見出し画像

「余白思考」を読んで

山崎晴太郎著「余白思考」(発行所:日経BP)を読んだ。

 著者の事は何も知らず「余白」に惹かれて買った本。
いつの頃からか、情報満載の文章よりも、要点だけのものがお気に入りになってきた。読解力が落ちたのか、気まぐれか。
 文字が少なければ、自分の頭で補強せざるを得ず、「考える本」に似通ってくる。

 本だけでなく、絵画、イラスト、音楽や演劇でも、「余白」や「空白」、「無音」、「静寂」は、無の語りべ。 重要な構成要素。

余白は、余ってるのか・・・

 「余白」の定義をWebで検索してみると、「印刷物の、文字や図表、イラスト等を書かない、四辺(上下左右)の部分」。転じて、「予定や考え方を詰め込み過ぎず、余裕やゆとりを持つこと」などと示されている。
 著者によると、「余白は、本質的な部分に深く関係する概念」で、「白と黒の間にある灰色の領域を活用する」のが余白思考と言っている。

なるほど。

 真っ白なキャンバスに、赤いまん丸を描く。
 白地の中で、鮮やかな赤が浮き上がってくる。
 いや、白地の部分と合わせて日の丸国旗なのか・・・

 赤いまん丸だけを描いたのか、まん丸を際立たせるように周囲を白で埋め尽くしたのか。
周囲の白は、「余白」じゃない。重要な一部分。 キャンバスと額縁の間の僅かな隙間を「余白」というのかも知れないけど、それだって、余りもんじゃない気がする。

 定義的に考えれば、文章を書く時の余白は、原稿用紙のマス目の外。だけど、原稿用紙の空白部分だって、赤いまん丸の周囲にある白地のように、立派に役割を果たしている。 と思いたい。

境界線は、誰にでも必要

 池で過ごすカモたちは、よそ者が自分の縄張りに入ってくると、猛烈に抗議して追いかけ回す。追い出されたカモたちも、縄張りの外なら同じ池で仲良く暮らしてる。目に見えないけど、縄張りの外縁があるんだろうな。そこが「余白」ってことか。

 人間だって、満員電車は「余白」のない空間で、距離が近過ぎてギスギスするし、感情的になり易い。人の間は、ある程度の距離があった方がいい・・・だから、「人間」か? 

 一人で出来る仕事は多寡が知れて、チームの方がイイ仕事になる。
誰もが知っていることだけど、チームだからと言って、いつもベッタリ傍にいると息苦しくなる。 
 トイレの個室に入ってホッとするようなら、
チームの仕事は、時間を区切った方がいい。あるいは、プライベートタイムをつくった方がいい。
 そうやって、人と人の間に一定の「余白」を置く。

本書は、そんなチームワークの基本の「キ」を教えてくれる。

                             (敬称略)

#読書感想文

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?