2020年3月のパリ日記#05 3/25~27
[3月25日(水)]
もともとは、3月に入ってすぐ、日本に帰国するつもりでいた。
3月21日にパリに戻る予定で航空券も取っていたのだが、考えた末やめたのは、フランスに入国できないことになったら困る、と思ったからだ。
2月の終わりの時点では、パリはまだほとんど危機感のない状態だった。それでも事態がどう転ぶかはわからない不確かさは感じられた。
2月27日に、日本で、全国の小中高を翌週から一斉休校とすると発表された。
それを受けて、航空会社に電話をした。予約していたチケットは、手数料を支払えば日程の変更は可能だけれど、払い戻しはできないものだった。
6月くらいには落ち着いているかなぁと思い、6月下旬にフライトの変更をしたいとお願いすると、遠慮がちに「今回の変更はどのような理由によるものですか?」と聞かれた。
コロナウイルスの影響で先が見えない状況の中、フランスに戻れなくなってしまうと困るので、と伝えたら、「確かに、ご購入のチケットは規約上では払い戻しが不可能なのですが、現在の状況を踏まえて、払い戻しは手数料なしで承っております」という。逆に、変更するとなると、規約どおり、手数料がかかる、と教えてくれた。
ならば、とキャンセルをして払い戻しをお願いすることにした。
日程どおりにパリに戻ってこなければならなかったのは、私は、滞在許可証の更新手続き中で、新しく発行される滞在許可証の受け取りが3月下旬の予定だった。
航空券をキャンセルして数日後、受け取り日時は3月26日という通知がSMSで届いた。
ともかく、受け取りに行ける、とホッとしたのだ。その時は。
ところが状況は急変し、フランスで、外出禁止の措置が取られることとなった。
「原則的に外出禁止、いくつかの例外を認める」と発令されてから、滞在許可証の期限が切れても3カ月の猶予が告知され、私の場合、その日時までには十分にまだ余裕はあった。
でも、受け取り場所は、警視庁内だ。
“いくつかの例外”に含まれないだろうか、と一縷の望みに賭けていまいちどサイトを開いたが、受付は閉鎖されていると端的な文が出ているだけだった。
前日、外出制限はおそらく6週間に延長されるだろう、という見解がニュースで流れていた。
そして、この日、3月31日からオルリー空港が閉鎖されると発表された。
オルリーが閉まるのか……羽田空港が閉鎖されるようなものだ。
ある種の脱力感に見舞われた。
現実のことなのに、非現実的だ。
ただ、いまこのタイミングで、私はこの国に、この場所にいる、そのことを強く意識した。
そのことは、たぶん、今後大きく意味を成す気もしていた。
夜、いつもは鳴らない時間に、教会の鐘が鳴り続けた。
力強さを感じる音に、祈りの鐘のように思い、窓を開け放した。
コロナウイルス感染拡大に直面して、国全体の団結を祈り、フランス全土のカトリック教会が19時半から10分間、鐘を鳴らしたそうだ。
ノートルダムで火事が起こった時にも、こんなふうに鳴った。
あれは、去年の4月だった。
[3月26日(木)]
朝、フィガロ編集部の連載担当者さんからメールが届いていた。
おそらくすっかり日常が変わってしまっている日々で通常どおりにはできない連載を、いつものテーマとは少し違っても、いまどう過ごしているか綴りませんか、というものだった。
身体にちょっと不具合が生じていることも含め、この数日をどう過ごし、これからしたいと思っているいくつかの計画を書いて、返事を送った。
「こんな状況だからこんなことしてみたよ!と打ち出すのが、よいようには思えなくて……だからと言って、いつもと変わらない、とするのもものすごく違和感がある」
迷いも素直に伝えた。
相談のうえ、日記風に書くことになった。
身体の回復を最優先に!と言ってくれた編集者さんの言葉に甘え、様子を見ながら、進めることにした。
まだ、手には血の気がなく、右腕はパソコンやiPhoneでの作業に支障をきたす。
書ける機会を持てることは、とてもとてもうれしかった。
ワクワクしたし、早く書き出したい気持ちが膨らんだ。
どんな原稿でも、私の場合、いちばんネックになるのは書き出しだ。
さて、今回はどうやって始めるか。
イメージし始めてみたら、スムーズにはいかないな……とすぐに気づいた。
「これまでに経験のない大変な状況の中……」「日々変化する状況で誰もが不安を抱えていることと思います…」などと始まるSNSでの投稿に、私はすでに拒否反応を示していた。
ご挨拶と、ほかの人たちを思いやる気持ちを示しているのであろうそれらの文が、互いの“大変”と“不安”の確認作業のように感じられた。
目にするたびに、居心地の悪さを覚えた。
こんな状況だからこそ、こんなことをして過ごしています!
