モロッコ旅行記 3月19日

3月19日

起きて、ユセフのつくった朝食を配膳し、洗濯をする。
三階のテラスで、激しい日差しのもと、白いシーツを干して、それから薄暗い屋内の階段を下りる時、わたしは視力を失う。
先までの真白の光をうけた目では、屋内はほとんど光が無いに等しくて、立ちくらみのように辺りは真っ暗になる。
手すりに沿って、おそるおそる階段を下りていく。
しばらくして目は正常になる。
昼にはすることもなくなって、共有スペースのソファへ寝転がって、いつのまにか寝ている。
暇のために昼寝をして誰に叱られると
いうわけでもないけれど、一応は仕事の時間という意識が働いて、人の足音が聞かれると身体を起こして、朦朧の頭がすぐに眠りにかどわかされていく。
孤独や空漠はいつでもどこでもあって、カメレオンのように姿を忍ばせている。そうして酒や漫画やお喋りで、たやすくまぎらわすことができる。
けれども上塗りで紛らわすだけにすぎないから、同様に容易く音もなく姿をあらわす。
現れたきり、わたしに何かをするというでもない。
木の枝や、石塀や、ソファや、部屋の隅にじっとして、巨大な目玉をこちらに向けているだけである。
アレは私の目だろうか。
夕方にドミトリーでのんびりしていると、階下からユセフとハナの口喧嘩が聞こえる。ハナが一方的に怒っているようで、ユセフの(あるいはわたしか!?)何事かにたいして気が振れたのだろう。
激しい物音がする。典子さんが
「ユセフがお酒を飲んだりするとハナはすぐ怒るのよ」
と言っていて、ユセフはハナの口癖を真似して
「ホワイ、ホワイ、ホワイ」
と、なぜどうしてと問い続けられて面倒だと言っていたのを思いだす。そのことをきいていたから、この度の喧嘩も特別驚くこともなく、わたしは二人の口論を聴くのははじめてというのに「またか」という具合で妙に落ち着いていた。
声や物音が止んで、夕飯をつくりに階下へ行くと、電気もついておらず、二人はいなかった。レセプションのテーブルの前の棚の紙などが床に散らかっている。わたしが米を研いでいるとハナが姿をあらわして、何も言わずぷりぷりとテーブルの私物を片付けて、すぐに出ていった。わたしにはいつも柔和な笑顔で相対してくれていたけれど、無理をしていたのか、元来は気性が荒いのか。
広い宿で一人で夕食をとっていると電話が鳴る。おそらくユセフかハナだろう。そう思ってとるとやはりユセフだった。
「ハナが出ていった」のか「ハナと出掛けた」なのか、わたしの頭では理解できなかった。
「もし眠るんだったら戸締りをして、屋上の窓を開けておいてくれ」
というような内容だと思う。正確なことがわからず、妙な間をとって曖昧にOKと返事をすると、ユセフも不安そうな間をおいて電話を切った。屋上に窓なんてあったろうかと夕飯を食べ終えて上がっていくと、窓があって、開けて外を見ると、違う家の屋根から入ってはこれそうだった。果たしてわたしへの伝令はこれで大丈夫だろうかと不安になって、一晩一階で過ごすくらいわけないかと考
える。シャワーをゆっくり浴びて、共有スペースで缶ビールを空ける。
うとうとして、けれどもユセフが帰ってくる様子もなく、寝る。

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