モロッコ旅行記 3月4日

3月4日

荷造りをし、一週間分の宿泊費1050DHを払って、近くのすこし高いカフェで朝食を摂る。たいして美味しくもない。部屋に戻り、ベッドチップ用に、ノートの切れ端に「シュクラン」「サンキュー」「アリガトウ」を各国の文字で書き、簡易のポチ袋をつ
くって20DHを包んで置いた。
昨夜は、わたしとは離れたところで宿替えの緊張があったらしくなかなか寝つけなかった。スプラトゥールの発着待合ロビーで頭が
重くなっている。今朝の脂っこいパンケーキ(クレープ?パイ生地?)二枚が胃にこたえているらしい。
昨日十五時発のバスチケットを購入したのだが、チェックアウト十二時で時間を潰すのも面倒になったのでタクシーでスプラトゥールへ。一時出発の便に変えてもらえるか聞くと、同じチケットで問題ないとのこと。本来はワルザザードで宿泊して、アイトベンハドゥへ後戻りすることを考えていたが、たったすこしの片道の移動費ではあるが節約しようと思った。時間を有意義に使うには、なるだけ早く活動、移動するのが良い。けれども、時間は有り余ってるのだから、そう急ぐ必要もなく、奇妙な苦悩に陥ってしまっている。アイトベンハドゥで二泊、あるいは三泊して、ワルザザードで一泊か二泊。
十三時近くになってもバスはやって来ない。不安になる。
「アガディール、アガディール」
違う方面行のバスの登場アナウンスが、蛍光グリーンのベストを着た作業員の男の口からロビーへ響きわたる。
不安げに外へ立っていると、新たにバスがやってきて、行き先を告げる先の男が「来たぜ」とわたしに笑んでくれた。
「ザゴラ、ザゴラ」
わたしの乗るバスがザゴラという場所行であることをはじめて知る。
バスへ乗り込む。けれども座席指定らしく、
「そこは俺の席だ」
「チケットを見せな」
「キミは二番だからあそこだ」
「ありがとう」
二番へ座ると、
「そこをどきな、俺の席だ」
という具合で、席を転々とする。おばちゃんが指でシート番号のあるところを指さしてしっかり確かめろという。わたしはたしかめてはみるが、どうせ違うのは知っている。出発時刻を変えたけれども乗車券は変更されていないのだから。それでてんやわんやの通路からいったん外へ出る。
すると先の笑顔のおじさんが、
「間違いないから安心しな」
と乗車をうながす。それで乗客たちの奇妙な視線をあつめながら、
ガラガラの後方の座席へ腰をおろす。
定刻よりもすこし過ぎてバスは出発。
「アイトベンハドゥで降りたいなら、コーヒーブレイクのときにドライバーへ直接言ってくれ」
と搭乗者確認の男に言われる。
澄んだ青空の下に平地が広がって、遠くにアトラス山脈が望める。
アトラスの上には、山の連なりをなぞるように雲がもくもくとつくられている。
どこまで行っても、ここら辺りには水の気配がない。川や湖や用水路や、排水口も見ない。あるのは道端に淀んだ水たまりばかり。
それでも、いたるところで広大なオリーブ畑がある。赤土の塀や、あるいは杉のような高木に周りを囲わせて、灰緑色の葉のオリーブ
が栽培されている。
街路樹のオレンジはどれも同じような形に剪定されている。葉の天地を地平方向に綺麗に刈って、俯瞰すると円形になっている。横から見ると、円卓のような葉群れを支えるように一本の幹が枝分かれ、ワイングラスのように見えなくもない。
毒々しいほどに鮮やかな黄色とオレンジ色をもつアブラナとマリーゴールドのような小さな花弁が空地に広がっていて目を奪われる。
ようやく見つけた川は赤土にまみれ、新鮮な臓物のような濃く鮮やかなショッキングピンクだった。まちがいなくこの土が、この土地の壁や塀に使われていることが分かる。
山が近づくと、その色の日本との違いに改めて気づかされる。水の気配のない、陽光に曝されつづけて褪せた色。乾燥した土肌が露わになったあちこちで、やはり灰緑色のサボテンの肉の厚い葉が「ようこそ」と広げた大きな手を挙げているようだ。
桜の花を見かけた気がする。梅だろうか。この土地の、ピンクではないささやかな桃色の花弁を見た気がする。こんな場所で。
セザンヌやクレーの色彩が山道を往くにつれて広がっていった。
赤土の山肌、灰緑色の高木やサボテン、こんもりと点在する低木の緑、青空、アトラスの雪化粧、カスバの土色とキュビズム、渓谷の反対の山肌の斜面にかかった離れ雲の黒い陰。からりと晴れわたる気候が、すべての色と物の輪郭を、わたしの裸眼でさえ明瞭に映し出してくれる。色のひとつひとつ、反射光の、存在のひとつひとつが粒だっている。
