コーチングを勉強したらコミュニケーションがめちゃ楽になった話
人と話すのが苦手だ。もともと内向的な性格で、特に初対面かつ大人数の場は好きではない。
2019年に、ZaPASS社が提供するコーチ養成講座を修了した。
心の底からコーチングを勉強して良かったと思う。
人と話すことに苦手意識を抱かなくなったことで、日常生活のコミュニケーションが豊かになった。
人の話を聞いていないことに気づいていなかった
コーチングを勉強するまでの私は、人の話をまるで聞いていなかった。いまでこそ雑談の重要性を痛感しているが、とにかく雑談が大嫌いだった。
雑談している時間があるなら仕事をしたかった。
成果につながる話にしか興味がなかった。
メンバーから相談されたことも、成果が出るなら何でも良かった。
話を聞いているようで、まるで聞いてなかった。
タチが悪いのは、人の話を聞いていない自分に気づいていなかったのだ。むしろ、メンバーから相談されたことに柔軟に対応できていると思っていた。
話を聞かない上司は捨てられる
話は変わって、20代の頃、メンバーの話を聞かない他部署の部長を呼び出して「人の話を聞いてください!」と訴えたことがある。
自分が困っているわけでもないのに、訴えながら涙が出た。
たった一言「私の話を聞いてください」と言うことに、こんなに勇気が必要であることを私は知らなかった。
そして、同じことを私もしているかもしれないと思うようになった。
こういう話を聞くたび、それは、自分のことだと思った。
私の仕事は、メンバーなしに成し遂げることができない。そのメンバーが、私とのコミュニケーションを諦めたとしたら、終わりだと思った。
自分の感情を知らない人が、人を分かるはずがない
私は内省が苦手だった。昔から、内省や感情に目を向けることから逃げてきた。自分の痛みに触れたり、見たくない自分に向き合うことに抵抗感があったし、そのやり方が分からなかった。
コーチは「内省が必須の職業」だと言う。
コーチングを勉強する中で、自分の原体験や痛みに素手で触りに行った。それはとてもざらざらとした出来事であったけれど、いかに自分の感情をスルーしてきたかを痛感した。そしてようやく、人の感情もスルーしていた自分に気づくことができた。
私は、共感したふりをしていたのだ。
感情にこそ"多様さ"がある
話はまた変わるのだが、以前、社会人学生として通っていた大学で「文章講座」を受講したことがある。その頃、自分らしい文章が書けないことに悩んでいた。
その講座で、「感情を起点に文章を書きなさい」と教わった。「事実の羅列は誰でも書ける。でも、自分の感情だけはオリジナル。自分の感情から書き始めてみましょう」と。
その出来事を通じて、嬉しかったのか、悔しかったのか。
ちなみにその頃の私は、いろいろな経験をしても「なんか普通」と雑に処理することが多かった。
自分の感情をスルーし続けてきたのだ。
いま思えば、メンバーとの雑談よりも仕事をしたかった頃、総じて、コミュニケーションの仕方が分からず、仕事に逃げていただけだった。
いまも人と話すのが苦手だし、大人数の場も好きではない。メンバーの話を聞いていないときもある。
人はそんなに変わらない。
でも、コーチングを勉強して、自分の感情を表現できるようになった。人の感情や多様さにライトを当てられるようになった。共感できるようになった。
コーチングモードになれば、人と話すことに苦手意識を抱かなくなった。
コミュニケーションが本当に楽になった。
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