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下敷き、使う?使わない? 子どもって大変だなあ

小学生の子どもの下敷きが割れました。
学校で仰いでいたら、割れたそうです。あるあるです。

休日に買おうという話をしていたのですが、なんやかんやで忘れていて、学校にいく直前に「使える下敷きがない!」と子どもが焦っていました。

「なくてもノートは取れるし、今日は別にいいんじゃない?」と私が言うと、

「先生がめっちゃ言ってくるから」という返事。

「あ~そうなんや…」

前に子どもから聞いていましたが、その先生はどうやらきっちりした方なようで、持ち物が揃っていないと、けっこう注意されるそう。

子どもは、急遽どこかでもらった適当な下敷きを探し出し、それを学校に持っていき、事なきを得ました。

日常の些細なやりとりなのですが、私は「なんだかなあ」と違和感を持ってしまいました。

授業に影響があるならまだわかりますが、下敷きって、正直どっちでもいいんじゃない…?と。

大人であれば、下敷きを使おうが使わまいが、何も言われません。
一方で子どもは、一律で使わなければいけない、という謎。

私の子どもは、使わない方が書きやすいと言います。

昔を思い返すと、私自身も使うのが当たり前だったから使っていたけれど、下敷きを敷いた硬い紙面は、ツルツルして書きにくいと感じていたなあ、と。
だから、いつの間にか使うこともなくなり、今もノートを取るときなど、使うことはありません。

自分自身が必要ないのに、使うように言われるのは、やっぱりモヤッとなります。

別に、先生の方も、悪気があるわけではないのだろうと思います。
その先生の中に「下敷きを使うと書きやすい」という価値観があるのかもしれません。
もしくは「勉強道具が揃っていると勉強がはかどる」という価値観をお持ちなのかもしれません。

また、私は実際の授業の様子をみたことがないので、本当のところはどうなのかと、何とも言えない部分ももちろんあります。

ただ、”先生に注意されるから”という理由で、自分がいいと思う選択肢を選べない状況というのは、やっぱり子どもって窮屈、大変だなあ、と思ってしまうわけです。

そして、持ち物についてあれこれと言われ過ぎることで、本来の目的である勉強そのものに対して、マイナスなイメージがつかなければいいけどなあ、そんな風にも考えてしまいます。

親子でも価値観は違うから

私は子どもの頃、「親や先生の言うことは正しいから、その通りにしなければならない」という固定観念を持っていました。
大人になっても、それは、ちょいちょい顔を出します。
でも、判断基準は、やっぱり自分がどうか、なのです。

だから親として今は、「自分の固定観念を子どもに押し付けないようにしよう」そう思っています。

だって私は、子どもの好きなYouTubeやゲームや音楽の良さが、よくわからない。
でもそこには、確実に私とは違う価値観、私の知らない世界が広がっていて、それがいいという人達が沢山いて。
子どもには、その世界が見えているわけです。

そうは言いつつも、私自身、完璧にできているわけではありません。
完璧にするのは、難しいとも思います。
固定観念は自分に染みついていて、空気の様にあっても気づかないことも多々あります。
だから無意識のうちに、自分の考えを押し付けてしまっていることもあるでしょう。

なので子どもには、親の私をはじめ、他人の言うことが、自分にとって良いことなのか、そうでないのか、自分なりに考えて選択する、そうしてもらえるのが一番いい。
そして、それができる環境づくりが、親としての私の仕事なのかな、と日々思っています。

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