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でき太くん三澤のひとりごと その116

◇ ダイヤモンド


私は、子どもたちひとり一人の存在をダイヤモンドの原石だと思っているところがあります。

こんなセリフは、どこかのドラマでも聞いたことがあるような気もしますが、私は本当にそう考えています。

ダイヤモンドの原石は、職人さんの技術や経験によって、眩い光を放ち、多くの人を魅了する「ダイヤモンド」へと変わっていきます。

子どもたちもダイヤモンドと同じように、私たちまわりの大人の意識や、社会情勢、学校教育など、さまざまなものの影響を受け、変化し、成長していきます。

その意味では、大切な原石を、ただの石ころのようにしてしまうか、眩い光を放つダイヤモンドにするのかは、私たち大人に委ねられているところが多いといえるでしょう。

ダイヤの原石をただの石ころのようにしてしまう、一番の要因は、子どもの自己肯定感を傷つけてしまうこと。

これ、私たちまわりの大人は無意識にやっていることがあるので、よほど注意が必要です。

とくに新米の学校の先生は、無自覚にそれを行なっていることがあるので、本当に注意してほしいです。


「え!?こんな問題もわからないの?」

「え!3年生なのに九九も言えないの?」

「えーー!5年生なのに、まだ計算に指を使っているの!」

「この前、説明したよね、なんでおぼえてないの?あんたバカ?」

「おにいちゃんは、こんな問題スラスラできたのに、、、なんであんたは、、、」


というような感情的で配慮に欠けた言葉。

受験のため早い時期から進学塾に通い、クラスも席順も成績順。知らず知らずのうちに優劣で決まる環境。

成績が良いものが優れていて、成績がわるいものは劣っているとみなされる。

こういうことを日々経験することで、子どもたちは知らず知らずのうちに自己肯定感を傷つけられていきます。

そういうときは、子どもの自己肯定感を回復させるために、私たち大人が働きかけていけば良いのですが、私たち自身がそういう環境を超えたような常識、価値観、生命観を持っていなければ、子どもたちは輝きを取り戻すことはできません。

どんなにすばらしいダイヤの原石も、私たちによってただの石ころのようになっていくのです。

では、これまでの常識や価値観、生命観を超えたようなものとは、具体的にどんなものなのでしょうか。

まずすぐに例として挙げられるのは、子どもの成長を「学年枠」というようなちっぽけな尺度でみないことです。

これは私にとってはすでに常識ではあるのですが、それは私が教育を仕事としているからそうなるのであって、普通に日々を過ごしていると、なかなかその尺度から自分を解き放つことができないものです。

3年生が、3年生の内容を理解できないと不安になりますし、成績がよくなければ心配にもなります。

でも、子どもたちひとり一人の顔の形も、成長のスピードもさまざまなように、子どもたちの学習のスタートラインもバラバラなのです。

3年生でも、1年生の内容からスタートしたほうがよい奥手なお子さんもいますし、3年生でも中学3年生の平方根が理解できてしまう子もいます。

本当にさまざまなスタートラインなのです。

ダイヤの原石が、眩い光を放つようになる第一歩は、わが子の「スタートライン」から学習を始め、それをコツコツと継続することです。

そして、まわりに惑わされないこと。

成績がよくなくても、今学校でできないことがあっても、本来気にすることはないのです。
自分の「スタートライン」からの学習の中で、「できた!できた!またできた!」という成功体験を積み重ねていけばいいのです。

そうすれば、必ず原石はダイヤモンドへと近づいていきます。

あ、そうそう。

それともう一つ大切なことは、人間というダイヤモンドは、「自分はダイヤモンドなんだ!」という自覚がないと、輝かないということ。

採掘されたダイヤモンドと違って、自覚がないと輝けない。

中学受験や難関高校を受験するようなお子さんは、成績もよくて、知識もたくさんあって、成功体験も数多く経験していたりしますが、どこかで自分を信じることができていないと、なかなか輝けなかったりします。

子どもたちひとり一人に「自分はダイヤモンドなんだ!」という自覚を促していくこと。

これも、子育て、教育において大切なことだと思います。

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