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団塊Jr世代のセルフ・コンパッション

こんにちは!なきむしおかんだよ!
今日は、40代、50代のお母さんたちが読んでくれるといいなぁと思って書いている。


囚われても良かった時代に生まれて・・

昔を振り返りながら、最近本当にバカだったなぁと感じるのは、「囚われ」すぎていたこと。私がちょうど30歳になった時に、出版社に勤めていた友人から紹介されたのが「負け犬の遠吠え」という書籍。
これは当時ネガティブ思考に陥っていた私にとっては、痛かった。
仕事ができて容姿も良く、キャリアがある女性を「負け犬」と称して、そのメリットとデメリットを描いた書籍だったんだけれど、私の受け取り方はこんな感じだった。
もうタイトルから「お前は負け犬だ!」と突きつけられ、世の中はとても誤解をしてこの本の内容を受け取ってしまったがために、私自身も自分のことを結婚できない負け犬女とレッテル貼りしたのよ。そして、知人が29歳の誕生日にギリギリで籍を入れたお話とかを聞いたりして、30過ぎた独身女ってそんなに悪いんかいって思ってた。

でもさ、私たちの時代っていうのは、ルーズソックスが流行ればみんなそれに従い、白いワンピが流行ればみんな白いワンピを着て、こうすればオッケーというロールモデルがいくつか存在してたんだと思うんよ。○○系という言葉使いからしても、個々を尊重するというより〇〇系の中に自分をおいて安心できた。

ところが、ネット時代が来て、SNSで自分が見たい情報だけをピックアップするようになって、自動的に自分が見たい情報しか見られなくなりつつある。
西洋占星術では「風の時代」という、持っている人たちだけが富むのではなく万人の自由と平等が大事だとされる時代に入った。
シェアすることが流行って、ミニマリズムという概念が生まれ、持続可能な発展が叫ばれている今、私たちが「普通」としていた普通は壊れつつある。

「普通」なんてものはないのが普通になっている時代なんだということを理解した方がいい。時代の変化が加速したんだよね。

個々の能力や特性を重視する時代となった、オタクなんていない、みんなが自分の好きなことを複数持っていてそれぞれのコミュニティに属していてというお顔がいくつもある、そういう時代に子育てをしている私たちはかなり大きなマインドセットを要求されるのだ。

昭和の時代は、親が権威的であっても良かったの。厳格かそうでないかの差こそあれど、父親が大黒柱で、母親は大切なことについてはお父さんに相談しなさいと言い、子育てにおいてもそれぞれ役割が決まっていて、お姑さん、お嫁さん問題でどこか女子の生きにくい社会だったかのように思う。
個々と対話する必要がなかったのは、カテゴライズされるのが普通だったから。個々人全てを理解する必要がないわけで。

例えば、うちは東大家系なんだからお前らも東大行くのが当然だと、口に出さなくても子どもは理解できていたし、一方、工務店の息子は次に店を継ぐのは自分だと親父の手伝いせにゃならんと子どもは理解できていたわけ。

私は、両親が二人の弟には大学入学を期待していて、私は女子だからっていう理由で短大でも良いという不平等なことを言っているのが無性に気に入らなかった。


今の子育てで必要なこと

基本的には、幼少期の子どもにとっては、親が大人のロールモデル。それはこれからも変わらないんじゃないかな(法治国家が崩壊しない限り)。
だから、親の癖は染み付いているんだよね。いろいろな諍いがあったって、一番長く付き合っている親と似たようなことを言ったりする。
反面教師です!と息巻いたって内容の問題じゃない。
子どもを理解しようと努めているのか、それとも自分の不安をぶちまけているだけなのか、そこを見極めないと大きな愛情のボタンの掛け違えが生まれる。

例えば、私は一人娘が心配で仕方がないばかりに、いつも一緒に行動していた。私も安心だし、娘も安心するんだと思っていたんだけど。。

私が娘と一緒にいるのは、娘への愛情からなのか?
心配とか不安を解消したい自分の欲求を満たすための行動なのか?

ふと、自問自答することあったのね。

もし、後者だったら、子どもは敏感にそれらを受け取って、愛情だと思って不安を訴えてくる親の言動や行動を無視するようになる。

ごく最近、娘っ子がお友達とお出かけをして、近所のららぽーとで買い物をしてきた。
報告を求めたら、娘っ子はお友達にお土産を買ったという。
えーーっ???近所に行っただけなのにお土産???必要ある??

寝起きで機嫌が悪かったから、余計に圧をかけてしまった。貝のように口を閉ざす娘に対して、だんだん憤りが強くなる私。
まずいぞーと思って、母に電話をかける。母はあんたのその態度が悪いと言い切ってくれる。一呼吸おいて、娘と話をすると、風邪を引いて学校に来られていないお友達に何かしたくてや、消しゴムを買ったそうな。見せてもらったら、4つの可愛い紙袋に「magokoro」と書いたシールが貼ってあって、中に小さな文具が1つ入っている。

ごめん。謝ればいいってもんじゃないけど、ごめん。

大丈夫、いいよ。

ありがとう

こんな感じで普通の関係に戻る。

お金について問いただしたのは、私の不安からだったよね・・・と振り返る。

こんなことも何度も続けてたら、ごめんの意味がなくなる。

子どもを信頼するって難しいよね。だって子どもなんだもの。
だけどね、だから未成年って言われて多少のことしても許される歳にあるんだから、信頼してるメッセージをできるだけ送ろう。
それは薄っぺらいものではなく、丹田あたりからくる覚悟に近いところで信頼すると決め込もう。

必ず伝わるから。だから、普段の自分が感情任せに言葉を放っていないか、自己内対話する時間が親には必要だ。

思春期に子どもたちは必ず反抗する思っている人たちがいる。
反抗期がないとおかしいという人さえいるけれど、自分を理解している親の子どもは反抗などする必要がない。

自分を理解していないと、今まで愛情を上げてきた(つもり)のに、なんでこんなに反抗するの?と子どものその態度に批判的になる。
あとは、負の連鎖だよね。

子どもたちのことを真剣に考えるお母さんへ

囚われから脱却しようじゃないか ww
誰があなたのことを負け犬だの勝ち犬だのと言ってもあなたはあなたでしかない。上から下までブランド物を着たって、何をまとったって、〇〇派とか〇〇系とかいうふうにカテゴライズする人はいない。
そんなふうに考えてみよう。カテゴライズする人がいたら、「世も末な人」だと思っていれば良いし、ちょっとっオールドファッション過ぎない?って声かけてみても良い。

遊ぼう。
子どもを大事にしたいなら、自分を遊ばせよう。
無理にする必要はないんだけど、自分に余裕がある分、子どもに余裕ができる。子どもに余裕ができたら、子どもはお友達に優しくなれる。思いやりのある期待通りの子どもに育つのよ。

失敗を許そう。
子どもに厳しくしすぎたとか、イライラして思いもしないことを言ったとか後悔することはたくさんあるんじゃないかと思う。
大丈夫。自分自身を変えてあげたら、うまーくいくから、失敗したと感じている自分自身にヨシヨシしてあげよう。

自分の軸を知ろう。
この自分軸については、書くことがたくさんあるから続きにしておくね〜
お母さんもママ属性を離れた時の生きがいについて考える時に、どうやって考えようか? みたいなお話でござるよ✨

(終わり)





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