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朝ごはんとサラダの効能。

昨年の暮れに『日曜日はプーレ・ロティ』を出版した。

本には、「ちょっと不便で豊かなフランスの食暮らし」というサブタイトルがついている。不便だなぁとか時間かかるなぁとか苦々しく思ったいくつもの体験に、面白いことや発見がいくつも潜んでいたよ、という、私が渡仏してから20年ちょいの間に経験して気づいたことを、食のシーンを軸に書いた。

当初書いていた原稿から、全体の筋を考えて削ったエピソードは少なくないのだが、その中に、「私の人生の中でも3大転機のひとつ」と言及したことがあった。

そのエピソードは、私の食生活、いや、生活の土台を担っているものだ。本に書いていることは、もちろん全部実体験だし、本当のことなのだが、言ってみれば、とてもきれいな話でまとまっている。

でもね、あるんですよ。こういう体験をしたから、ここを大切にしようと思った、というもう少しリアルな部分が。もしかしたら、読んでくださった方の中には”もうちょっとなんていうんだろう、素敵な話ばっかりじゃなくないか?” って物足りなさを覚えた方、いるんじゃないかなぁ?

ということで、当初の原稿からまず削られたものを含め、本には書かなかった、私の食暮らしにおける裏エピソード(実はそっちが土台ってことも)を、これから少しずつnoteに書いていきたいと思う。

食べることは体と直結している。

本に書いたのは、タイトルにもした「日曜日はプーレ・ロティ」(プーレ・ロティ=ローストチキン)に代表されるフランスの食習慣をはじめ、食材の見方や扱い方、食事の時間を違う角度から捉えたことで気づいたこと、それによって自分が工夫することになったことが中心だ。

風景が思い浮かぶような食のシーンを集めたつもりだ。食べる行為は一生続くことだし、だからやっぱり楽しくて嬉しい方がいいと思う。こんな楽しみを見つけたよ〜と伝えたい気持ちは強かった。

それを最優先させると、また別の機会にしたほうが良いテーマが出てきた。食べることで起こった体の反応についてだ。”食べること”は体と直結しているし、特に私は、”食べること”が仕事の一つでもあるから、体に負担がかかる経験も少なからずしていて、人体実験さながらのエピソードには事欠かない。

はじめは、そんな”体の変化エピソード”も書く気まんまんだった。前述の「私の人生の中でも3大転機のひとつ」は、渡仏して半年も経たないうちに起こった出来事で、もうそれは私の人生をある意味覆すくらいの大きな変化だった。

ところが、そのエピソードに対して、編集者さんからNGが出た。

「人生3大転機のひとつ」

では、その「人生3大転機のひとつ」は何だったのか。

渡仏して4ヶ月経ったところから始めたホームステイで、極度の便秘が治ったのだ。

それによって、どれだけ心が軽くなったことか。この変化で得たことを維持するために外せない習慣が、今の私の食生活の土台になっている。

その経緯と考察を、本にしたら2ページちょっとくらいのボリュームで書いていた。それでも、とても個人的な話ではあるから、私にとっては「これを語らなかったら私の食生活は始まらないよ」と言いたい気持ちでも、かなりコンパクトに書いたつもりだった。

ところが編集者さんから初見で大きなバツがつけられた。

「これ必要? 他人の便秘の話なんて誰も知りたくない」

添えられたコメントを見て、へ???とびっくりした。同時に、もう私の食生活が根こそぎ否定されたような気にもなった。

同時に、面白い!とも思った。

確かに、全く便秘に苦しんだことがなくて、かつ、私のことを全く知らないけれどたまたま本屋さんで私の本を手にとってくれた人が、例えば、パリの素敵な食のシーンをポワポワ想像して読み始めて、便秘の話がいきなり出てきたら...... 嫌悪感を示すこともあるかもしれない。

何よりも、一番最初の読者となる編集者さんが、嫌悪感を覚えたのだな、とそのコメントから感じられた。

生理的な話というのは、感じ方に個人差があるだろうし、リスクといえばリスク。私は、腸と向き合わなくて、食生活の何が語れる?と思っているけれど、お腹に問題を抱えたことのない人は、そんな風には思えないかもしれない。編集者さんのコメントに、こんなに人によって感じ方は違うもんなのだなぁ、と感心してしまった。

伝えたいのは「便秘」がテーマなのではなくて、体の変化があまりに顕著に起こったことがきっかけとなって、”食べることでの体の変化”に正面から向き合うようになった、ってことなのだけれど、最終的に、全体の流れを考えて、「今回はやめておこう」とバッサリ削除した。

と、これから書こうとしていることには、何せきっかけだったので、便秘解消の話が含まれます。ちょっとそういう経緯についてはいただけないな、って感じられる方は、ここまでで読むのはやめていただいた方が良いかも!です。

『日曜日はプーレ・ロティ』をすでに読んでくださってる方も、そんな本あったんだ!知らなかったって方も、食べることでの体の変化に興味のある方は、良かったら読んでみてください。

サラダと朝ごはんがきっかけじゃないだろうか?!

