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コロナと外出、再分配

コロナウイルスの感染が拡大し始めて、数ヶ月が経つ。沢山の人が亡くなったり、症状に悩まされたりしていることは、いたわしく、他人事ではない。

一方で、私たち親子も含め、幸か不幸か、要かつ急の外出を繰り返しながら、生き伸びている方も数多くいらっしゃると思う。

ここでは、ひとり家庭と言う意味で、所謂、社会的弱者の生活がコロナを通じていかに変わったか、記してみたい。


はじめに、気軽に外出できなくなり、人に会わなくなったことは、実の所、私たち親子にとって、プラスの効果をもたらしていると言える。

外出しないからお金が減らないと言うことの他に、大きいのは、「週末だから外出しなければ」、「子供を外出させた方が良いのでは」と言った考えから、自由になったことである。

コロナが始まる以前は、私たちも人並みに外出していた。公園、プール、動物園、商業施設、大学、職場、レストランやカフェ、友達の家。外国人夫婦の知人や幼稚園の知り合いと出かけることも多く、教会のイベントやフェスの類、スケートやキャンプにも行ったことがある。反対に、友達が家に遊びに来ることもよくあった。その頃の写真を見ると、楽しそうな感じはするが、また行きたいとはあまり思わない。

ロックダウンを経て、コロナが始まる前から、外出する必要もさせる必要もなかったと気が付いた。

「子供は小さいうちから、色々なことを体験をすべき」、「ひとり親家庭だから、外食、外出できないなどということはない」などと言うアウトゴーイングな考え方は、私の周りにも少なからず存在するが、コロナの洗礼を受けて、私も子供も、基本的にはインドア志向であることが判明したからだ。

これだけ外出できなければ、さすがに外出したくなるかと思ったが、そうはならなかった。住居の敷地内での軽い運動や買い物ついでの散歩、子供の父親など家族との面会を除く外出は、二人とも概ね必要とは考えていない。

夏休みともなれば、実家に長期滞在したり、友達と外で遊んだりすることもあるが、学期中は毎日、宿題もあり、それどころではなかった。

今や、こちらから連絡したいと思う人以外、知り合いに会うこともなくなり、インドアな考え方が間違っている可能性を不必要に疑わなくなっている。そもそもコロナの存在がある以上、家での生活が一番と言う考えは、今や公認の、推奨されるべきものなのだ。万一、アウトゴーイングな知人から連絡が来ても、この公式見解を理由に断れる。

週末に行く所がないことを嘆き、自分たちは幸せではないのでは、などと考え、子供に対して罪悪感を持つこともなくなった。意識だけは、マイノリティ側からマジョリティ側に移行したと言える。

この意識の上でのマジョリティな感覚を支えているのが、コロナ給付金他、公的な支援や手当の充実である。以前は奢侈品と諦めていたもの、例えば、ユニクロよりちょっと高い子供服、外国のおもちゃ、音の小さな扇風機、児童文学シリーズなど、必ずしも必要ではないものも買えるようになった。いつまで続くか分からないが、安いことを理由に、品物を選ばなくて良くなったのは幸せなことだ。

また、感染のリスクや、在宅、失業者の増加による治安面での変化を考えると、食料品や日用品の買い出しも、一部はオンラインで行い、宅配してもらうことが真っ当だと言う見方も成り立つ。宅配には、当然、宅配料がかかるが、これも必要経費だと考えるようになった。

その結果、近くに駅や市街地のない場所に住む我々は、自転車で都度、買い物に出かける手間を省けた。宅配料を払っても、人混みの中、買い物したり、重い荷物を持ち帰ったりしなくて済む方がずっと良い。また、時には外食したければ、Uber Eatsを頼む方法もある。


このほか、コロナを機に、勤労を理由とする外出をもなるべく回避したい人、家でなるべく多くの時間を子供と過ごしたい人にとって、有利に働いているのが、多くの職場における在宅勤務制度の導入である。病気と言うほどではないが、対人関係に難が生じ易い私にとっては、これ以上にない朗報だ。

これで、新しい仕事を探す上でも、本業として在宅で収入を得ることを目指せるようになった。私が今まで従事してきた、英語を使った事務や翻訳、アシスタントと言った職種は、必ずしも対面で行う必要がないことも多いためか、在宅のポストが増えて来ている感じがする。私も、実は最近、一つ仕事が決まった。

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コロナ禍で富裕層が所得を増やす一方で、サービス業関係者など、休業や失業を余儀なくされている人も多い、と聞く。しかし、外出自粛のマインドが、ある程度、人々に定着し、所得の再分配が進行することによって、またコロナを機に、これまでの社会通念に変化が生じることで、一部の貧困層や社会的弱者においては、ミクロな救済が進んでいる可能性がある。

あるいは、AIの登場がもたらす機械化、自動化により、人間しかできないことや人のアイデアに対して、大きな対価が支払われるようになると言われる中で、AIが得意とする一つの作業への特化とはおそらく逆の位置にある、庶務や事務と言うマルチタスク的な仕事が、コロナ禍にあってもいまだ必要とされ、在宅と言う働き方の選択肢を増やしていることは、お金はなくても、勉強や仕事をしながら生活を楽しむと言う、まさに人間にしかできないことを推奨する当noteの趣旨が、ただの道楽以上のものであることを、いくばくかは証明しているものと思われる。







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