2020年3月のパリ日記#02 3/15~3/17
[3月15日(日)]
早朝、モトピケのマルシェに行った。
これから外食がいっさいできないとなったら、おうちごはんが楽しめる!とたくさん料理をする気で、出かけた。
自宅の近くに出るマルシェにも来ている生産者さんや、お花屋さんがいて「あれ? 今日はこっちまで来たの?」と聞かれたりしながら、充実の買い出しとなった。
このマルシェには、卵専門の店が出ていた。数種のチーズを売る農家のスタンドでは、自家製らしいハムも売っている。
もしかしたら20年ぶりくらいで訪れたマルシェには、いつもの行動範囲にはない新たな出合いと発見がいくつもあった。
内臓を主に扱う、やはり顔見知りの肉屋さんで豚の頬肉をたんまり買い、煮込み料理を作ろう〜とおうちごはん生活の献立を考え始めていた。
一度家に荷物を置いて、日曜の午前中は開いているスーパーと、ミニスーパーを回ることにした。どこにも、トイレットペーパーはおろか、普通のティッシュも、キッチンタオルさえなかった。
帰ってくると、前日言葉を交わした下階に住むムッシュがスーパーの大きな買い物バッグやスーツケース、植木の鉢を運び出していた。
「南のお家に行かれるんですか?」と聞くと
「うん。そうすることにしたよ。孫たち、男の子3人と、5週間アパート暮らしは無理だ。田舎なら庭に出られるから」
「男の子3人! 確かにそれは難しそうです」
たまに、とっとっとっと、と走る音が聞こえてくることがある。彼らはまだ小さい。
「Bonne route !(よい旅を)」「Bon courage !(頑張って)」
お互いに言い合って、別れた。
夕方、日曜も開いている「Au Bout du Champs」に行くことにした。
店のスタッフが自らパリ近郊の小規模生産の契約農家に出向き、収穫してきたものを売る八百屋さんだ。
いくつかある支店の中で、9区の店が自宅からいちばん近い。
そして最近気付いたのだが、店舗によって、同じ野菜でも仕入れているものが異なる。
9区の店で売っているクレソンがとてもおいしくて、すっかりハマっていた。
それを目当てに出かけた。
レストランが開いていない。
確実に、いつもと異なる生活が始まることに、前向きに楽しもうと思いながらも、緊張と妙な高揚感がない交ぜになってどこかで自分を突き動かしていることを、立ち止まりたくない自分の足取りに感じていた。
帰り際、メトロの駅に降りる前に空を見上げると、飛行機雲が2本。私は、なんとはなしに、それを動画で撮った。
[3月16日(月)]
朝イチで、レストランを経営している友人に連絡した。
営業停止は、いまの時点で、4月15日までと通達がきていることを教えてくれた。
約束をしていた9時半に、取材予定だった「Gramme」に電話をかけた。
誰も出ない。
ふうっ、と息を吐いた。
連載、どうしよう。代替え案、考えなくちゃな。
ページを、空白にはできない。
午前中に、20時から大統領演説、との速報を受け取った。
2015年の同時多発テロが起きた時から、私は、franceinfoのアプリを使っている。
ニュースだけを1日中流しているラジオ局のアプリだ。
渡仏当初、更新されつつも同じニュースが繰り返されるから聞き取り&書き取りの勉強をするのにうってつけで、毎日ひたすらfranceinfoだけをラジオで流し続けて数カ月過ごした。それで、自分にとってはメディアのなかでも身近に感じる存在だ。
すぐ目の前にある問題として、自宅にはトイレットペーパーがあと3ロールしかなかった。2年前にトイレとバスルームで悲惨な水漏れが起きてから、トイレットペーパーの買い置きをやめたのだ。
連絡をくれた友人に「トイレットペーパーがどこにもない!」と嘆くと、「うちにある2パック、4ロール入りと6ロール入りがあるから、これアキコにあげるよ。自分の分はあるから」と言うではないか。
これからどうなるかわからない状況でそれは申し訳ない。
「近所をもう1回、思い当たるところは全部回って見てくる! それでも見つからなかったら、譲ってもらえたら助かります!」
無理しないように。アラブ屋ならあるかもしれないよ、主婦はあんまり買いに行かないでしょ。と言う友人の言葉を受け取りながら家を出た。
