野口晃菜
「異質との対話」の経験値が排除をなくす
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「異質との対話」の経験値が排除をなくす

野口晃菜

この十数年ひたすらどうしたら「誰も排除されないインクルーシブな社会のための教育」が実現できるのかを考えてきた。

博士課程での研究、小学校での非常勤講師、教育委員会での教育ビジョン策定、市民のための市民による教育サークル、民間企業での直接支援、人材育成やサービスづくり。

実践と研究を繰り返せば繰り返すほど、毎回気づきは更新される。

最近更新された気づきは、
「異質との対話」の経験値が排除をなくすことにつながるということ。
排除をなくすためには、一人ひとりがその経験値をあげる仕組みが必要ということ。

私たちは本能的に危険を察知して回避したり排除したり攻撃したりする。これまでに出会ったことのない「異質」なもの、自分とのちがいが大きい人に対して危険を感じることがある。だから排除する。もしくは、「異質さ」を同情したり、見下したりして、距離をとる。

一方で、「異質と感じる人と接したらむしろ楽しかった」という経験が多い人や、「異質と接するの当たり前」な環境で過ごしてきた人は、異質さとの対話に慣れている。いろんなちがいを感じる人と対話をした経験分、キャパが広がる。どんな想定外なちがいに出会っても、それは危険なことではなく楽しいことに置き換わったりもする。

もしくは、一見「怖い」と感じる異質な人でもその人の背景にあるストーリーを知ることで見方がかわることもある。誰にだって背景には想定しきれないストーリーがあることが分かると、ちがいは怖くなくなる。攻撃性の背景に恐怖があることが分かったり。

それでも「異質」は怖い。頭でわかっていても実際は怖いし、もし攻撃されたら背景にどんな理由があってもムカつく。私もそう。一度、それで「全員」を受け入れようとしたらしんどくなったし。

ひとりだったら全部の「ちがい」を受け入れることは到底無理かもしれない。
でも、最近分かったのは、ひとりでなく、複数だったら大丈夫かも。

誰だって排除したくない。されたくない。
でも私たちは基本怖がりなもの。
だから、ひとりじゃなくて、複数で対話をしたらいい。そして、その対話の分だけ、排除するちがいは減ってゆく。だんだん慣れていく。

すると、実は、自分が大きく「異質」と感じていた人だけじゃなくて、全員ちがうということがわかってゆく。
「特別」と「特別じゃない」なんて分けられない。カテゴリーで括るなんてむり。
一つの物差しでみた時の大きな「ちがい」は、もう一つの物差しでみたら小さな誤差だったりする。

「ダメ絶対!」と叫ぶのも一つのやり方だけど、対話をしてみたい。
ひとりだとしんどいから複数でしたらいい。
そういう場や機会を仕掛けていきたい。
そして、小さい時からたくさんの「異質」と接することがが「当たり前」な社会をつくりたい。

そうしたら、ちょっと、インクルーシブな社会に近づけそう。ちょっと一時期あきらめモードだったけれど、「対話の力」に気づいてから、また希望を持ち始めた。

「対話」のヒントをくれる本

森川すいめい
「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」

斎藤環
「オープンダイアローグとは何か」

※「あたし論」はこちらに移動しました。
これまでのはこちら
※写真は先日行ったエディンバラ。

#インクルージョン #ソーシャルインクルージョン #インクルーシブ教育 #オープンダイアローグ #対話

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野口晃菜
インクルーシブ教育、インクルーシブな社会のための研究と実践を行き来している人。博士(障害科学) noteは発信と日記のために使っています。個人としての発信であり所属する組織とは関係ありません。