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でき太くん三澤のひとりごと その90

◇ 物事の受けとめ方

日々生活をしていると、いろいろなことが私たちのまわりには起きてきます。

先日も善光寺にある「びんずる尊者」の木像が盗まれるという事件がありました。まだ詳しい記事は読んではいませんが、どうやら犯人は何らかの理由でその像に恨みがあったと報告されています。


日々いろいろと起きてくることを、どのように受けとめていくか。

私はそれを両親から教わった記憶があまりありません。
もしかすると教わっていたのかもしれませんが、私の場合、物事の受けとめ方については、自分で悩み、苦しむなかで実践で身につけてきたように感じています。(両親は実践や経験から自分で身につけてほしいと考えだったのかもしれません)


たとえば、「いそがしい」。

この言葉をため息混じりに否定的に使ってしまう場合、「私はきっと期待されているのだ」というように、自分にとって肯定的に捉えられるように言い変えてみる。(これを専門的にはリフレーミングというようです)
そうすることで、自分の物事への向き合い方にちょっとした変化が生まれる。

この捉え方をちょっと変えるだけで、向き合い方も変わってくるというのが、そのリフレーミングの肝とも言えると思います。


私はこの物事の受けとめ方、捉え方というものについては、子どものときから時間をかけて教えてあげるべきだと感じています。

私のように、成人してからいろいろと社会で揉まれながら身につけるというのではなく、子どもの頃から教わることで、無理なく自然にリフレーミングでき、物事の捉え方がいつも肯定的で、前向きなものにすることができたら、どんなにすばらしいことでしょう。

子どもも日々生活する中で、きっと「自分の思い通りにならないこと」、「イヤなこと」を経験していると思います。

それをどう受けとめていくか。

そういうことのひとつ一つを、少しずつ時間をかけて親子で話し合い、一見「イヤなこと」を、自分にとってプラスの経験に変える。

こういう経験を子どもの頃からたくさん経験できたら、きっと子どもは自分の人生を思いっきり楽しむことができ、充実感も得られるのではないかと思います。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、この動画の内容は物事の受け止め方の参考になるかと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=tGVjDn33gLk

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