とすると、おそらく、“こんな状況”を形容する何かしらを書きたくなる。
何を書きたいのか、何を伝えたいのか、何を発信したいのか。
いつものブログ「パリ街歩き、おいしい寄り道。」の企画を考えた時のことをあらためて、思い返した。
毎度、どこかに行ってからもうひとつ別の場所を訪れるという、ふたつの場所で過ごす時間とふたつの場所を結ぶ時間を書くことで、読んでくれた人が、その人それぞれの心にあるパリの風景とそこを歩いた時間を思い浮かべられたらいいなぁと思ったのだ。
もしかしたら、パリじゃなくて、別の街でも、はたまた別の国でもいい。
情報を提供したいというよりは、むしろ情報は参考までで、点で物ごとを伝えるのではなく、線で伝えたい。その思いで、始めたブログだった。
自分が書いたり提案したりする何かを、直接、そのまま受け取ってほしい、という気持ちは薄い。
読んだことで、何か好きなことをやっぱり好きだと感じるとか、したいと思っていたことがあったんだ!と思い出すとか、なんでもいい、その人の心の中にあるその人がうれしくなるような何かがひょっこり顔を出すといいなぁと思う。そんなほんの少しのきっかけになれたらなぁ、と。
内容の趣は異なるにしても、それは番外編でも同じだ。
自分が直面した心許なさの、その向こうを書くならば……
心がざわついたところから、書き始めよう。
ノートを広げて、この1カ月にも満たない間に目まぐるしく起こった出来事を、思い出したところから、メモした。
19時半を過ぎ、もうそろそろニュースの時間だなぁと思った頃に、ラジオから、ショスタコーヴィッチのピアノコンチェルト2番が流れてきた。
今週、何度目だろう? よく流れるなぁと思った。
大好きな第2楽章は、聴こえてくると、何かしていても大抵少し動きを止めて、聞き入る。
この時も、心の波が、湖のそれのように落ち着いていくのを感じながら聞いた。
たしかに、いまの心境に、この曲はとても寄り添う気がした。
20時の拍手が始まる前に見上げた空には、綺麗な三日月が浮かんでいた。
[3月27日(金)]
ちょっと恥ずかしくなるような話なのだが、パソコンをいじる、iPhoneの画面をスクロールすることのほかに、もうひとつ顕著に、右手・右腕に痺れが走る動作があった。
フォークの上げ下げだ。
ナイフは、そんなに感じない。
だけれど、フォークとスプーン(スープ用など大きめの)は、ビビビッと響いた。
口に運ぶ、上げ下げの動きがダメみたいだった。
お箸だと軽いのはよいのだが、お箸で食べるものというのは、口に運ぶ動作の反復が、フォークよりも概して多い。
それで、朝ごはんは手で食べられるトーストと、リンゴが続いた。
あとは豆乳ヨーグルト。ティースプーンの重さなら問題ない。
午後になると湿布の効果もあり、肩の痛みが和らぐおかげでまだ楽になった。
それにしても、これは一体何のサインだろうか?と、苦笑した。
食べ疲れているのであれば、きっと胃に支障が出る。
でも、フォークを持つと痛みを感じるというのは、胃が痛くなる以上に、食べることを考え直せ、と言われている気分になった。
口に入る前の段階で、待った!がかかるのだ。
トーストの朝食は、左手で事足りた。そうすると、“左手で食べられるくらいの食事で十分なんだよ”ってことだろうか、なんて思ったりした。
この数日で、コロナウイルスに感染した場合の自覚症状として、高熱と咳、筋肉痛と倦怠感の他に、嗅覚を失うという情報も出てきた。
嗅覚はしっかりある。
花粉症は、だいぶおさまってきたけれども、くしゃみと鼻水は地味に続いてはいた。時折、喉が痛くなる日もあった。倦怠感は、あるっちゃあるかもしれないけれど、ぐったりするようなことはない。
