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【Vol.5】好きな男がいるのに他の男とセックスする女:早苗

 浮気をしたことがない、と言い切れる人間は、今、この世にいるのだろうか。どこからどこまでが浮気で、どこからどこまでが浮気じゃないのか、浮気をしたら、されたらどうするか。いつでも、そんな話は巷に溢れていて、誰もが食傷しているのではないかと思うが話は尽きない。

  ちえりは、今、先日、「彼のことが大好き」と言いながらも、昨日、家に泊まった別の男が忘れていった靴下が臭過ぎて困る、と言いながら、けらけら笑う早苗の話を聞いている。


A story about her: 早苗

 早苗は、わたしが勤めるキャバクラの後輩の友達だ。後輩と一緒に体験入店したものの、早苗はいい加減な性格で遅刻を繰り返し、罰金を取られ、それに対して文句を言って店に出なくなった。まだ19歳で、四国から今年の春に上京したばかりだ。今は、結局、親の仕送りで暮らしている。

 早苗には今、好きな男がいる。早苗いわく「人生で最大に最高に好きな人」で、いつでも、どんな話をしていても場所も文脈もわきまえず、彼の話をしまくっている。

 だが、しかし、早苗は尻の軽い子で、酔っ払った勢いで平気で他の男を家に上げてしまう。そして、それを「嘘をつきたくないから」という理由で、その好きな男に全て話すのだそうだ。

「その話をされて相手はどういう反応するの?」

 わたしの質問に、早苗は、ビールと一緒に出てきたプレッツェルを口で咥えながら、話し出した。

「うーん、『へぇ』って感じ。でもさ、わたし、一度『やっぱり違った』って振られてるんだよね」

 話を聞きだしてみると、早苗と好きな男は現在、付き合っている訳ではないらしい。だが、その『やっぱり違った』発言の後も、結局は連絡を取り続け、互いの家を行き来し、相変わらず、早苗は彼のことが好きであるそうだ。その状態を、早苗は、好きだけど、付き合いたくはないからそれでいい、と言っている。

「どうして、付き合いたくはないの?」

 わたしは早苗に質問をした。

「もし、付き合ったら、『この人は自分のもの』って思っちゃうじゃん。それで、無くなったら辛いじゃん。だから、かな。このままの方がずっと楽でいい」

「そっか。その、このままがいいって、そうやって他の男とかとも適当に遊んで、って感じってこと?」

 そうだね、実は全然気持ちよくもないんだけどさ。

 早苗はそう続けて、また、けらけらと笑った。

「じゃあ、何でするのって自分でも思うんだけさ。わかんないんだよ。でも、気持ちよくも何でもないけど、安心するんだよ。好きな人とセックスしてる時よりずっと」

「自分のものにしたいと思わない相手だから?」

「なのかな。わからない」

 早苗は、そう言ってまたプレッツェルをかりかりと齧った。

 どうでもいい相手と一緒にいる時は楽だ、という気持ちは私にもわかる。どうでもいい相手にはどう思われてもよく、だから、何も考えることはない。

 はっきり言って店にいて客を相手にしている時のわたしは常にそうだ。

 だって、彼らが見ているのはキャバクラ『黒い11人の女』にいる女『ちえり』なのだ。

 店が開いている限りは、セット料金と指名料さえ払えばいつでも会えて、いつでも水割りを作り、たばこに火を点け、トイレに行ったらトイレのドアの前でおしぼりを持って待ち、「あなたが帰ってくるのを心待ちにしていました」と健気な笑顔を作る架空のキャラクターなのだ。

 けれど、本当に好きな相手には『架空のキャラクター』で接することはできない。

 だって、本当に好きだから。

 本当に好きな相手に、『架空のキャラクター』を愛されても、虚しいだけだから。

「もし、付き合ったら、『この人は自分のもの』って思っちゃうじゃん。それで、無くなったら辛いじゃん。だから、かな。このままの方がずっと楽でいい」

 早苗は、先ほどこのように言った。わたしにも、その気持ちはよくわかった。

 人をどうしようもなく好きになることは、根本的に独り相撲で空回りだ。相手が自分をどう思うかを汲々として知りたがり、犬のように相手の好意を乞い願う、とても苦しい作業だ。そして、その空回りは、とても疲れる。

