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街(都市)と集落(田舎)


おはよーあきぽんぬです。


コロナは1月に初めて出現したから、4カ月戦い抜いたということを誇りにしてこれからも、前向きに頑張っていきましょう(^▽^)/


卒研はテーマが決定し、就活は2ヶ所希望していますが滞っています。しょうがないですね。


卒研テーマ;家と畑の関係性を探る/地元(農地)における宿泊×農業の建築提案



これ何を言ってるか分かんないですよね(笑)


考え方の筋としては「農地に建築したい→設計するときには農業と建築の関係を考えることが大事では?→この関係性は‘‘畑と家‘‘置き換えられる→じゃあ色んな畑と家がある場所を見てみよう」という思考の順番です。


日本中にある家と畑のある場所を調査し事例をもとに地元に適切な建築を考えていきたいです。


5月からは、どこの家と畑の関係性を見るのかということをリストアップして現地調査や図面収集などを行っていく予定です。


集落に行ってみました!



ここからが本題です。


私は新潟県のある集落に訪れてみました。


感じたことは「街と集落の差」です。


たとえば、人当たりの良さ。


見知らぬ若者が立ち寄ったにも関わらず、温かく出迎えてくれるおばあさん。お茶も出そうとしてくれました。



たとえば、家の周りに水田がある。


村の皆さん総出で家の周りの水田で新しい苗を植えたり、また家の前で山から取ってきたぜんまいをこしていたりなどなど。


暮らしと農業が密接な関係にありました。



たとえば、力強い感じ。


人と会ってこのような不思議な力強さを感じられることは普段無いです。



さて、これらは街中にはあるのでしょうか。


私自身街中に住んでいますから、日常風景と異なる集落の姿を見て全然違うなと思いました。


やはり都市と田舎には何らかの差があります。


私はこの差を以下の言葉で表現しました。





発信性と自己完結性





発信性というのは、自らの情報を周囲に発信することです。


SNSやテレビ、本などが挙げられます。


対して自己完結性というのは、自らの情報を自らに蓄え、内在させることです。


自分の思っていることは、わざわざ人に伝えず自分で解決する。内省作業のようなことです。



私は集落に訪れて「集落は発信性が弱く、自己完結性が強い」と感じました。


集落の方々に普段の生活についてお話を聞きました。


自給自足のようです。家の周りに畑があるのは生活をするためで、近いところに畑があったほうが移動距離が少なく合理的です。


また、茅葺きの家に住んでいるようで詳しいお話は聞いていませんが、茅葺き屋根というのは茅を葺くための職人が必要です。


それでいて継続して住んでいるということは、自分たちで茅を葺くことができるからだと思います。家の近くには茅の材料もありました。


よって、集落では人間の生活に必要な衣食住の「食と住」を自己完結しているといえます。



対して都市部では衣食住、すべて他人任せです。


言い方悪いかもしれませんがこれは事実で、何一つ自給自足できていないと思います。


しかし都市部は悪いことばかりじゃありません。


社会と密接な状態にあり、発展しているからです。


発展とは文化、芸術、経済、政治、テクノロジー、教育など様々な分野に及びます。


自らを発信し、他人と情報を共有することで新たな価値や仕組みが次々に生まれているのは都市部です。


東京はいい例だと思います。


日本人だけでなく海外からも多くの人が訪れる東京では衣食住において、色々な文化が入り混じっています。


このような点で「都市部は発信性が高く、自己完結性が低い」と言えます。



じゃあ中道は?


発信性と自己完結性を両立させていることが望ましいのかと言われると分かりません。


その必要度合いは人の価値観によって異なるからです。


互いの価値観を認め合いながら自らのつくりあげてきた生活文化に誇りを持つことが大切だと考えています。



真面目になりましたがこの問いに対しては卒業研究で掘り下げていこうと思います。


それでは、また。



あきぽんぬ