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鹿屋航空基地資料館

今回は軍事施設の遺構ではなく、海上自衛隊鹿屋航空基地にある資料館を。

鹿屋航空基地は鹿屋海軍航空隊が開隊した昭和11年から始まり、昭和16年には真珠湾攻撃の作戦計画を練った“鹿屋会談”が行われ、昭和20年には特別攻撃を指揮する第五航空艦隊司令部が置かれました。

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資料館の2階は主に神風特別攻撃隊に関する資料が展示されており、フロア中心に展示されている零式艦上戦闘機52型は撮影可能との事で、不躾ながら撮影させて頂きました。
こちらは錦江湾と吹上浜から引き上げられた2機の零戦の残骸を組み合わせて復元されたのもの。
2階フロアは零戦以外の資料は全て撮影禁止ですが、神風特別攻撃隊を始め、日本海軍の誕生から終戦までの歴史をしっかりと学ぶ事が出来ますので、ゆっくりと拝見したいところ。

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階段から中庭のようなスペースを覗くと91式魚雷が展示されていました。

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1階は海上自衛隊の資料や機体が展示されています。

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鹿屋航空基地資料館は屋外展示も豊富!
手前はUS-1A救護飛行艇、奥はP-2J対潜哨戒機。

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こちらにもP-2J対潜哨戒機

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手前:BELL-47練習機
奥:HSS-2A対潜哨戒機
BELL-47が後姿が仮面ライダーにしか見えなくて、妙なアングルから撮ってしまった(笑)

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魚雷と、その横には川西局地戦闘機紫電改N1K2-Jの誉エンジンと零式艦上戦闘機21型A6M2の栄12型エンジンが展示されていました。

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最後は世界で唯一現存している実機!二式大型飛行艇です!!
昭和15年に初飛行、昭和17年に正式採用され、偵察・哨戒・輸送など最大な航続距離を活かした任務で活躍し、終戦までに合計167機が製造。
昭和20年3月11日、鹿屋基地から約3000㎞南のウルシー泊地奪還の為の米軍艦艇への特攻作戦で「梓特別攻撃隊」として爆撃機銀河24機が鹿屋基地から初の特攻出撃を行い、この作戦の誘導・天候偵察任務に二式大艇3機が鹿児島の鴨池基地から出撃しました。
戦後の昭和20年9月、一度米軍の命令に因って引き渡されましたが、昭和54年に日本に戻され、東京の「船の科学館」を経て平成16年に海上自衛隊に寄付されて現在に至ります。
(案内板より一部抜粋編集)


因みに付近には掩体壕が残っているそうなのですが、別の戦争遺産の見学に行っていたらこの日はタイムアップとなってしまいました。
掩体壕以外にも見たい場所があるので、ちゃんと時間を作って再訪したいし、また鹿児島は出水と知覧は随分前に訪れたのですが、現在はその頃より多少知識が入っている筈なのでそちらにもまた伺いたい。
特に知覧はね・・・知覧茶、とても好きなんですよ。
爽やかな香りにさっぱりとした甘みのあるお茶で美味なのです。
出水は武家屋敷にも伺いましたが、知覧は特攻平和会館と戦争遺産しか見ていないので武家屋敷を含めた町歩きもしたい!
今冬には行けたら良いなぁ・・・うーん、行きたい所が沢山あって悩んじゃいますね。


最後まで読んで頂き、有難うございます。


【撮影機材】
Canon EOS-1V
Canon EF8-15mm F4L Fisheye USM
Canon EF17-40mm F4L USM
FUJIFILM SUPERIA PREMIUM 400

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