この外出禁止期間は、こういうひとつひとつに慣れることにも有効的に思えた。
この先、コロナウイルスと共存していく日々になるのだとしたら、何かしらの症状が現れた時に、毎回動揺して生活していたら疲れてしまう。
情報も、目にするものを絞った。
日記を書くことになって、最初に、3月12日の大統領テレビ演説の記事を探した。
確認したかった箇所を引用している記事はいくつも見つかったのだが、エリゼ宮(大統領府)のサイトが、演説原稿全文を公表していた。
この、元の文があるなら、それがいちばんうれしい。
誰かや、いかなる媒体の解釈によって切り取られる前の、フラットなものに触れられる。
それから、数カ月前にアカウントだけは作ったけれどまったく機能させていないツイッターで、大統領と首相、パリ市のアカウントをフォローした。
テレビで中継されない会見も、ツイッターではライブ中継で配信しているのを知った。
デジタル版を定期購読している地元紙からニュースレターが毎朝届いて、ニュースアプリでの速報も相変わらず受け取っていた。
情報はもう、これで十分だと思った。
この日、当初“少なくとも15日間”と施行された外出禁止の措置が、4月15日まで延長されることが、首相から発表された。
正直、ホッとした。
この家ごもり期間が始まってから、一度も私は、レストランに食事に行きたい、という気持ちが湧かなかった。
早く外食ができる日常に戻ってほしい、早く友人たちとご飯を食べに行きたい。
どれも思わなかった。
それは不思議なほどに。
この期間が終わったら、まずどこに食べに行きたいかなぁと想像しようとしてもうまくできなくて、いつもはぽっと頭に現れるどこかの店の情景も浮かんでこない。
2〜3週間前の写真を見返すと、いつもならとても自然に思い出す、そこにあった肌になじむ心地よい空気を、ものすごく遠くに感じた。
いっぽうで、家での時間はことのほか充実していて、あっという間に毎日が過ぎた。
特別なことは何もしていなかった。
凝った料理を作るわけでも、模様替えを始めるわけでも、断捨離に踏み切るわけでもない。
あえて言うなら、連日天気がよかったから、エコバッグやらタオルケット、床に敷いている大判の布、あらゆるものを毎日洗濯した。外出禁止になってから、一度も雨は降っていなかった。
それ以外は、これでちょっと何か書きたいかも!と思いついた題材をそのままにせずすぐに書き留め、ちょっと休憩と思ったら本を読み、目についたらどこかしらの拭き掃除をしたり、いろんなことを少しずつした。
これまでは、この日はこれをする!と決めたら、それに一気に取り掛かって終わらせる、というやり方だったから、思えば、まったくリズム違う。
知らず知らずのうちに、新しい状況下での生活のリズムが組み立てられているようだ。
そうして家にいる日々で、毎日、本を読む時間を取れていたし、読みたいものを読んでいたけれど、何度読んでも心を掴まれる、幾度となく読み返している大好きな本は、一冊も手に取る気にならなかった。
なぜか、少し、怖かった。
自分の感情が、強く動かされることを恐れた。
大好きなレストランの情景を思い出そうとすると、距離を置きたいような気持ちになるのは、同じことかもしれない。
目の前にある与えられた環境で、やりたいことはたくさんあった。毎日、満喫している。
でも、その先に目を向ける心持ちには、まだ、なれていないみたいだ。
その準備の時間がもらえることになったのは、とてもありがたかった。
続く。
*この投稿は、フィガロジャポンに掲載された記事を、編集部の承諾を得て、こちらに再掲載しています。
サポート、嬉しいです!日々の活動に、活用させていただきます。感謝!