 その時に、他の自分を好いてくれる男といると、その空回りが少し落ち着くものだ。

 けれど、それは、結局、何の根本的解決にもならない。早苗の好きな男は、他の男をいつも部屋に連れ込んでいる彼女をどう思っているのだろう。少なくとも、それが嬉しいと感じることはないのではないか、とわたしは思う。けれど、早苗はそうしてしまうのだ。

「でもさ、そうしていたら、いつまでたってもその好きな彼は早苗のことを好きになってはくれないじゃない? まあ、寝取られ願望的なそういう性癖の人も世の中はいるけどさ」

「わかってるんだけどさ」

 なんかね、直面するのが怖いんだよね。

 早苗はそう続けた。

 早苗が言う直面するということは、どういうことなのだろう。

 早苗が言っていることは、彼が自分を好きになってくれる、ことではないような気がした。

 もしかしたら、早苗が彼のことを好きだ、ということなのかもしれない。

 彼のことが好きな自分を認められない。直面するのが怖い。

 けれど、自分を好いてくれている相手を自分も好きになることは出来ない。

 どうして、そうなってしまうのだろう。

 わたしは、ビールをもう一杯頼みながら、考える。

 もしかしたら、早苗は、自分が何よりも可愛いくせに、自分のことが好きではないのかもしれない。

 少しぬるくなったビールが喉を滑り落ちると同時にそう思った。

 わたしもその点、全く一緒だ。傷つきたくないし、嫌な思いもしたくはない。そう、わたしは、自分が可愛いのだ。

 だけど。

 そんな風に自分が何よりも可愛いくせに、「自分のことが本当に好きか」と聞かれたら、きっと、わたしは言葉を濁す。

 自分のことが好きじゃない。

 だから、自分が、その男のことを本当に好きだということから逃げたがる。

 自分のことが好きじゃないくせに、自分のことが可愛い。

 だから、自分を傷つけない相手、どうでもいい相手を回りに置く。

 けれど、それは本当に自分を大事にしているということでは、けしてない。

 そして、自分を大事に出来ない人間には、きっと人を大事にすることも出来ないだろう。

「もっと自分を大事にしなよってよく言われる。でもさ、大事にするってどういうこと? そこからまず教えて欲しい」

 早苗は唇を尖らせてそう呟く。わたしは、無言のまま、足を組み替えた。

 自分を大事にするには、まず大事にすべき自分を明確にする作業が必要だ。

 自分が、何を大事だと思うか、何を守り、信じていきたいかを知ることが必要だ。

 その作業に一切の誤魔化しは効かず、それはある意味とても厳しいものである。

 もしかしたら、早苗が直面したくないのはそのことかもしれなかった。

 自分は、自分自身を大事にすべき人間だろうか。してもいい人間なのだろうか。

 そして、誰かに大事にされるにふさわしい人間だろうか。

 わたしも、自分に問いかけた。「うん」とは言えなかった。

 けれど、「誰のことも大事にしなくても、されなくてもいい」とも思えなかった。

 好きな男がいるくせに他の男を部屋に連れ込む早苗のように、私も大切なものがあるくせに他の何かで誤魔化そうとしていた。

 誤魔化し続けていたって、どうにもならないのはわかっているというのに。

 店の時計の秒針がかちりと鳴った。こんな風にどうしようもない気持ちでいる間にも時間は過ぎていく。

 わたしにも早苗にも、今、若い女であることぐらいしか世間的には価値がない。その短い時間が刻一刻と過ぎていく。

 早苗のビールの泡はもう消えていた。こんな風にあぶくのようにわたし達はもう明日にでも、無価値なものになる気がした。

 帰り道。冷たい夜風に、上着の身頃をかき合わせた。誰かが暖めてくれたらいいのに、と思う。けれど、例え体を暖められても胸の中で吹き荒ぶ風でからからと鳴る虚しさは、けして消えはしないだろう。

「寒いね」

 早苗が呟いた。

「寒いよ」

 私は、冷たい頬を撫でながら、そう返した。

 電球が切れかけちかちかしているネオンが、残像を残して目の端で消えた。


かつて、ちえりをやっていた2022年の晶子のつぶやき

※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、半フィクションコラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。

あ、あと、トップ画像に使っている女性の唇の写真は、当時の友人たちのもの。女性同士のおしゃべりがテーマの半フィクションコラムなので、友人たちに協力してもらって撮影しました。コラムに登場する女性たちと写真の女性たちに関係はないです。

 小説版はこちら。そろそろリニューアル再出版と電子化を考えています。

 ちなみに奄美大島・名瀬の楠田書店さんと奄美空港内の楠田書店さんには在庫あり!

