見出し画像

35歳の夢のあと


(文章下手な上にあっちこっち話がいくので長くなります。すみません。)

2021年も残すところ数時間になりました。
昨年末、仕事を辞めてから無職のまま1年間を過ごしました。
11月の誕生日までには“何か”を見つけたいと思っていました。
何かとは「自分の人生をかけてやりたいこと」
35歳にもなる男が考えることではないのは自分でもわかっています。
周りの同年代は仕事でバリバリ働いて、結婚して子供がいてなど、とても充実してる。
それに比べると本当に情けない。
まだそのレベルなのだ。

しかし、子供の頃から思っていたこと。

「一発逆転」

楽しいことがほとんどなかった子供時代。
友達もいなかったのでずっと1人でした。
そんな寂しい日々が一気に明るくなった。
僕の人生を変えたのが“SPEED”
小中学生なのに歌って踊ってパフォーマンスしている姿が本当にカッコよかった。
歌うこと、踊ることを心から楽しんでいるように見えた。
そのタイミングでとんねるずの番組で沖縄アクターズスクールの特集を観て、そこに通っている子達も同年代で心から楽しんで歌って踊っているように見えた。
それが羨ましかった。

羨ましかったのに僕は何もしなかった。
これが生きてきた中での後悔。
目指すものがあるなら真剣に本気で目指せばよかったのだ。
習いにいって仕事として働けるように頑張ればよかったのだ。
家で振り真似をして、毎日踊っても誰にも認められない。
今のようにSNSがなかった時代なので実質何もしていないのと同じだ。

それでもビデオを擦り切れるほど観て、独学で踊れるように練習して、掲示板で知り合った人とチームを組んでイベントに出るようになった。
高校を卒業するまでに何か結果を出なければ諦めると決めて、オーディションを送ってはみたが連絡は来ず、就職した。
就職してからも、高校生時代から出てたクラブイベントにはたまに出ていた。ノルマを払って。
それで納得しているつもりだったけど、成人式に楽しそうに生きている同級生達を見て悔しくなった。
楽しそうに生きていて羨ましかった。
自分で決めた金額まで貯金が出来たら辞めて、夢を追おうと決めました。

いざ辞めた後、ダンスを習いに行きました。
多い時は週に13本。
頑張って頑張ってストイックに。

ここでの間違いは、頑張り方。
頑張り方を間違えてしまった。
プロとして生き行く為ではなく、先生に気に入られて先生の作品に出演する為に頑張っていました。
そんなことをしても夢なんて叶わない。
楽しいけど、楽しいのは現実を見ていないから。
そんなことを数年間続けていた時、ある日目が覚めた。

母親が倒れたことと25歳という年齢がきっかけ。
先生のもとをどうにか離れて、就職しました。
適当に生きてきたので、何のスキルもない。
それでも印刷会社に入社させてもらいました。
不器用ながら真面目にコツコツ働いていました。
勤務して数年経つと余裕が出てくる。
Twitterである芸人さんがフェスをやるので出演者を募集していた。
そこに応募したら、運良くソロで出させてもらえた。

自分はまだやれる。
自分は特別な人間だと勘違いしていた。
普段は印刷会社で働いているけど、才能があって、まだ見つかってないだけ。
まだ見つかっていないだけ。
そう思っていた。

林真理子さんとミッツマングローブさんの本を読んだことと、久保田利伸さんが「売れたいならNYではパーティーに行きな」という話を聞いて、色んなところに顔を出して、そこにいる人達と仲良くなろうとしました。
さきほど出てきた芸人さんがやっているバンドのライブにも行くようになり、話をする機会があり、その人がプロデュースするアイドルの振付をすることが決まった。
優柔不断な僕が人生で唯一即決した。
「人生が変わった。」
そう思いました。
人生逆転できると思った。
初めての経験だったけど、本気で頑張った。
曲披露まで時間がない中、作って教えて、それを生配信して、寝れない日々が続き、手が震えるようになった。
他の振付師よりも色んな地下アイドルを見たし、運営の手伝いもした。
とにかく必死だった。

裏方でもいい。
何か表現できれば…。
成功しないと。

そうこうしてると他のとこほから振り付けの依頼が来る様になる。
ドラァグクイーンさんのお芝居やショーの振り付けや演出。
やりながら、学んで、作品を作る。
楽しかった。

ただ、他のプロとして活躍している人に比べると、胸を張って頑張ってるとは言えない。
中途半端。
それに加えて、裏方としてお手伝いをしている理不尽なことも多かった。
成功すれば演者の手柄。
失敗すれば裏方の責任。
元々自分は何を目指していたのだろうかと悩む様になった。
印刷会社の社員として働いていることに対しても悩む様になった。(過去の記事に書いてあります。)