日本はちぎり絵で、ここら辺りはモザイクだ。それは湿潤と乾燥の違いによる輪郭の捉え方による。マラケシュの空地に咲く黄色い花の粒だちと、日本の淡い色の花の集合によって色めきだす佇まいとの違いだ。
奥へ行くと川ぞいの道をひたすらに遡上していく。川は赤色をなくすが依然濁ったままである。川原があって枯れ木があり、桜さえも咲いているというのに、川の水が澄んでいないことに日本人は驚くだろうと思う。辺りには緑がない。瓦礫ばかり、黄土ばかり。褪せる川、泥水。昔からだろうか。
川沿いの、棚田のあるカスバには桜木が何十本も植わってあって、薄桃色の花をちらちらと咲かせていた。けれども、ぎこちないような再会だ。モロッコの陽の下では桜も振る舞いを変えるのか、それともわたしのほうで再会の心づもりができていなかったためか。
(あとになって桜ではなくアーモンドの花だと知る)
点在するカスバは場所によって壁の色が違う。建てられた山肌を保護色にしている。外敵の目からなるかぎり忍ぶためのカモフラージュなのだろうが、その土地の土や石を使うのだから自然とそうなるだろう。
山脈の上部に積もり残った雪のように、黄土の山肌には苔むしたような緑がうっすら這いつくばっている。けれどもその緑もやはり日本のそれとはちがって褪せている。雪の残る高さまでバスが昇ると、丸まったハリネズミのような、あるいはマリモか、そんなような形をした枯れ草色の植物が点々とあって、その様子は山肌に黴が着生しているように見える。
岩山と呼ぶよりかは砂山の見た目に近い。砂を極限まで押し固めた具合だ。それは黄土の色のため。けれども、黴というより、乾燥のこの土地にあっては埃が被さっていると言ったほうが良いのだろう。日本の湿潤とは違う、黴などとは無縁のような、灼熱を浴び続
けたこの土地では。
そうしてみると、時折り景色に映りこむ桜木の白い花弁も、どこか埃をかぶったような灰色の花に見えてくる。ひとつひとつが明瞭な形をたずさえた灰色の花の群れ。
カスバは点在している。けれどもそのどれもがわずかに色味を異にしている。そうして、傾斜に沿って建てられた家並は、けれども建てられているというよりは、一度、赤土や黄土の内に埋まった後にあらためて発掘されたようで、それはつまり、掘削によって表現された建築のようだ。周囲の色と傾斜に同化している。アナログに限りなく近い、デジタルな凹凸がある。
アイトベンハドゥで観光人と一緒に下車し、タクシーに乗る。彼は今夜中にワルザザードへ行くというから、彼とはカスバで別れて、わたしは予約した宿「Auberge Kasbah Tifaoute 」へ。
辺りを赤土の丘が取り囲んでいる。午後六時半、空は暮れだして赤焼けの雲が妖しく浮かびあがって風に流されていく。山間部のためにマラケシュよりも風はうんと冷たい。
ホテル、というよりもオーベルジュなのだが、ここもやはり赤い土壁で出来ている。前庭には不揃いに切りだされた岩が石畳をつくって、いくつかの木が植えられている。
二階のない平屋ではあるが、個室を広くとった快適な空間。けれども電気代節約のためか灯りは乏しい。
近くの空き地でサッカーをしていた少年たちが、七時前、真っ暗になるまでもう少しと言うところで家路につく。風がひゅうひゅうとする。
すっかり暗くなって、冷えこんできたので部屋にもどる。
午後九時、室内は禁煙のようなので庭へ出る。見上げれば、わたしの裸眼にも満天がひろがる。フランス語を話す男の客二人も庭で煙草を吸いながら夜空を指さして何事かを喋っている。じっと見据えれば、何万光年という先にフォーカスがあたって星は数を増していく。きらきらと輝くのは、手前に薄雲があって、わずかのあいだ星をうっすらと隠すためだろうか。それともあれやこれは自ら輝く恒星だろうか。裸眼ではどうしても輪郭がぼやけてしまう。遥か向こうに星々が浮かんでいるというよりも、天を覆う黒い壁に無数の穴があいていて、そこから、壁の向こうにあるまばゆい光の空間が、幾億もの光線を差しこぼしている、というふうに映らなくもない。
その光の空間を宇宙というだろうし、彼岸や、楽園と呼ぶのかもしれない。あまりにまぶしくて、わたしたちは空を壁で覆ったのだ。
そんなことを考える。
色彩、光、気候。
赤い川、灰色の桜、埃っぽい緑、山脈の雪、抜ける青空、黄土の山脈、地にまぎれた家々、少女の紫のローブ、アブラナのイエロー、苔のような埃のような重ねられていくもの、星空、風、夕焼の土壁。
十時前、寝不足と移動の疲れで眠たい。寝る。明日は早朝から。

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