通称“アラブ屋”とは、言ってみれば万屋のような店で、日用品を売る小さな商店だ。店の外には果物と野菜の棚を出し、朝から深夜まで営業していることが多い。一般的にアラブ系の人たちが経営していて、それで“シェ・アラブ”と呼ばれる。日本人の間ではこれを訳して、アラブ屋と呼ぶ。
家の近くにあるアラブ屋さんに行くと、すでに店を閉めていた。
前日と同じく、トイレットペーパーはどこにもなかった。
1軒だけ、ティッシュの箱が3つあるのを見つけた。
棚の上、ストックが積まれている中に、あった。届かないから、お菓子の棚で商品を補充している店員さんに頼みに行き、取ってもらった。
昔、ソウルを訪れた時、大半の店ではトイレに紙は流さず、傍に置かれた屑かごに捨てるようになっていたのを思い出した。いざとなれば、あのやり方で過ごせばいい。
家に戻って、くだんの友人に連絡すると「アキコの分はもうキープしてあるから、大丈夫だよ。取りにおいで」という。
土曜にディナーをともにした友人からもSNSが届いた。
もうどこにもトイレットペーパーがないね、と送ると「アキコ、ストックないの? うち、いっぱいあるから、いますぐクルシエ(バイク便)で送るよ! そんなの探しに行く必要ない!」と心強い返事がきた。
彼はこの日からテレワークが始まり、少し時間を持て余しているみたいだった。親しいレストランのシェフから、肉や野菜、残っていたテリーヌなどをもらったと、家での食生活が充実しそうな、それらを撮った写真を送ってきた。
そうやって、一時営業停止を言い渡された飲食店は、食材を分配しているようだった。
トイレットペーパーもだけれど、コーヒーも切れるところだった。
友人の家までの道筋を考えて、2カ所、寄り道をすることにした。
私は、いつもデパート「ボン・マルシェ」の食品館、「グランデピスリー」でコーヒーを買っている。
ほとんどの食材をマルシェと小売店で買うけれど、「グランデピスリー」では自家焙煎のコーヒー豆の回転が(おそらく)一定していて鮮度がよいのではないかと思うのと、決して安くはないけれど、それでも気に入った味が見つかって、値段にも納得がいっているので、何年も買い続けている。
行ってみたら、入場制限をしていた。人々は列を作っている。ひとりひとり、1メートルの間隔を取って。それほど列は長くない。通りを隔てて位置するデパートのほうはすでに休業だし、街自体、人がまばらだ。
前日、市議会選挙の投票日を終えたことで、いよいよ、外出禁止が発令されるかもしれない兆しを、街全体が感じているかのようだった。
10分ほどで中に入れた。
まずコーヒー売り場に行った。
「Puis-je avoir un paquet de Brésil Santos? deux cent cinquante grammes, s’il vous plaît.
(ブラジル、サントスの豆を1袋いただけますか? 250グラムお願いします)」
そう伝えると
「サントスはもう売り切れて、ないです。ケースに豆が入っているのは見本でこれは売り物じゃないんです。軽めの味がお好みなら、コロンビア産のビオの豆がありますよ」
そう答えた、いつも売り場にいる彼は、明らかに疲れていた。
教えてくれたコロンビア産は、いつもの豆よりも、少し高かった。
つかの間、逡巡したのち、そのビオの豆を2袋買うことにした。
こんな時だからこそ、普段はそんなに買わないものを買うのもよいかもな、と思って、「グランデピスリー」で売っている中でいちばん気に入っているタラマペーストと、ポテトチップスを友人の分も合わせて、それに家にあるシードル酢がもうすぐなくなるのを思い出し、代わりにリンゴ酢と、そしてブルーベリー酢、クルミオイルもカゴに入れた。
次は、パン屋さん。
5区の「Circus Bakery」へ向かった。
店の扉を開けると、すぐ目の前に、台が置かれていた。
いつものようにパンが並べられてはいない。
注文すると、ラックから取って袋に詰めてくれた。
天然酵母パンに、シード入り食パン、シナモンロールにカルダモンロール、それにアップルパイを買った。
「配達を始めるって、インスタで見た! 残念ながら、うちの区は配達範囲に入ってなかったけれど。遠いものね」と言うと「いや、そっちまで行けるようにいまオーガナイズを考えてるよ! ちょっと待ってて」となじみのスタッフに言われた。
