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でき太くん三澤のひとりごと その113

◇ ダナン市の園長先生


先週末、無事に日本に戻ってきました。

まず日本に着いたらすぐにしたかったこと。

それはお寿司を食べること。

帰国する2〜3日前からずっと食べたかった。

日本にいると、そこまでの欲求を感じることはなかなかありませんが、海外にいくとそういう欲求がわいてくるのは、私が日本人だからなのかなと考えたりします。(入国審査のあと、ちょっと割高の空港のお寿司屋さんに行ったのは言うまでもありません)


さて、今回はでき太くんの学習材や理念が導入されることになる幼稚園の園長先生のことについて書いてみたいと思います。

でき太くん導入にあたっての親御さんへの説明会のあと、園長先生とお食事をすることになりました。

幼稚園から車で15分ほどのところでしょうか。

ベトナム料理が中心の素敵なお店でした。

そこで食事をしながら、色々お話をしました。

園長先生は、ベトナムでもとても貧しい村で育ったようで、日々の食事は畑で作ったお野菜や、近くにある川でつってきた魚などが中心で、私たちが今お店で食べているような鶏肉とか、豚肉の料理は、本当に特別なときにしか食べることができなかったそうです。

いったいいつの時代だ?

と思われる方もいるかもしれませんが、園長先生は、40代ですから、今から20年から30年前の話です。

それほど遠くない昔、ベトナムにはそういう村があったのです。

そういう環境の中でも、園長先生は必死に勉強して、日本に留学するという大きな目標を実現することになったわけです。

日本に来てからも、学費や生活費を稼ぐために、平均睡眠時間3〜4時間という生活サイクルの中、必死で勉強して大学卒業にまでいたったそうです。

私はこの話を伺ったとき、その必死さの中で吸収したことのすべて(流暢な日本語など)は、今の園長先生の礎になっていると思いました。

できれば、辛いこと、大変なこと、我慢することを避けたいと思うものですが、それを前向きに乗り越えることができると、私たちは自信や高い能力を手にすることができます。

でも、辛いこと、大変なこと、我慢することを悲観的にばかり捉えていると、だんだん性格が卑屈になるといいますか、いじけてくるといいますか、どんどん内向的になってくるように思います。

園長先生は、貧しかった時代も、留学時のつらかったことも、全部前向きに笑って話ができる。

そんな素敵な方でした。

そんな素敵な方が、心血を注いで今日まで築き上げてきた幼稚園のサポートができることを、私は本当にうれしく思っています。

この幼稚園に、私が今日まで得たノウハウを惜しみなく、すべて注ぎ込むつもりです。

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