Dr. Holiday Laboratory 『うららかとルポルタージュ』と 二兎社『鴎外の怪談』観劇&思う

と、ツイートしました。
もうちょっと思うこと書きたいと思っているけれど、どうかな、書けるかわからん。
追記できたら、しよう。

ちょ、ちょっとだけ、書く。
作品それぞれのことじゃないけど、観劇そのもので思うこと。

わたし自身が出る創る側でもあり、はたまた観る側でもあって。
演劇と呼ぶのがよいのか、アートとかお芝居とか作品というのがいいのか、続けていくうち、そして自分の変化もあるのだろうけれど、それらをなんと呼ぼう、と、モノによっちゃぁしっくりくるこないとかあったりもすんだけど、まぁそんな細けぇことは置いといて、、、
演劇と呼ぶとすると、
演劇の力みたいなもんが時折自分の中で揺らぐというか、なんかでっかい言葉で雑に言っちゃうと絶望感みたいな感覚がうまれることが正直ときおりある。
その詳細な意味を伝えるのには、できるだけ今自分の中にあるまま言語に変換する作業があって時間かかるから端折るけど、まぁそうで。
今がそのときおりの時期かというと、うーん、そこまでじゃないけど、なんだろうか、何かを見て、靄を感じることもあったりもする。

でも、昨日今日と観劇して、ああこうやって、わざわざ足を運んで観ること、体験することでしか得られないモノはやっぱり確かにあるなってことを思った。
それは、わたしにとって、とても喜ばしいこと。
やっぱり、というのは・・そうなのだ。
そういう感覚をわたしは得たことがあるし、
出る創る側として、そのそっち側だから、みたいなshould的思考ではなく、結果論的思考だけども、わけもわからず演劇はじめたわたしは、ああこうやってやること、つくること、みること、これらを体験することが今のわたしの人生の中に在ってよかったって思うの。

コントラストを感じること、前はネガティブに感じていた。
今もネガに感じないってことではないけれど、コントラストを感じられることはいいことなんだなと今は思える。
絶望を感じるのは希望を知ってるから。
希望が在ることをわたしは知っているから。
だからこそ、絶望というものを感じることができるんだなーって思う。

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