街を歩く人の大半は、カートを引いているか、イケアの大きな袋あるいは大型スーパーのプラスチック製の大きなバッグ、もしくはスーツケースを手にしていた。
自宅の最寄り駅から、「グランデピスリー」まではメトロで移動した。車両には私を含め4人しかいなかった。
パンを買って、乗り込んだメトロには、透明のビニールの手袋をした人が数人いた。半分以上の人がマスクをしていて、していない人は、スカーフやマフラーで鼻まで覆っていた。
友人の家に着いたら、ホッとした。
私を招き入れると、友人は自然な動作でお茶の用意を始めた。
「今夜、大統領の演説があるって言うから、早く来たほうがいいって思ってたんだよ。今夜から外出禁止になるかもね」
「うん。国境閉鎖か、外出禁止か。いや、両方か……」
買ってきたカルダモンロールとシナモンロールをお供にお茶を飲んだ。
「ずっと家にいることになったら、思いっきり模様替えできるよね」
「そう! そうなんだよ。でもさ、BHV(日曜大工品を売るデパート)やってないでしょ」
「そっか。額縁買って、いままで掛けてなかった絵を飾ろうかと思ってたけど、無理じゃん」
「うん。ペンキも買えないんだよ。あ、アマゾンで買えるか。でも、見たいよね実際に」
「この機会にさ、いよいよ田舎に家見つけるか、って不動産情報見はじめたら、たぶん数日、あっという間に過ぎるよね」
「それ、自分も思った!」
そんなことを話した。
「手袋あるから、して帰りなよ」
「え? いいよ」
遠慮した私に、あるんだからしていきなよ、と友人は手袋をくれた。
飛行機での移動用に、日本に帰国すると、私はいつもマスクを買ってパリに戻る。その買い置きがあったから、マスクをして、今度はビニールの手袋もして、家に帰った。
20時。
大統領のテレビ演説が始まった。
明日の12時から外出禁止。
私たちは戦争状態にいる、と演説の中で6回繰り返した。
前週の演説に続き、とてもわかりやすいものだった。
そうか。
家から出られなくなるのか。
お店が開いていなくとも散歩さえできれば、どうにか連載は続けられるかも、と思っていた。代替案を、考えられそうに思っていた。
スケジュール帳を開いた。
ふうっ。
連載4つ。
もう、何もできないな。
初めて、ぽかーんとした。
[3月17日(火)]
12時までは時間がある。
すでに食材は十分あったけれど、マルシェがやっているかを見たくて、家を出た。
野菜農家さんたちは来ていた。お花屋さんもいた。でも、日曜に豚頬肉を買った肉屋さんは来ていなかった。
ともかく、家に花を絶やしたくない。
日曜も買ったけれど、新たにチューリップを3束買った。
自宅周辺は住宅街で、それほど普段から人出があるわけでもなく、のどかだ。
いつもと、そう変わったようには見えなかった。
ただ、スーパーの入り口も、パン屋さんも薬局も、人が列をなしていて、その列には妙な間隔があった。
生活に必要なものを売る店(食材店、スーパー)、薬局、ガソリンスタンド、新聞などを売る店、銀行、タバコ屋は営業を続けていて、外出禁止令が施行されてからも、政府から発行された外出許可書に必要事項を記入して携帯することで、買い物に出られる。
マルシェも変わらず開催されるみたいだ。
12時。
とてもいいお天気だった。
台所の窓を開け放して、あれ?と目を留めた。
1階のお宅の庭の木が、満開だ。
これ、いつも花が咲くの5月じゃなかったっけ?
マロニエの小さい版のようなその木(花)に私の身体は反応する。
すでに始まっていた花粉症の症状が、とたんにひどくなった。
本当に静かだった。
昨日までは聞こえていた工事の音が、止んだ。人の声も、消えた。
何より、建物内のエレベーターが動く音がしない。
向かいに住む隣人カップルも、田舎の家に発ったようだ。
一気に止まったな〜。
書ききれずにいたごはんパトロールの日記をこの機会に書こう!
領収書の整理と、新聞や雑誌の整理と、
読みたい本もたくさんあるし……
ごはん、何作ろうかな〜。
止まらないくしゃみと鼻水を鬱陶しく感じながらも、楽観的だった。
翌朝。
目を覚ますと、身体が動かなかった。
続く。
*この投稿は、フィガロジャポンに掲載された記事を、編集部の承諾を得て、少し変更の上、こちらに再掲載しています。
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