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なぜ台湾雑貨屋になったかというと⑥

台湾留学から戻り、就活を始めた私に舞い込んできた台湾での就職話。

聞けば、沖縄の観光機関の台北事務所での勤務で、所長代理とのことでした。

沖縄と台湾をつなぐ仕事!しかも駐在扱い。ってことは条件も悪くない!(実際に院卒の小娘の初任給としてはなかなかない金額と待遇)
ふたつ返事で飛びついたのは、皆さん想像に難くないでしょう。

今思えばミラクル。台湾以外の韓国や県外の事務所長代理は、みんな酸いも甘いもかみ分けたおじさまたちばかり。

新卒で、バイトくらいしかしたことない私にお鉢が回ってきたのはまさにミラクル(人材不足が深刻)でした。

ちなみに所長は本社の部長が兼任。台北にいるのは私とサポートしてくれる台湾人のスタッフ1名。
正確には観光の事務所は県の事務所の中にあって、県が2名と、台湾事務所を作った旅行社スタッフ2名と同居で6名体制ですが、基本的に業務は別。

私の仕事内容は、台湾の旅行客を増やすことにつながるあれこれを行う何でも屋さん。
観光案内したり、資料を作ったり、ニュースリリースしたり、旅行社との会議、視察ツアーに同行したり、他の国みたいに旅行社や航空会社のプロモーションにもっと協力(金出せ)しろと怒られたり。偉い人の通訳をしたり。

それはもう大変でした。仕事もしたことがない小娘なのにこなさないといけないことはたっぷり。しかもまわりには「所長」として見られる重圧。
仕事を始めてから半年は、帰宅してから冗談抜きで毎日家で泣いていました。電気を消して眠ることができませんでした。
今回この文章を書いても書いても進まず、その⑤と間がぽっかり空いてしまうくらいに実はトラウマのようです。

ほんとうに毎晩、「明日なんて来なければいいのに」と思っていました。

もしかしたら仕事は実はそんなに大変ではなかったかもしれません。
でも中国語以外(いやそれすらも前任者と比べると怪しい)何のスキルもない小娘には、最初の1年は地獄でした。

いろんなことを吹っ飛ばして所長代理になるものではないな、と思います。

(…と言いつつ、わたしがやめるとき、後任に推薦したのも新卒女子で、たぶん彼女も同じことを思ったと思います)

この時、血反吐をはく思いでつとめた所長代理という業務。
少なくとも台湾では責任のある立場で、台湾と沖縄の観光の窓口として勤務させてもらった経験は、その後もいろんなところで役に立っていると思います。

そんな台湾駐在生活を支えてくれた夫といっしょにいてくれた友人たち、同じ空間で働いていた沖縄事務所のみなさんには、心の底から感謝しています。

その後、徐々に仕事にも慣れて、余暇なんかも楽しめるようになり、充実した日々を過ごしていたのですが、社会人から大学生に逆戻りしていた夫が卒業。

台湾での就職を考えたのですが、当時台湾での就職には「大学を出てから2年以上の就労経験が必須」という規定があり、大学を出る前の社会人経験はカウントされないという衝撃的で残念な宣告を受けた夫は、日本にもどり就活をはじめます。

夫が大阪で働きだし、日本に戻ってから1年がたったころ、私も台湾から日本に帰国することにしました。

理由はいろいろ。子どもを産んでも働き続けたい、正社員になりたい(契約だった)、夫と離れていたくない。

海外で生活することに少し疲れたこともあったかもしれません。

20代のほぼすべてが「台湾」だった私の台湾生活は、次のステージを意識したことで終わりを迎えました。

大阪に戻ってからの方が大変だなんて、その時の私は知る由もないのでした。

なぜ台湾雑貨屋になったかというと①
https://note.com/akikoueno/n/n3047ab953b43

なぜ台湾雑貨屋になったかというと②
https://note.com/akikoueno/n/n7c301e2d5368

なぜ台湾雑貨屋になったかというと③
https://note.com/akikoueno/n/nb611fd7b7310

なぜ台湾雑貨屋になったかというと④
https://note.com/akikoueno/n/n1a76dab3d5c9

なぜ台湾雑貨屋になったかというと⑤
https://note.com/akikoueno/n/nd45549494c5d

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