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台湾ネコ、日本ネコになる。

うちには猫がいます。
御年11歳の立派な老ネコ。

名前はかりん。一応オスです。
台湾の保護ネコ施設からもらった猫。

当たり前の話なんですが、仕事って楽しいことばかりではなくつらいことも多いわけです。
生活に癒しと潤いと張りが欲しいなと思ったとき、猫を飼いたいと思いました。

せっかくなら保護ネコをと思い、いろいろな譲渡会を見て回ったり、施設に行ったり。
そんな中で出会ったのが我が家のねこでした。
彼は一度譲渡されたにもかかわらず、もらい手を噛んでしまい、出戻りになった不憫なやつでした。
「子猫なんだから噛んだりすることもあるよね~」と、施設のお兄ちゃんと意気投合。
ちょっぴり気性がアレなことに気が付くのはだいぶ先のことで、このかわいそうな猫を、人間不信になる前に私が助けるの!という思いでいっぱいで引き取ることに。

確か引き取りには、仕事が安定しているかとか、年収とか、飼育環境、そして外国人なので帰国することになったらどうするか、などの聞き取りがありました。
ドキドキでしたが、審査に通り、晴れて台湾猫の引き取りが決まりました。

ちなみに、引き取り時に保護の費用の一部負担(つまりは次の猫の保護費)として2,000元支払い受け取り完了。いい仕組みだと思います。

猫の里帰り歓迎。1年に一度は猫の近況を報告することなども引き取りの条件になってました。

さて、かりんちゃん。出戻り経験があるためか、最初は遠慮がちでベリーキュートな子猫だったのですが、ご飯をよく食べ育つのとともに、態度も肥大していきました。これも「ザ・ネコあるある」。
大事な家族としてふてぶてしくも愛しい存在となりました。

その数年後、諸事情あって夫が先に帰国したこともあったりで、私自身も帰国することにしました。

かりんを残して帰る選択肢はなかったので諸手続きを粛々と進めてきます。
当時は台湾には狂犬病が発生しておらず、猫や犬などのペットを連れて帰るのも比較的楽でした。(それでも日本の検疫所に問い合わせしたり、事前に書類を見てもらったり、台湾で健康診断に行ったり、マイクロチップが日本の検疫所のもので読み取りできるかあらかじめ確認したり、台湾側の証明をもらいに大学施設にいったり、もらった書類にミスがないか穴が開くほど眺めたりなど、そこそこ苦労はしました。)

書類不備があると日本側の空港施設にて長期間留め置きになり、出入りの業者に世話を頼むか、自分で毎日通うかになるとのことで、毎日関空まで通うのは現実的ではないし、世話を頼むと恐ろしい金額になることは明白だったので、関西空港について、検疫所でOKをもらうまでは、言い表せない不安が心に渦巻いていました。

結果はなんなくOK 。やった!

本人は、飛行機に乗ったストレスでしばらくしょんぼりしていたようですが、数日たつと以前のように元気になったそうです。(私は猫を運ぶための一時帰国だったのでその後を知らず)

それから1年弱。

狂犬病と混合ワクチンの接種に、ご近所の動物病院を訪ねました。
余談ですが、日本では猫に狂犬病ワクチン接種はしないとはつゆ知らず打ったのは混合ワクチンだけ。(たしか台湾は猫も犬も基本的に必要だった)不思議です。なぜでしょう。

接種前に、カルテを作るための住所や猫の名前、性別、年齢などを問診票に記入していきます。
種類を書く欄があったので「MIX」と書きました。
我が家のかりんは保護施設生まれの立派な「雑種」ちゃんですからね。

かりんちゃん、いやいやながらも接種を終えご不満顔。素知らぬ顔でお金を払い、接種の証明をもらい帰路に就いた人間。

台湾にいた時と変わらず、病院の帰りは人間不信の我が猫。帰宅後押し入れの奥に消えていきました。

しばらくして、ふと開いたワクチンの証明書。
そこには「うえのかりん」「オス」「日本猫」という言葉が並んでいました。

日本猫!!!!ジャパニーズキャット!!

先生はMIXもしくは雑種という言葉に抵抗があって日本猫と記入してくれたのでしょう。

でもね。先生。かりんは実は台湾猫だったんです。
飼い主の紆余曲折に付き合って、日本にやってきたかりんは、こうして図らずも国籍?猫籍?を変えることになりました。

苦笑いしつつ、ああそうだな。わたし日本に帰ってきたんだな。と改めて思った懐かしい思い出。

今では大阪にいる期間のほうが台湾にいた期間より長くなり、台湾にいたときのように、素敵な知り合いや友人が増えました。

飛行機は怖かったと思うけれど、部屋の日当たりは台湾時代より良くなり、かりんも幸せそうです。 

台湾でもらったご縁、大事にするから、まだまだ元気で長生きしてね、かりんちゃん。

カバー写真はマックスデブのころ。今はふた周りくらいやせてます。

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