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弱さを共有することについて−リーダーシップの陽と陰−

今年4月に、NPO法人ヘルスケアリーダーシップ研究会(通称"IHL")の理事に就任した。IHLはヘルスケア領域のリーダーシップを活性化するために研修プログラムを提供している団体だ。

私は2016年に8期としてIHLに参加した。異業界からの飛び込みではあったが、ヘルスケアに従事する素晴らしい仲間に出会った思い入れのあるコミュニティだ。

IHLが提供する研修プログラムは1年間に渡って運営される。今年4月から13期生を迎えた。

5月のテーマは「リーダーシップ」。NPO法人クロスフィールズ代表理事の小沼大地さんを講師にお招きした。私自身、経営に携わる者として、非常に興味深く、刺激をいただいた。

リーダーシップが切り拓く可能性

クロスフィールズは、国内外の社会課題の現場と働く人をつなぐことで、課題解決とリーダー育成の両方を目指す「企業の若手人材向け留職プログラム」を提供している。

「留職」という前例のない新たなビジネスモデルを、大企業を巻き込んでどのように実現していったか。小沼さんや集まったメンバーの使命感からくるリーダーシップが熱の渦となってまわりの人に伝播し、障壁をひとつずつ乗り越えていく様子は、胸に迫るものがあった。

このあたりの仕事観は、ぜひ小沼さんの著書を手にとってみてほしい。

私自身、インターンから6年間、前例のないサービスを立ち上げようと奮闘した。「世界で一番、この社会課題について考えているのは私たちだ」と自分たちを奮い立たせながら、手応えなき日々を奔走した。

人の思いが事業をつくるのだということを知った。

リーダーシップの在り方がマイナスに作用するとき

小沼さんのお話で印象的だったのは、リーダーシップの陰の部分。思い当たる節がありすぎて、胸が痛くなった。

組織化していく前のチームは、同じ船に乗り、同じ未来を目指して、同じ目線で、同じ速さで漕いでいると思っている。組織の状態が良いときは実際そうなのだろう。だからこそ、トップの影響は組織全体にダイレクトに行き渡る。

良くも悪くも。陽も陰も。

取り巻く環境はいつも同じではない。メンバーとの目線が大きく乖離しているときに、いつもどおりリーダーシップを発揮すると、ときにそれがマイナスに作用するのだ。

自分を受け入れた分しか、人を受け入れられない

私自身、メンバーにこんなフィードバックをもらったことがある。

「あなたの前では弱音を言ってはいけない気がする」

たしかに私は、リーダーたるもの弱音を言ったら負けだと思っていた。チームを率いる者として、模範であるべきだと思っていた。常に前向きであることを自分に課していた。

メンバーは気づいていた。私に弱音を言っても無駄だと。

聞いているようで、まるで聞いていないと。

なんでもない。ほかならぬ自分が、自分の弱い部分を認められていなかったから、メンバーの弱音を聞く余白を持ち合わせていなかったのだ。

自分の弱さを認識する作業は、ときに痛みを伴う。ずっと蓋をしてきた原体験にタッチしなければいけないこともあるだろう。

小沼さんが経験された組織のハードシングスも、胸にグサグサくるものだった。

リーダーシップを発揮するとは、人との関わりあいの中で、自分の陰の部分と向き合わざるをえない経験とセットなのかもしれない。そして、そうした分だけ、人を受け入れることができるのだ。

弱さを共有するとは

著書を読んで、この一節が目に留まった。

そもそも「若者はその時代に足りないものに対してハングリー」なのだ。

『働く意義の見つけ方』

これまで良しとされてきた価値観が、いよいよ、次の形へと脱皮しようとしている。正解が外にない時代に出来ることは、自分の深層にアクセスして、横たわっている思いに触れることだ。

その思いを実現するために、ひとりひとりのリーダーシップがぽこぽこと発揮されるチームをつくりたい。粒感は問わない。

リーダーシップの総量が増えた分だけ、弱さが共有される量も増えるといい。そうやって、自分の手の届く範囲からインクルーシブな世界にしていきたい。

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