モロッコ旅行記 3月5日

3月5日

昨夜はベッドが変わったためかうまく寝られず、半端な意識ばかりまのびして、気づくと窓外から鳥の啼くのが聞こえた。耳鳴りが土壁の内で反響していた。すべてがナチュラルなのかは知らないけれども、自然の内にあっては普段では聞かれない土の呼吸というのも感じられるのだろうか。
午前八時半にドアをノックされて跳び起きる。朝食は円盤のパンとクレープ。ジャムと蜂蜜、バターが添えられている。モッロコに
来て十日ほど。パンを食べ続けて飽きが来たのか、飲みこむのに時間がかかる。オイリーなクレープのほとんどを残す。薄いコーヒー
を外へ持ち出して一服。
午前九時、アイトベンハドゥへ向かう。川に沿う大通りをひたすら南下していく。川そばへ下り、民家のある小路を進む。少女たちが「ケンケンパ」に似た遊びをしている。別のところでは、戸板に石を擦りつけてお絵描きしている。裏道を行くと畑があって、畦道が曲がりくねっている。排水路が、泥を掘って固めてつくられている。幼い頃に砂場でつくった川や橋のようだ。ローブを着て、スカーフを巻いた老婆が黙って指さす方向にアイト・ベン・ハドゥへ続く橋が架けられていた。
川は平らに浅くゆるやかに蛇行し、枝分かれて寄り集まり、流れていく。橋の陰に野良犬が気怠そうに身を横たえていて、人の気配に動じることもない。
川を挟んだ両岸にヤシや低木の緑があって、桜木も花を咲かせていた。右岸にはオーベルジュや民家、レンタカー屋が建ち並び、左
岸にこんもりと丘がそびえたつ。アイトベンハドゥもまた、丘を切り掘りして建てられたような要塞の民家群だ。その意味で、幼い頃
に砂場でつくった城や町が現に存在しているということを知る。近くの水道からバケツに水を汲み、川を掘り、橋を架け、あるいはト
ンネルを掘って、そこへ恐る恐る水を流し入れると、わたしのつくった川と橋と小さな町は容易く洪水に飲み込まれてしまった。砂の街をつくるのに適した粘土質のものがあることを知って、水を少しずつ加えて変形させていくと、先よりも丈夫な川や橋ができあがる。スコップの鉄材はいつしか錆びて、バケツの取っ手も壊れ、砂場や水道に置き忘れた。爪の内に深くまで入りこんだ砂利も洗い流された。下にざらつくものもなくなった。
その砂の城がわたしの眼前にそびえたっていた。世界遺産は、幼い子どもの手のうちに今もある。
細く複雑な坂道を上がっていると、民家の屋根の補修をしている男がいた。細い竹を敷きつめ、その上に小石のまじった泥をパテで塗っている。水気を含んで日を跳ねかえす泥も干されることで頑強になる。壁に触れるとセメントなどと変わらない硬さだ。
ガイドのサイードゥに案内してもらう。マラケシュのガイドとは違って温厚な男性だった。ベルベルの青いスカーフを買い、家の中
を見せてもらう。やはり洞穴のような肌寒さ。夏には涼しく、冬には温かい。とてもシンプルなのに、快適で、頑強な建築だ。
頂上へ向かう道中、ベルベルの弦楽器を弾く老人がいた。日差しと風に調和した、沁み入る音だった。音が風に棚引いていく。
頂上には見張りの番小屋があって、全方位を眺めまわすことができる。北西にアトラス山脈の連なりがあり、
「向こうがマラケシュだ」
とサイードゥが指し示す。あっちがサハラ、向こうにサウスアフリカ、マリ、ニジール・・・。
足元を往く川沿いにわずかな緑と、家々の窓枠や干した衣類がすこしの色彩のたずさえているだけで、あとは見渡すかぎりの、乾燥した黄土の世界。陽をうけて赤味を帯びている。どこまでも明瞭な輪郭。遠くの丘に緑が植わっていたなら、風をうけて、わずかに曖昧となるだろうか。鋭利な刃物で切り分けられた天と地。
実際にこの要塞に敵軍が攻め入ったことがあるのか、わたしはその歴史を知らないが、番小屋の前に立って、見晴らしのいい眼下の黄土の大地に、何千何万という軍勢が押し寄せてくる映像が思い浮かばれた。砂埃を大量に巻き上げて来る敵の大波は恐ろしい。
対岸の大通りを、一台、また一台と車が走ってくる。かつて各地から隊商がここへ集って、交易し、憩っていた風景を想う。ラクダに乗った白や青のローブとターバンの男たちの、長旅に疲れた目や、埃にまみれた頬や、汗の滲みたジュラバの香りや、スパイスの色彩や、宝石の輝きや。
坂の途中に、あぶりだしの画を実演してくれる一画があった。白い紙にサフランの黄、インディゴの青が水に溶かれ、薄くカスバと青空の風景画が描かれていて、男はガスボンベのハンドルをひねってライターに火をつけ、紙の裏をあぶっていくと、サフランが焦げていく良い香りを放ちながら、カスバに飴色の陰影がついていく。

