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【第9回】でも、あいつはこう言い張ってた。『ちえりちゃんはそんな娘じゃない』って:「二人、いつか稲穂が輝く場所で」

 やっとの思いでグラスをテーブルに置いた。そのまま、わたしは手を額に当てた。手についていたグラスの水滴が額を伝い、目に入った。わたしは目を強く瞑り、また呟いた。

「そんなこと」

 額から頬に流れた水滴を、涙だと勘違いしたのだろう。男はあたふたと自分の上着からティッシュを取り出した。

 わたしは、女が泣けば男は自分が悪いような気持ちになるものだと知っていた。今した仕草は無意識のものだったけれど、わたしの心の何処かにはその男の習性を利用しようとした部分があった。

 自分のそんな狡賢さを田守にあげたかった。わたし自身を彼にあげることは出来ない。けれど、そんな風に、適当に世を渡る術を少しでもあげられたならばと思った。

 田守の上司はわたしの様子を勘違いしたまま、おろおろとしていた。すいません、大丈夫です。わたしはそう言った。

 それから、しばらく沈黙が続いた。男は胸に溜めた息を全部吐き出すかのように深く深く息を吐いた。わたしと彼の間で今更、通常のキャバクラ嬢と客のような話が出来る訳がなかった。

 わたしはただ無言で一向に飲み下すことの出来ない感情を、口の中に詰め込まれた泥のように味わうばかりだった。

 彼がまた口を開いた。

「俺さ。よく相談されてたんだよ。あいつから。ちえりちゃんの本当の気持ちを知りたいって。でも、こう言っちゃなんだけどやっぱりお店の娘だろ。向こうは仕事なんだよって俺も言ってたんだ。でも、あいつはこう言い張ってた。『ちえりちゃんはそんな娘じゃない』って」

 すみません、とわたしはもう一度言った。すみません。そんな言葉では済まないからすみません、なのだと思った。

 「いい年してあいつがうぶ過ぎたのが悪いんだけど。ちえりちゃんは全然悪くないけど」

 男はわたしの謝罪に、そう言った。

「ごめんなさい。謝るのは違うと思います。でも、ごめんなさい」

 わたしは、そう繰り返した。

【10に続く】


※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。

 小説版『腹黒い11人の女』はこちら。奄美大島では、名瀬と奄美空港の楠田書店さんで売っています。

さて、前回予告した「キャバクラ嬢の罪深さ」にスポットを当てた、Webコラムにしては長い短編の第9回です。

全11回の予定で、すべて原稿はあるので、随時アップしていきます。

胸が痛むけれど、気に入っている短編でもあります。
よろしければご覧くださいませ。


作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。