彼女はいたずらっ子のようにペロっと舌を出して笑って見せてから、縁側に腰を下ろすと隣を叩いた。座れ、ということだろう。
「あの、ぼくもお邪魔しても?」
「もちろんですよ、どうぞ。何かお出ししましょうか?」
「今は大丈夫。毎年ありがとう」
 彼女はそう言うと、座った僕にすぐに手を突き出して、早くくれと催促する。
 傘を畳んで濡れた手を拭いていたのだけれど、あきらめて濡れた手はそのままでイチゴ大福のパックを取り出した。
「おいしそうね、遠慮なく!」
 顔中をキラキラさせながら、彼女は大きく一口かじった。そして、嬉しそうに断面から見えるいちごを眺め、そのままの顔で僕ににっこりとした。そして、三口で大福を食べきってしまった。
「とっても美味しいわね!」
「よければあと一つ食べる?」
「いいの?」
「いいよ。僕は一つ食べられればいいから」
 こんなにおいしそうに気持ちよく食べる姿は、見ている方も気持ちがいい。思わずもう一つ譲ってしまった。
「ありがとう! しっかりお礼するからね!」
 そう言うなり、彼女は迷わず大福を手に取り、白い粉が散るのも気にせずやはりぺろりと平らげてしまった。
「これは、来年も食べに行かないと。あそこの和菓子屋さんだよね?」
「そうだよ、そこから二つ目の角の所の。まだもうしばらくイチゴ大福売ってるって言ってたよ」
「でも、今年はもうあんまり時間がないと思うのよね。いや、でもどうせたくさん食べるし、お願いしてみようかな」
 彼女は食べ足りなそうに、残り一つになったイチゴ大福を見つめていたけれど、さすがにそこまで手は出さずに目を逸らすとにっこりと微笑んで、本当にありがとうとお礼を言ってくれた。
「小腹は満たされた?」
「全然足りないけれど、でも大丈夫よありがとう」
 そこにお茶を持って家主の女性がやってきた。
「あら、急いで煎れてきましたけど」
 匂いからして緑茶だろう。だが、彼女はすでに食べ終えている。
「じゃあ、お店の方で何かいただいても良いですか? そのお茶と一緒に」
「もちろん、出させていただきます」
「それはいけないわ。家の方に電話してくれるかしら。そろそろ呼んであげないとかわいそうだしね」
 彼女はいたずらがばれたかのように笑いながら肩をすくめた。

 家主の人の案内のままに、家の敷地を出てぐるりと回るとそこにはおしゃれな定食屋があった。メニューが豊富で、カフェのような木材を多く使った明るい店内は、コーヒー一杯でくつろぐ女性客もちらちらいる。
「個人のお店で生き抜くには、色々やんないとやってられなくてね。私はお茶やコーヒーが得意で主人は料理が得意だからこんな節操ないメニューなんだけど」
「いえ、とても素敵なお店です」
 僕は予定外に近所開拓が出来たことに内心喜びながら、付き合う必要はないのに彼女に付き合ってそのまま席についてメニューを吟味している。定番の生姜焼き定食やハンバーグ、焼き魚定食もある。スパゲッティも美味しそうだ。今度来てみよう。
 とりあえず、カフェラテを頼み、彼女は焼き魚定食と、ピザを注文する。
「急いでね。迎えに来る前に食べちゃうか少なくとも、お料理が出来上がっていないときっと食べられないから」
「急がせるわね」
 家主さんはうなずいて、厨房に消えた。

 先にピザが来て彼女が一切れ食べ、目を丸くして心底美味しそうに堪能しだしたところで店内のベルが鳴り三人組が入ってきた。スーツの男女と、ジーンズにサマーセーターのラフで大柄な男性が一人。彼らはすぐに彼女に目を留めて歩み寄ってきた。
「何を食べているのかな」
「だってお腹すいたんだもの。せっかくの出来たてよ。食べないと」
「それなら、我々も遠慮なくいただきましょうかね。あなたを探し回って腹が減っている」
「そんな」
「ほら、お前らも早く座って早く食べろ。いや、ちゃんと味わうんだぞ。だがたくさん食べていい」
「ひどいっ」
 彼女がショックだと顔で訴えている間にも三人組は素早く席に着き、さっと手を消毒してからピザに手を伸ばす。スーツの男女なんかは、両手に一枚ずつピザを手に取っている。
「お腹が空いたって、我々と一緒に居れば食べ物は用意してありました」
「でもそうじゃないものが食べたく……」
「人を巻き込まなくても。ほら、あなたもどうぞ召し上がってください」
「あ、いえ僕は手土産があるので」
「ほう、手土産ですか」
 サマーセーターの男はピザを食べる手を止めてじっと僕を見た後に、彼女を見る。
 僕は何も言わずにいた。多分、このイチゴ大福を食べたなんてことを言ったら、彼女は叱られるだろう。しかも二つも食べているのだ。
 事情はさっぱり分からないが、何か食事制限でもしないといけないのかもしれない。
 ただ、双方このやりとりになれていて、コントのようにしか見えないのが不思議だが、彼女は多少しょんぼりして見えるし、男性は呆れかえっているように見える。そこに嘘はないように見えた。
「まったく、あなたは御身の大事さをもう少し理解していただきたいですね」
「わかってるもん」
「この方はいい人だから良かったものの」
「でも、この人、多分加護が必要な人だもの。新しく越してきた人でもあるし大切にしないと」
「まぁ、あなたがそう言うならそうかもしれませんが」
 僕が越してきたばかりだなんて、そんな話をしただろうか。内心首をかしげながらも口を挟まなかった。なんとなく、口を挟んだら面倒が起こるような気がした。

 このあとも謎の会話とコントのような叱責が続き、嵐のようにピザを平らげ、さらに出てきた焼き魚定食を見て、男性が憤怒の形相になったのでそれは僕が注文したことにしてあげた。
「あなたのこと、気に入ったわ。また会いに行くわね!」
「ほんとうにご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。手綱をしっかり握って今後ご迷惑は」
「手綱って何よ」
「ご迷惑をおかけしないようにいたしますので。こちらのお会計は私共がお詫び代わりに」
「でも、私もちゃんとお礼できるわよ」
「いや、目に見えるお礼が必要な時もあります」
「じゃあ半年後に用意してあげれば」
「あとで、しっかりお話合いが必要ですね」
 とにかく会計までしてくれるということで、ありがたくごちそうになった。
 そそくさと彼女を抱えるようにして去っていくのを見送ってからいただいた焼き魚定食は、大変美味しかった。

つづく
(次回で完結です。22日~23日に更新します)


72候×みんなのフォトギャラリーをイメージ起点に小説を書き始めました。
短編の予定が思いのほか長くなってしまったので、前後編に分けて更新いたします。
ちょっと、更新が遅れてしまい申し訳ございません!
気に入っていただければ続きも是非よろしくお願いいたします。
(オンライン横書きは慣れていないので、何かアドバイスがあればよろしくお願いいたします)

とにかく時間が足りず、あまり直せておりません。手直しをしましたら、改めてお知らせいたします。。。

 


この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?