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休むということ、そのいち



「休む」ということについて
幼い頃はまったく意識してなかった。




言われてみりゃ、そりゃそうだ。
ごはんも、お風呂も、睡眠も、
生きるために当たり前にしていた。
呼吸みたいにしていた。



自分を癒そう〜とか、自分の時間を大切にしようとか、睡眠7時間は取ろうとか、そんなことは意図せず、ただ生きている中で気づいたら終わっている感じ。休息は足りていた。



それくらい
無意識にしていた営み、「休み」が、



大人になって、
働く仕事の時間、
働かないお休みの時間。

はっきりと「仕事」と「お休み」が時間という区切りで明確化されたことで、より意識的に「休み」をするようになった気がする。



わたし、仕事しながらご飯とか時間の境界線が曖昧な感じが得意ではない。「休みは休み、休みます。」「はい!ここまで休み!」「仕事モードON!」と区切りをつけておきたいタイプらしい。しっかり休みは謳歌したい。仕事は仕事モードで行きたい。と気づいた2年目の梅雨。



余談だが、一時期ほんとに仕事が終わらなくてお昼を早めに切り上げないといけないときはちと嫌だったな〜。昼休みなのに電話がなったら取る文化も謎だったな〜。お昼に業務の話当たり前に振られるのもちと違うねえ〜。と、休み時間と仕事の時間の境目が薄くなること、私めちゃめちゃ嫌じゃん、と気づき。(笑)



いってしまえば、家族や自己を大切にし、仕事から離れて過ごす、2ヶ月くらいの長期休暇欲しい。フィンランドやーん。



1日の休みも、昼寝の休み時間ながめに欲しい。スペインやーん。



お昼は権利なのだから、1時間しっかり休もうよと思ってまう。だから、お昼をしっかり取れるように逆算して終わらせたり、外出て仕事から物理的に離れたりしちゃう。



川沿いピクニック、パン屋さんまで散歩。ちかくのお寺で一息、ランチや珈琲屋さんやカフェ。アイスやジェラートを食べたり。町の方との交流でくすっとしたり、お散歩中の犬や赤ちゃんに癒されたり。ランチに焼き肉をかました時は、仕事の合間に、こんなことして良いのかな〜っていう謎のドキドキ感もたまらなかった。




日本のみんなは、働きすぎだと思う。
っていつか小説家の誰かが言ってたな。



大学でいろいろな国の学生と出会ってこそ、
日本人は真面目で誠実。と思う。

 


嘘つかないし、全然サボらないし、約束は守るし、謙虚だし。自分が我慢したり、多少犠牲になることに対して抵抗が低い民族だなあと思った。もちろん1傾向としてね。




そんな真面目な日本で、日本人として、日本人と働いて、1年とちょっと。

  



日本人は働きすぎだなあというよりかは、「休み」に対してもっとカジュアルで、柔軟で、自由だったらいいのにな!と思った。



弊社では、有給は十分に取れるし、もちろん取りますって言って断られたことはないけれど。サービス業という背景から?体調不良でもしないとおやすみを消化している様子がない、なんて人もざらにいる。このまま休みの権利消えるのか?と思うと勝手に心配になる。誠に勝手にね。

 

まあ人のことは変えられないので、
まずは自らが上手にちゃっかり休む
「休みの先駆者」になるぞ、
「定時即帰宅隊長」になるぞ、の気持ち。


他の皆様もどうぞどうぞ、休みませう。
と支え合い、休みやすい雰囲気をつくってゆこう〜という運動を勝手に行っている。



正直それくらいしかわからない笑




今有難いことでこんなに休みやすいけれど、いつか私も業務過多で休めなくなるのか?と思うと、不安になる。その時、なんだこの柔軟性の欠如は!と、突発的にやめてしまいそうである。(極端かつ、不安感強すぎ)



それくらい私にだって休みは大切で
守り抜きたいものなのだ。




もちろん、
休みに対する価値観は人それぞれ




だが、これだけはいいたい。
休みには罪悪感はゼロだよ〜◎



やすんじゃえ!権利だから⭐




梅雨のじめじめ、
なんかやる気でないな〜
のときもみんなむりせず。
自分の心や体を、しっかり休めてね🐏



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