秋の訪れを好む人

 ぽたり、一滴の墨が紙に染(し)みていくようだとはよく言った表現だけれども。きっとそれは染(そ)まるともいうのだ。山の木々たちが次々に染まり始め冬に向かう季節。私はこの物悲しくも情熱的な季節が、昔から好きだった。
 絵をかくとき、筆が真っ白な紙を縦横無人(じゅうおうむじん)に埋めていくのが好きだと思う。そこに浮き上がってくる私の世界。この世の輪郭(りんかく)をそっと撫(な)でているような感覚。
 私の伴侶(はんりょ)も幸運なことに、絵を描くことが好きで、絵があれば人見知りな私でも、その心の内をお伝えできた。水を多く含んだ色たちが混ざり合うように、少しずつ心を寄せあう。そうして、一枚一枚と日々を重ねていったのだと思う。
 元来(がんらい)私は、愛のようなものに疎(うと)かったのだと思う。伊勢に斎宮(さいぐう)として下り、神に仕えていたのは、案外私にとっては幸いなことだったのかもしれない。清浄(せいじょう)が満ちた場所で、一つのシミもない白い装束(しょうぞく)をまとい、清く暮らす日々。神と共に暮らす日々は、なにも描かれていない、何にでもなれる料紙(りょうし)のようだった。白い生活の中で、私には母だけがずっと、色濃く染まり切っているように見えた。
 幼い時に亡くなってしまった、顔も朧気(おぼろげ)になってしまった父。父に深く愛された母。母はきっと自分でも驚くくらいに、胸の中で火を燃やしていた。自分でも持て余してしまうほどに。多分きっと、おっかなびっくりしながら母はその炎に身を任せたのだろう。産まれてからずっと一緒だった。伊勢に下った時でさえも。私の世界にいつもいた母は、とびきり艶(つや)やかで色の深い炎が連れて行ったのだと思う。その血が私にも流れていることを、愛に対する執着の薄さから不思議に思うこともあったけれど。きっとそれは血なんかではなくて、誰の中にも流れているものなのだと、ようやくわかってきた。
 誰かと夫婦になることを考えなかった訳ではないけれど。前東宮(ぜんとうぐう)の娘として生まれて姫宮として扱われ、斎宮(さいぐう)にもなった私にとっては青天(せいてん)の霹靂(へきれき)のようなものだった。伊勢に下るとき、別れの小櫛(おぐし)を、名残惜し気(なごりおしげ)にさした風雅(ふうが)な朱雀院(すざくいん)も。内側から光が漏れ出ているかのように輝いている年下の若い帝も。まして、母が身を亡(ほろ)ぼすほど焦がれた恐ろしいほど美しい人など。考えたこともなく、ただそこに身を任せているようで。私は氾濫(はんらん)した後の普段より大きな激流(げきりゅう)を、危なげに流れていく木の葉のよう。何度も水に飲まれそうになる度に、後ろから押していたのは母かそれとも神の御加護(ごかご)か。若くして父も母も亡くしてしまった身としては、これ以上ないくらいに幸運に見舞われている。定められた方のもとに嫁(とつ)ぎ、愛を受けて穏やかに過ごした日々。そこに愛情がなかったこともないと思うけれど。私には他の妃(きさき)や、世間の男女、まして母のような炎を胸に燃やすことなど、ついぞないのだと思っていた。もう余生(よせい)も残り僅(わず)かかと思われる人生の晩年(ばんねん)。私の伴侶(はんりょ)は若く美しい姫君を迎えた。私の後見人(こうけんにん)だった、源氏の院の養女でもあった玉鬘(たまかずら)の君の長女。冷泉院(れいぜいいん)は若かりし頃に玉鬘(たまかずら)の君にご執心であったのだから、その姫君ともなれば関心も一際(ひときわ)だと思ってはいたけれど。久しぶりの姫宮と、どなたもお産みになれなかった若宮を産まれるとは。院の御寵愛(ごちょうあい)は並々ならず、日ごとに増すようで。今まで見ていた人が、日ごとに違う人になっていくようだと思う。
 長年私と競い合っていた弘徽殿(こきでん)の女御(にょうご)様だけれど、私個人としてはとても可愛らしい人だと思い続けている。たしなみ深く気後れするほど重々しいけれど、どこか優し気で嫉妬も朝ぼらけの霧のように柔らかくして。どこまでも上品な人だと思う。情が厚く嫉妬深いのは右大臣家の血筋(ちすじ)なのだろうか。王女御(おうにょうご)も血筋(ちすじ)にたがわぬ高貴さで、近づき難(がた)いような気さえする気位(きぐらい)の高さが、清廉(せいれん)さを際立(きわだ)たせていた。決して好きという気持ちがあって、伴侶(はんりょ)となったわけではない冷泉院(れいぜいいん)に、私は自分でも自分の想いを量りかねていた。好きという気持ちがなくとも結婚することは、決して珍しくもないのに。他の妃(きさき)たちを見るにつけ、何故そう自然に好きになられるのだろうと不思議でならなかった。私の年下の伴侶(はんりょ)を慈(いつく)しむ気持ちは、他の妃(きさき)や母のようではなかったから。
 眩(まぶ)しそうに産まれたばかりの若宮を抱き、若く美しい姫君と寄り添われるお姿。じり、と少し胸が熱くなる感覚。感慨(かんがい)深く、これが嫉妬なのかと思う。いささか穏やかすぎるような日々の中で、私は私なりに慈(いつく)しみを重ねて、一つの想いにしていたのだと。ようやく、本当にようやく気が付く。寂(さび)しいのだ、私はきっと。重ねた思いが、大きく言うと愛に含まれるのかどうかは、私にもわからないけれど。私は寂(さび)しく、いま秋の夕暮れのようだと思う。冷泉院(れいぜいいん)も姫君も恨(うら)みはしない。ただ、この秋の夕暮れのような寂(さび)しさの中で、私にもようやく秋がやってきたのだと思う。昔、源氏の院に春と秋どちらを贔屓(ひいき)をするかと問われた言葉に、私は亡くなった母が思い出される秋にゆかりを覚えると言ったけれど。その時からきっと、私はわかっていたのだ。無意識のうちに。母や周りの者たちに刷(す)り込まれ、とうの昔に知っていたのだ。秋の夕暮れの燃えるような赤さと、その情熱的に見えるのにもかかわらず拭(ぬぐ)えない物悲しさを。春は芽吹きの季節、夏は盛りの季節、冬は静かな蓄えの季節。では、秋は。秋は実りの季節。花は実を結ぶと萎(しお)れ、花の命と反比例するように実はたわわに実る。冬を耐え抜き、春に芽吹きまた栄えるために。残酷なほど実り色づく。幼い頃は木の葉が色を変えるのを、寒さに頬(ほほ)が赤くなったからだとか、秋の龍田姫(たつたひめ)に恋をしているからだとか、あれこれと想像してみていたけれど。そのどれも正解で正解じゃない。少なくとも私は、寒さでも秋の女神に恋したのでもなく、あの人に恋して、いま紅葉している。花が同じ色では咲かぬように、紅葉もまた一枚一枚違う色に染まる。私は母も他の妃(きさき)たちの秋も美しく、比べようもなく愛おしく思う。
ならば、私におとずれた小さな秋も愛おしく思おう。たとえどんな色に染まろうとも。いつか必ず、なにかは実るのだから。

                 <完>

参考文献 源氏物語 二~八巻 訳 瀬戸内寂聴


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