インスタグラムでも、#サラダでごはん、と時折タグをつけているが、サラダには特別な思いがある。

本にも書いたが、ホームステイ先の夕食は、毎晩、スープとサラダから始まった。その時に覚えたドレッシングとサラダの用意の仕方は、その後、自分の生活に取り入れて、すっかり溶け込んでいるものだ。

そこでの発見は、用意の仕方だけではなかった。ホームステイを終えて一人暮らしを始めた時に、ともかくサラダを毎日食べよう、と考える別の理由があった。

私は、高校生(もしかしたら中学生)の頃から便秘に悩まされてきた。1週間滞ってしまうことも稀ではなく、週末は、漢方薬局で買うセンナ茶を煎じて飲んだり、「ピンクの小粒」で知られる便秘薬を常用していた。一時ひどかった時には、通常2粒とされるところを、4粒服用していたほどだ。そうじゃないと効かなかった。渡仏してからも、ホームステイを始める前、寮に住んでいた頃は、週末になるとピンクの小粒にお世話になっていた。

それが、だ。

ホームステイを始めてから、毎朝、お通じをもよおすようになった。便秘の悩みを抱えたことのない人にはイマイチぴんと来ないかもしれない。でも、便秘の上に水分で浮腫んでしまった暁には、1週間で2サイズ近く上がるような症状を抱えていた私には、実にセンセーショナルだった。

問題は、どうして解消されたかがわからなかったことだ。

元の状態に戻るのは恐怖でさえあったから、なぜ解消できたのか、どうすればこれを維持できるか、それはもう真剣に考えた。

色々と私なりに分析をして、思い当たったことは2つ。

まずひとつ目は、毎晩食べていたサラダだ。ホームステイ先では、大きなガラスのボウルに毎晩必ずサラダを作っていた(詳しくは、本を読んでいただけたら!)。あんなにも毎日たくさんの生野菜、それも葉野菜を食べたことはそれまでなかった。繊維質をたとえたくさん摂っても、油分が加わらなければ詰まってしまう。野菜から摂取する水分量が十分にあったことと、ドレッシングの油をあわせて摂るのが良かったのかな、と考えた。

それと、スープとサラダから始まる食事だと、最初から主食としての炭水化物を食べない。まず、野菜を食べてからメインのタンパク質に移行する、その順序も功を奏したのかもしれない。パンを一緒に食べたとしても、パスタひと皿をいきなり食べる状況と比べたら、そのボリュームは比ではない。

私は、パスタもごはんも、炭水化物が大好きで。それをやめる必要はないだろうけれど、ともかく、サラダを食べ続けよう!と思ったわけだ。

もうひとつは、毎朝決まった時間に朝ごはんを食べ、そしてその後にお手洗いの時間を確保していたこと。

私が滞在をしていた家には、5人の女の子(全員20歳前後。23歳の私が最年長だった)がホームステイをしていた。下の階に3人、上階の隣人宅を間借りして、もう2人。各階にバスルームとトイレはあったけれど、ごはんはみんなで揃って食べる。生活しているうちに、だいたい誰が最初にシャワーを使い、誰がごはんを食べた後にシャワーを浴びるか、というようなサイクルが出来上がってくる。

トイレも例外ではなかった。朝、学校に出かけるまでのタイムスケジュールは分刻みだ。私は、いちばん初めにシャワーを浴び、朝ごはんを食べ始めるのも最初、食べ終わってから身支度(お化粧)をしていた。自然に、毎朝同じ頃にお手洗いの時間も組み込まれていた。

そのルーティーンが効果大だったのではないか、と思ったのだ。朝ごはんの量がだいたいいつも同じたったのも良かったのかもしれない。朝ごはんだけではなく、夜も、夕飯の始まる時間は決まっていた。そのことも大きかったと思う。

これは、私個人の体質と、たまたま結構そうなっただけのことで、他の人にも同じ効果があるかはなんとも言えないし、オススメです!と言うこともできない。サラダが便秘解消に繋がるとも、朝ごはんを食べることが便意をもよおすとも言い切れない。

そして、学生だったその時と、大人になってからの生活サイクルは、やはり異なる。食べることが仕事の軸の一つとなった今は、別のルーティーンがあるし、学生の頃に思い至ったやり方を実践し続けているわけでもない。

けれど、「便秘解消から得た、ホームステイにおける食生活の考察」とでも言おうか。食生活と生活習慣が変わることによって、体が思いもよらない変化を起こしたことは、フランスで知った食生活を見つめる最初の大きなきっかけになった。

フランス人は、お米を食べると便秘になる、と言う。

これは、”風邪をひいたらコーラを飲みなさい”と言われるのと同じくらい、フランスでは通説だ。

とはいえ、子供の頃から主食としてお米を食べて育った日本人と、添え物としてたまにお米を食べるくらいにフランス人とでは、体質も違うだろうし、それっていい過ぎじゃないかなぁ、とは思う。

ただ、一理あるかもしれない、と思うのも確かだ。お腹を壊したときに、白米だけを食べて随分と改善したことがあった。それで、普段私は滅多に白米を食べない。食べるとしたら玄米にしている。

繰り返しになるけれど、便秘が解消されて感じた、新陳代謝が順調なことでの快さったらない。頭痛からも解放され(便秘がひどいと頭痛にも悩まされる)、それとやはり、肌が変わる。水がひと所にずっとたまっていれば濁るように、体の中も同じだろう。

何より。体がスッキリした状態で食べるごはんは美味しい。外食に出かけるときに、お腹が張っていて「あぁこのスカート入らないか...」としょんぼりする気持ちを味わわなくて済む(いや、ありますけどね、太っちゃうと)。そこからスタートする外ごはんは、家を出る時点で既にテンションがマイナスだ。できるなら、この状況は避けたい。

朝ごはんとサラダの、体との関係においての効能は断言できないけれど、もし精神衛生上での効き目を言うならば、その思い込みは効果大だと思う。それに、美味しく作ろうと楽しめるのも最高だ。

これからもインスタブログで、朝ごはんとサラダを、あげていくつもりだ。


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