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退院。そして新たな旅へ ~第42話 パラグライダーで墜落 そして入院~

墜落してから3ヶ月と3日。 
この日、ついに退院することになりました。

退院直後、病院を出たところでパシャリ。

パラグライダーでの墜落事故。大事故でした。
ランディング直前、地上約30mで乱気流により翼が大潰れ。翼をリカバリーしたり、緊急パラシュートを開くにはあまりに高度が低すぎました。

その後の分析で翼が潰れた後、自分の操作技術が足りていない部分も判明しました。ただ、仮にそれがうまく出来ていたとしても、ほぼ確実に墜落していたのではないかと思います。30mという高さはパラグライダーにとってそれくらいどうにもならない高度なんです。

墜落した場所は石とコンクリートでゴツゴツしていて角ばかりあるような場所。平坦な場所は全体の10%くらいしかありませんでした。状況的には石やコンクリートの角に当たって、死ぬか半身不随になる確率のほうが遥かに高かったはずです。

翼が潰れてから地面に叩きつけられるまで、時間にしてわずか5秒足らず。あまりに絶望的な状況。。。。

そんな中でわずかしかない平らな場所に落ちれたこと。落ちる時に角にぶつからなかったこと。そして現場に偶然にも医者と看護師がいて、ドクターヘリが来る前から処置をしてくれたこと。

信じられないくらいの奇跡が重なりました。

おかげで命に別状はなく、腰、骨盤、左踵、右肘の骨折だけですみました。後遺症も主に左足の表面の触覚異常(痺れ)だけですみました。運動に関係する後遺症はなく、リハビリ次第で90%以上運動機能は戻ると言われています。本当に一体どれだけの奇跡が重なったのだろうと思っています。
(事故の詳細はこちらから↓)

話が変わりますが、事故の後、沢山の人から「生きててよかった。」と言っていただきました。みんな心底そう思って出てきた言葉なんだと思います。本当にありがたいことです。

でも、、、こんなことを書くと怒られたり、批判されるかもしれませんが、、、。正直に言うと、今の自分には「わからない」というのが本音なんです。

自分は事故で死にかけてしまいましたが、パラグライダーで飛んできたことに全く後悔はありません。もう一つのライフワークであり、仕事でもある、写真に関してもそうです。どちらもまだ大きな結果は残せていません。やりのことした事だらけです。でもパラグライダーにしても、写真にしても選択したことに後悔は全くないし、自分なりに全力で向き合ってきたと思っています。だからもしあの墜落で死んでいたとしても「道半ばで。。。」とは思いつつも、納得出来ていたのではないかなと思っています。

でも私は生きていました。それは幸運なことなのです。でも頭に浮かぶのは幸運だったことではないんです。失った沢山のもの。それらを取り戻す大変さ。そこに付随する痛み、苦しみ。そういったものでずっと辛い日々を過ごしているし、どうしてもこの先に関してもそういった苦しみから見えてきてしまうんです。だから、どうしても素直に「生きててよかった。」と今は思うことができないんです。「まだわかんないよ。。。」という思いになってしまうんです。

一方で、もう一人の冷静な自分がいます。客観的に今後を見据えているんです。自分にとって大切な人生の悦びを取り戻した時や、新たに見つけて手に入れた時、心のそこから「生きててよかった」思えるんじゃないかなとも考えているんです。

なので、心底「生きててよかった」と思える瞬間が来るよう、頑張っていくしかないんだろうなと思っています。


話を戻します。
なぜあれだけの奇跡を起こすことができて、生きることが出来たのか。いや、生かされたのか。
神様とかはそんなに信じるタイプではないのですが、あまりにも奇跡が重なりすぎていて、何かの力が働いたとしか思えないんです。

そして、その理由はまだ見つけられていません。。。。
理由が見つからないことに苦しんだ時期もありましたが、今はこう思うようになりました。

自分は事故のあの日から、新しい旅に出たんだと。
生かされた理由を見つけ、その先に続くその道を全うする旅に出たんだと。

そして、本日、退院することになりました。
今までは旅の準備の日々。
今日退院して外の世界に出て長い旅の一歩を踏み出しました。

まずは心底「生きててよかった」と思える瞬間を探す旅です。
そして、その後は「私が生かされた理由」を探していきます。


人生の旅は続いていく。。。


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