サフランの香りの水彩画

サイードゥに、彼の家だと自称するテラスを使わせてもらうよう頼み、別れた。午後六時までだらだらと過ごすほかない。
カスバは砂山を変形した建築群。トランスフォーム。ブリコラージュの一形態。
対岸の土壁の中から、ひっきりなしに観光客が川べりへ降りてきて、浅い川に並びおいて橋の代わりにした岩や土嚢の上を渡ってくる。中州で丘の遠景を写真におさめ、ガイドの説明を半円になって聞く団体客。風の渡る音に鳥の声が方々から聞こえる。クサルの屋根へ上って写真をとり、しばらく憩う。
わたしの肌は灼けて、もうすこしで砂の城にまぎれそうになる。
午後一時前、対岸のミナレットから祈りの放送が響きわたる。サイードゥがやってきて、
「茶を飲むか?」
と言うので頂くことにする。祈りの放送が止むと、鳥の啼くのが一段と際立つ。わたしも粘土をこねて造られた、そのことがわかる。
泥の川が日をきらきらと照りかえす。汗が染みだして、風に冷やされる。サイードゥの奥さんがミントティーを持って来てくれる。
高いところから泡だって熱いミントティーが注がれる。どこで飲むのよりおいしく感じる。熱くって、それがいい。夏に熱燗を胃に入れるような。体内が熱されて、触れる外気が幾分か涼しく感じられるためか。隣で奥さんと外人のカップルがフランス語で会話をしている。ここに家族で住んでいるとか何とかいう単語は聞き取れた。
憩うのには心地のいい環境だ。
雲に陰ってきて、耳に熱が残って火照るのを風がなぶってくれる。
煙草をくわえると、ミントティーの砂糖のために唇がやわらかにくっついてくる。
奥さんとすこし話す。といっても、各国の挨拶を言いあい、確認するだけ。わたしがフランス語を口籠ると笑ってくれる。彼女はノースクールだから読み書きはできないというけれど、話せることがどれだけすごいことか、驚かされる。
昼を過ぎると、川を渡る人がすくなくなった。ランチタイムだろうか。

唇に残るミントティーの甘さ

砂城にまぎれる焼けていく肌

ふたたび頂上の番小屋にやってくる。風が強く、大きな雲に覆われている。先は気付かなかったが、番小屋からすこし低まったところに壁の跡があって、銃口を差し入れるための穴がいくつも開いている。なんという名前だったか。それがあって、使われたことはあるのだろうか。幼い私のつくった砂の城には、要塞や城塞という防衛設備はなかった。響きわたる銃撃の轟音は子どもの耳にはなかった。
遠くから陽が迫ってくる。雲の大きな影が少しずつ、確実に押し流されて、もうじきに、また激烈の熱が直射される。遠くアトラスの山頂は分厚い雲に隠れている。山並みに沿うて雲を。
サイードゥ夫妻の子どもは対岸に住んでいるらしい。
外人のカップルが隣り合って座って痴話喧嘩か。立てた膝を叩いて女は小石をぶん投げて、何事かを発しつづけていたかと思うと、二人そろって黙りこむ。雲が流れて日が差す。アトラスの雲がちぎれて、ひとつ、またひとつと流れてやってきて、絶えることがない。
穴のあいた塀をくぐりぬけると急傾斜の下にもうひとつ外郭の防壁の名残りがある。川とは反対側のためか、鳥の啼くのも聞こえな
い。
ふもとにあるマラブーというところに来た。お爺さんが子犬のための家の小さな戸をつくっていた。ベルベル文字の装飾を、アルガンの木にノミと金づちで彫っていた。とても静かな場所で、番小屋前の観光客の騒々しさはない。「タンタンタン」と木を打ち彫る音
がマラブーの壁に反響するばかり。
近くにはかつて使われた井戸や炊事場がある。八月にここマラブーで音楽の祭りがあるという。
風が強くなってきたので日暮れを待たずに帰る。
昨夜、眠られないうちに考えていたのは、この三ヶ月の日記を、一日一日原稿用紙三枚、フォーマット一ページにまとめて、90章の日記、エッセイ、かつ小説的なものにまとめるという案。それならば叶うと思う。地道に書きなおしていくためのメモ。まとめるのに大変な量と日付もあるし、すかすかな日もあるが、必ず三枚、一ページの文量にまとめる。それを出版社へ持っていく。

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