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自分と向き合うってどういうこと?

自分との対話、自分は全てを知っているから、自分と対話して引き出していく。ということ。

ふんふん。頭ではわかる。でもいまいち肚のなかに落ちてゆかない。

私は、いつそうなってもおかしくない状態が長く続いた末離婚を切り出されてから、それまで自分とも、夫とも向き合うことを完全に避けていたオノレに気付いた。いや、気づいていたけど、、

そして向き合うことに覚悟を決めた。

完全に避けていた向き合いというのは。夫婦間にある違和感、鬱々と密やかに、しかしでーーーんと横たわっている、隠れているのに半分顔を出して、ここにいるよ!って常にアピールしていたもの。その顔もでかかった。

それは自分が素の自分、自然にいられない原因。家族が回っていない原因。

巨大な岩のようなそれに、見てみないふりをし続けていた。

かなり無理のある無視っぷりと、まあ、逃げだった。当たり前だけど、逃げても自然解決なんてしていかなかった。

無視するたびに、気づかせようとしてすごい勢いで迫ってくる。これを見たまえと言わんばかりに変なことが次々に起こっていた。

それってのは、結局は自分の中のものが現実に現れていたんだけど。

道でフランス人に罵倒されることが続いた、、自分の怒りや不安やイライラが自分で出せないでいたから、人から使われるような状態だったのだと思う。

あまりにも自分と繋がっていない状態が長すぎて、自分のことがよくわからない、どういう感情を感じているかわからない、それに対してどんな意見を持つのかわからない。

長年に渡り、感情を抑えすぎていて、自分は何が好きで何が嫌いか、何に興味があり、何をしたくないのか。超不感症状態。

その場しのぎで、その場の雰囲気によって言うことが変わるというコミュニケーションを続けていた。


さて、自分と向き合うのにやったことは。まずなぜ私はモヤモヤを感じていて、なぜ離婚に向かって行ったか、近いところから徐々にノートに書いて行った。コツコツ地道な作業だ。

地道だけど壮大なスケールな時空の旅だった。ありとあらゆる思い出せることを思い出し、湧き上がってくる一つ一つの思いを、こうしたかったんだ、こうしたくなかったんだ、こう思っていたんだと 掌に載せてゆく作業。

ああ、あの時の私の悲しみは、イライラは、違和感はこんな理由で悲しかったからなんだ。

と、こうしていたらどうだったろう、こうしなかったらどうだったろうの if時空 へも飛び、全部シュミレーションしていった。

闇のノートも作った。清々しいほど振り切れた禍々しさを綴っていく。

そして、どうなりたいかノート。

そんな感じの方法を友人から教わった。ちょうど同じ頃に同じ感情の流れを超シンクロしていた愛すべき友人。

彼女と共に取り組んだ。神様は、必要なひとを私に引き合わせてくれた。お互いの気持ちをシェアするたびに、私と彼女は前後して違う体験なのに、同じ感情の流れを経験していた。学びそのものだった。

他人軸で生きてきた私は、外側の価値観や状況を超客観視点で物事を捉えようとして、あなたならどうする?というインタビューを友人達に繰り返していた。

聞いたくせに、旦那さんひどいね、とか、信じられないとか、共感に対し、共感してくれること自体すごくありかたかったので、とても感謝なのだけど、

失礼ながら、一般的で古い価値観の答えに対して違う、それは本質じゃないと思っていた。

神から遣わされた彼女との対話で、いつも行き着くのは、

起きていることは自分が作り出したこと

を前提として、では、ここで私はどんな自分と向き合うのか、どんな自分を手放すことを迫られているのか、禅問答のような日々を過ごしていた。自分に問うて、自分で出す。この繰り返し。

そして行き着くのは、

「で、どうしたいのか。私は。」だった。

どんなひどいことでも、どんなネガティブでも、いいから、今の自分が望む未来はどんな自分か、どんな関係をこれから離婚する夫と築いていくのかいかないのか、子供を含む私たち4人はどうなっていたいのか。私はどう生きたいのか。

結局、離婚は免れることができなかった、もっと早くてもよかったけど、この今がベストなタイミングだったという結論にも行き着いた。

結構いい旅ができたと思う。

自分へ話しかける。

ではどうしたいのかと、瞬間的に答えが返ってくるようになった。

これが自分の本当の気持ちなんだな。と朧げに思えるようになっていった。

続く




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