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企業イメージはなんで作らないといけないの?

なんでロゴを作るのにこだわらないといけないのか。なんで企業イメージが大事なのか。なんでカラーは統一しないといけないのか。

恥ずかしながら、少し前まではそれらの重要性...は知っていても、「そこまでお金や時間をかけてやるものではないんじゃない」と思っていたのである。そんな温度感がシビアになったのは、とある仕事の話がきっかけだ。

自社にある商品内容をそっくりそのまま他社にパクられてしまい、気づけばパクリ元のほうが本家よりも知名度が上がってしまったと聞かされたのである。

でもこういう話、アプリやゲームでは結構ある話じゃないだろうか。

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例えば、海外発のSNSサービスなんかは、日本へのローカライズが甘かったり本格的な浸出を渋っているのが普通だ。Yelpは日本浸出の検討にかなり時間を要したと、数年前に参加したセミナーで中の人が言っていた。また、海外発のサービスでは日本語の精度が甘いものが多い。海外のサービスを日本人 の考え方や趣味嗜好にマッチするように”ローカライズ”した日本発のアプリは、気づいていないだけで結構多い。

資本力やうまいマーケティング手法を知らない海外企業は、気づけば国内サービスにシェアをとられていた、みたいな事例もあるだろう。(それでもStackOverflowやQuoraなんかのサービスはガッツリシェアを持っていこうとしている渦中にある。)

コーポレートアイデンティティの起源として例に挙げられるのは、宗教団体や軍隊(ローマ帝国とかスペイン軍)

企業イメージを作って、自己紹介カードをみんなに見せようぜ、と動こうとするのは宗教団体や、軍隊など、ある一定数の人数をかかえた団体にそういった意識が働くのは想像に易い。「デザイン的思考」の著者も例としてあげている。

特に昔はSNSなどなく、風の噂で尾ひれも背びれもついてしまう可能性...情報が正確性を保ったまま伝達されない可能性は今より大きいはずだ。少なくとも「本当のことを知りたい」と思ったときにホームページは存在しない。「他の似たような団体にパクられてしまうことで、自分たちの持つイメージが傷つけられる。なんとかしないと」とか「他の団体と我々はある利点のある無しで明確に差別化されるのだ」とかきっとそういった意識やリスクは昔のほうがうんと大きかったのではないか。

企業イメージはなんで作らないといけないの?

集団が地理的にも人数的にも大きくなれば、情報伝達の不正確さのリスクは高まる。そこで、被雇用者たちや公共の人々に対しても表明できる「自己紹介カード」とそれを抽象化したシンボルがなくてはならなかったから。

例えば、間違った噂が独り歩きしたり、その集団の権威を利用し不正行為を働くものが出てきたり、戦時中の場合それは人を勘違いで殺めてしまう恐れがあるかもしれない。

我々はOOであり、OOと思われたい存在で、周囲の人間もOOだと思ってくれる、XXとの大きな違いは△△であり、__とも違う。今ここにいる我々がOOなのだ。

ある程度多くの社会的認知がなければ、ブランドを作ることの重要性を理解するのは難しいかもしれない。が、ある程度大きくなったらきっとどの企業も考えるに違いない。


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