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気づくことの価値

日々、目まぐるしく変化する日常。
その激動の中でも、何らかの価値を見出し、世の中に提供し、生きていかなければならない。

果たして価値とは、何なのか、何から、どこから生まれるものかを考えてみた。
そのヒントは『気づき』にあると思い、『気づくこと』の価値は何より大きいことに至った。

世にあるサービスは、有形無形問わず人が創り出すものであり、全ては人から始まる。モノを作り、コトを作り、世に放つ。

人は、目で見たり、耳で聞いたり、触ったり、脳内での欲求を鑑みて、そこで気づいた瞬間に様々な選択と格闘し、次の意思決定を行う。
今、この瞬間も「あ、note書きたい、気づいたことを残したい」と、何らかの感情が芽生え、PCに向かってポチポチしている。
このnoteが価値があるかどうかは別として、気づくことがなければこのnoteを執筆するという行動に至っていない。

気づきにも内面の気づきと外部からの気づきと要因は様々だ。

内面の気づきとは、自分自身に気づくこと。
今自分は「何を考えているか」「なぜそう考えているか」また「自分自身は何者なのか」「どこに向かっているのか」と考えればキリのないことだけど、やはり気づきから生まれる。
瞑想やマインドフルネスが注目されているのも納得。

外部からの気づきとは、自分自身以外の外部から入ってくる情報のことで、この気づきは扱いが非常に難しく、時には自らの取捨選択によってある程度遮断することが必要となる。
インターネットは1990年代半ば以降に普及し、現在ではありとあらゆる情報が溢れていて、今や真偽すらままならない。真の情報のみを集められればいいが、かなり困難だ。
インターネットからの情報以外にも、他者から入ってくる情報にも注意を向けなければならない。噂や根拠のない話などに流されてしまうと、選択を見誤ってしまう。

いずれにせよ、外部からの情報は真偽を確かめるため、相応の知識や確固たる信念が必要となってくる。
いっそ全ての外部からの情報を遮断して、自分自身のみに意識を集中させるのも一つの手段だと思う。


気づくことによって、行動へ移り、価値を見出し、人生にゆたかさを生み出す。
富や名声も必要かもしれないが、それ以前に、周囲に対して笑顔で思いやりを持って接し、感謝を伝えれば人生が少しゆたかになるのではないかな。


今回は1000字程度にまとめようかと思ったので、この程度に。

今ある幸せに気づくことができるのだろうか。
大切な人の想いに気づけているだろうか。
今自分にできることは何だろうか。
今の感情に気づき、向き合っているだろうか。

自問する。


#ゆたかさって何だろう

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