 小説版を読みたい方はぜひ楠田書店さんでお買い求めくださいませ。

 さて、作品としてはこの寒々しく心許ない感じが気に入っているこのコラム。

わたしにも早苗にも、今、若い女であることぐらいしか世間的には価値がない。その短い時間が刻一刻と過ぎていく。

上記noteより。

「若い女じゃなくなったら、一体どうすればいいんだろうね」

 これは小説版『腹黒い11人の女』のカバーの袖に大きく印刷された言葉で、小説執筆当時の約20年前は「女のルックスの最高値は20代前半まで」というのが一般的な価値観だった。
 それに対するカウンターカルチャーとして、いわゆる3Gとその時代呼ばれていた雑誌、『GLITTER』(トランスメディア株式会社)、『GLAMOROUS』(講談社)、『GISELe』(主婦の友社)が創刊されたのが、2004年から2005年。わたしはライターとして一番創刊時期が早い『GLITTER』で読み物ページを毎月20ページぐらい担当していた。

“エイジレスな女を目指す25歳から30代のファッション・マガジン”

 雑誌『GLITTER』のコンセプトはこれ。

 このコンセプトが決まる背景には、前述の「女のルックスの最高値は20代前半まで」という価値観が当然とされていた時代があった。

 確かにこの時代、20代前半までならモード系、ストリート系、ギャル系、女子大生系など、それぞれの好みやタイプに合わせたファッション誌が無数にあった。

 けれど、20代後半から30代の女性に向けたファッション誌はまるでなかった。

 あるとしたら、もう完全に要はママ雑誌。ファッションの特集と言えば、姑に嫌われない服特集ぐらいしかなかったの、本当に。

 25歳過ぎたら、若い頃のような恰好はしちゃダメ。ミニスカートもショートパンツもダメージデニムもピンヒールもファーのコートも着ちゃダメ。ていうか、そもそも結婚してなきゃダメ。家庭を持ち、旦那の実家に尽くし、子どもを育てていい学校に入れなきゃダメ。女がお洒落やメイクを楽しめるのは20代前半だけ‼ それ以上の年の女は相応に地味な格好をしておばさんとして家の中にいろよ。

 当時の日本の女性誌のありようはまさにそれだった。

 今ほどインターネットもSNSもなかったこの時代、女性のありようや生き方、憧れを担っていたのは、明らかに女性ファッション誌だった。

 しかし、25歳以上で独身で仕事が好きで、楽しく生きたいと思っている女性たちを励ませるような雑誌はなかった。

 その「どうしていいかわからない女性たちを励ます」先駆けとなった『GLITTER』の立ち上げ当時に仕事ができたことは、わたしの雑誌ライターとしての誇りだし、一番最初に企画して自分で全部手掛けた記事が読者アンケート1位をとったことは、わたしの人生の中で忘れられない出来事だよ。

 ああ、わたしも、これからどうしていいかわからなかった。好きでもない誰かと、したくもない結婚をして、着たくもない服を着て、誰かの言うことを聞いて生きていく以外、若い女じゃなくなったら道筋はないのかと不安で、怖くて、苦しかった。

 でも、そんなの、本当は関係なくて。

 そう、それこその本当は、楽しくてキラキラしたことがわたしの心の中にも、皆の心の中にもあるってことなんだよ。

 だから、この記事を書けてよかった。それを表すことができてよかった。

 あなたは一人じゃないって言えたなら、伝わったなら、それは、わたしも一人じゃない、みんな一人じゃないってことだもの。

 そういう気持ちは、雑誌の記事でもWeb連載でも、書籍でも、もちろんプロデュースしているアパレルブランド『ILAND identity』(現在は休止中。復活までしばし待ってね)、わたしの作品に一貫しているところだし、だからわたしには根強く素晴らしい読者がいらっしゃる、とわたしは堂々と言うわ。だって、作家は、読者の方がいてこその存在だから。

と、当時を思い出して熱く語ったら、なんと一度休刊していた『GLITTER』が復活していたと知りました。

 びっくり! 現在のスタッフさんと面識はないが、とても嬉しい。

 実はこの『GLITTER』の仕事をしていた時代のライターとしての自分をモデルにした小説があるんだよね。ほぼベースはできてる。

 あの頃のわたしとみんなに、今を生きるわたしとみんなに、読んで欲しい物語だよ。

 良いお知らせを画策するわ。

 それじゃあ、またね!


作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。