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佐世保要塞~弓張岳砲台と但馬岳指揮所~

約5ヶ月振りのnote更新となってしまいました。
フォローして下さっている皆様・・・読んで頂いているかは分かりませんが、お久し振りです。

皆様のお住まいの地域は天候の方は如何でしょうか?
私が住んでいる熊本市は1週間以上雨が降り続いておりますが、自宅は比較的安全な場所にあるので、5日間の夏休み中の現在は買い出し以外は自宅に引き籠って過ごしております。
雨の影響により、各所で土砂崩れなど被害が出ているようなので、どうか注意深く行動して参りましょう。


さてさて。
話は変わりまして、本日は終戦の日です。
今年は仕事が忙しくて原爆の日などに記事を書く事が出来ませんでしたが、昨年に引き続き戦争遺産を調査した写真を(前ブログから写真・文章を転用したものですが)noteに掲載していきます。


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天使の梯子が美しかった弓張岳展望台。

佐世保軍港を見下ろす事無く九十九島を望める弓張岳・六合目の鵜渡越は大正時代に展望所などが整備され、昭和7年(1932年)には佐世保市営バスが鵜渡越に達するバス路線を開設し、観光地として賑わいを見せていました。
このバス路線は軍用道路を利用したもので、昭和16年(1941年)になると佐世保軍港の防衛の為、軍用道路は鵜渡越から弓張岳山頂から但馬岳まで延長され、弓張岳には高射砲台3基、但馬岳には指揮所・通信所・弾薬庫などが設けられました。

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高射砲台3基の内1基の砲台は野外音楽堂に改造。

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残り2基は原型を留めた状態で保存されています。


終戦間際である昭和20年(1945年)6月28日~29日に受けた佐世保空襲では、この高射砲台から300発程の砲弾は発射したが、1発も当たらなかったのだそう。
佐世保空襲は28日23時58分に空襲予告の“警戒警報”無く、空襲警報を知らせるサイレンが突如断続的に鳴らされ、60,734名の被災者の内336名が負傷、1,242名もの命が奪われました。


遺構としてはちょっと取りこぼしがありますが、お次は但馬岳へ・・・


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但馬岳に防空指揮所が設置されたのは昭和13年(1938年)で鎮守府・佐世保航空隊・大村航空隊へも直接電話が引かれ、空戦指揮所も兼ねていました。
昭和17年(1942年)12月に鎮守府の地下に防空指揮所が完成し、機能の大半は移転しましたが空戦指揮所は残され、電波探信機を備えた特設見張所が置かれました。

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内部は埋められてしまって、様子は全く窺えない。

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兵舎跡には基礎が残っています。
案内板によれば機銃座も残っているらしいが、見付けられませんでした。


本日は引き続き佐世保要塞の記事を掲載していく予定ではありますが、明日から仕事なので生活リズムを整える為に一旦睡眠をとって参ります。


改めまして、先の大戦で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


本日も最後まで読んで頂き、有難うございます。


【撮影機材】
Canon EOS-1V
Canon EF8-15mm F4L Fisheye USM
Canon EF17-40mm F4L USM
Canon EF24-105mm F4L IS USM
FUJIFILM SUPERIA PREMIUM 400

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