図書館讃歌

日々、この町が好きになっていきます。

好きな所はたくさんあるけれど、ひとつ挙げるとしたら図書館の多さです。

オアハカの町は、歩いて(あるいはバスに10分でも乗れば)どこにでも行けてしまうサイズなのですが、そんな小さな町でこんなにも図書館が多い町を他に知らない。公立、私設含めて、知っている限りでも10つあります。

よく通っているのは4つ。今日はどこにしようかなと、朝から真剣に考えたりします。

図書館で原稿を書いていると背筋が伸びてきます。本棚から古いインクの匂いが香ってきて、ここに並ぶ一冊一冊ができるまでにかかった時間と情熱に恥じない仕事をしようと思います。

謙虚にもなります。どんなに素晴らしい本を書いたとしても、それが何冊売れたとしても、最後はこの蔵書たちの仲間に入れてもらえるか、後世の人たちにとって残すに値する知識や物語になのかが問われている。もしいつか、光栄にもその棚の仲間に入れてもらえるのだとしたら、それは文字が始まった何千年も前から人々が探し編んできた何万冊、何百万冊と知識や物語に僅かに新しい文脈を沿える行為を許されること。欲張らず、与えられたこの命とチャンスを生き、言葉を正直に綴ることしかできない、と気持ちがすん、としてくるのです。

図書館にいると五感が整っていきます。

目で見えること、手で触れられること、インクの匂いを嗅ぐこと、静けさに耳を澄ますこと。自分の命よりも長い時間を感じているうちに、第6感が目覚めて、次に書き付けたい言葉を探し出してくる。雑念が消えて、私自身は透明な筒になっていくのが分かるのです。

味覚の方もご安心。オアハカの図書館には、ギャラリーカフェと併設されていることが多い。そうでなくても外に出て少し歩けば、屋台や小さな食堂に、食べる物を見つけることができるし、家に帰ってご飯を作って出直すことだってできる。

熱く苦い珈琲をひとくちすすれば、その味が漂う妄想を戒め、自分はまだ死者の側にはおらず泥臭く書いて生きていくしかないことを、思い出させてくれるのです。

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