それならと思い、昨年末仕事を辞めた。
勝算があったわけではない。
とにかく一度まっさらになって何かに挑戦してみたいと思った。

2020年に株式会社WACKという事務所主催のオンラインオーディションproject WACKちんが開催された。
しかし、応募しなかった。
参加者が頑張っている姿を見て悔しかった。
2021年そこにチャンスが来た。
今まで残っている参加者に追加で参加できるというオーディション。
お題はtiktok
全くわからん。
35歳のおじさんはよくわらないまま、豆柴の大群の振り真似をした。

結果は不合格。

35歳の不細工が受かるにはもっと工夫が必要だったのかもと後悔。
勝つ為の努力が足りなかった。


このオーディションに落ちた話をMX TVで放送されている5時に夢中に投稿したら放送中に読んでもらえた。
火曜日レギュラーの北斗晶さんが「チャレンジ精神がいいじゃない」と褒めてくださったのが凄く嬉しかった。

とはいえ、誕生日の11月まで対した結果も出せず、このまま色んなことを諦めるかと思っていたところに朗報が。


【WACK初男性オーディション開催決定】
春に受けた追加のオーディションとは別の初の男性のオーディション。
どうしても受けたかった。
年齢も社長の渡辺淳之介さんの年齢までなので受けられる。
どこでもいいのではなく、WACKがいいのです。
ビートたけしさんの番組でも特集された社長の渡辺さんの独特なプロデュース
音楽プロデューサーの松隈さんが作られる音楽
全力で頑張れる環境がある
WACKで初の男性アイドルになりたいと思いました。

応募方法はメールにて上半身と全身の写真
連絡先や年齢や身長体重など。
渡辺さんや所属の先輩方(?)のツイッターのオーディションについてのツイートを探して勉強。

まずは家の庭で写真を撮影。
人に撮ってもらうのはなんか恥ずかしいので、脚立を用意してセルフで。
BiSのチャントモンキーさんが白シャツを着たとのことで真似てみた。
ASPのユメカナウカナ?さんのオーディション写真を雰囲気を真似てみる。
ここで気がついたのは、写真を撮られる側が大変なこと。
もともとのルックスが良くないだけでなく、うまく笑えない。
カメラを向けられて、かわいい笑顔になれるってプロだなと痛感した。

連絡先などを書き、送信しようと思ったが、これだけじゃ勝てないと思った。
それなら志望動機を書いてみることにした。
これがまた難しい。
合宿オーディションを見ていると変に取り繕っているのは伝わらないというのはわかっていた。
書いては消して、書いては消しての繰り返し。
気がつけば1週間経っていた。
早めに送ると人数が多くて埋もれてしまうと思ったからだ。
そうしたらBiSH解散報道。
渡辺淳之介さんと鈴木おさむさんのラジオ対談もあり、色々大変かなと思い、見送ることに。
結局送ったのは、22日の朝。
締め切りまで2日前。

送った後は清々しかった。
こんなにも「ここで頑張りたい」と思えた場所だったので。


24日朝にはBiSHさんが正式に2023年で解散することを発表。
もし受かったら、即戦力にならないとなぁのんて思っていた。

そして、現在。
31日の夜。紅白にBiSHさんが出演されているのを見ながら書いています。
未だ連絡はなし。
つまりは不合格なのでしょう。
ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ。
久々に自分に期待してみた。

35歳。
普通ならこんな風に夢を追うなんてしないと思う。
35歳で夢を追えるのは、今まで頑張ってきた人だけだと思う。
夢はいつからでも叶えられるかもしれないけど、それはほんの一部。
現実を見るとそう思う。

あのまま中途半端に夢を見ていたら、ちゃんと現実と向けあえなくて、いつまでも何かを追いかけていた。
一発逆転なんて奇跡に近い。
奇跡はそう簡単に起こらないから奇跡なのだ。

それに気がつけただけでもよかったのかもしれない。
最後にここで頑張りたいと思える場所に挑戦できて本当によかった。



夢を追わなくなったらどうなるのだろうか。
この時期はM1グランプリもあり、人生を賭けている姿を見れる。
今年は錦鯉さんが優秀した。
長谷川さんが50歳ということで「頑張っていればいつかは」と思うこともあったが、今はどこか冷静に見てる部分もある。
頑張っていればいつか叶う人は真剣に頑張って来た人なのだ。

「いつかは」と思えた希望も無くなってしまう。
テレビで誰かの活躍を見て、嫉妬心にかられても、「俺なんかがそんなことを思ってはいけない。」と気持ちに蓋をしなくてはいけないのだろう。
これからの人生、そんなことの繰り返しになるのだろう。
そう思うと辛い人生なのか。
それとも今までとは違う人生観を見つけて、幸せになるのか。
どうなるのだろうか。

22時23分あと1時間半ちょいで2021年が終わる。
2022年は良い年に。

















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?