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お目当ては栗の粉のケーキ

3週間前に連絡をもらって、
その翌々日、すぐに会いに行った。
かつて大好きだったビストロの
オーナー夫妻が新たに始めたお店は
聞いていた通り、本屋さんとカフェが
隣り合わせになっていた。

週末の、閉店30分前に着いて、
カフェで窓越しに接客をしているマダムと
少し慌ただしそうなムッシュの姿を
外から認め、しばらく遠巻きに眺めていた。

ちょっと人の波が引いたところで、
カフェのテイクアウトの列に加わった。
次に私の順番、というところで
ムッシュが店の奥から出てきた。

あ、ポールが来た!
気づくかなぁと思って見ていると、
目があった後に、一瞬間をおいて
「アキコ〜!!!」
と大きな声をあげた。
マスク姿で会うのは初めてだ。

前の人の会計を済ませたマダムのマリオンも
「あれ、きっとアキコだって気づいてたのよ」
と加わって、言った。

ポールは早口で
「そうだ、アキコ、
”今週中に行く”って返事くれたよね。
本当にギリギリでやってきたね〜!
いやぁ、来てくれて嬉しいなあ。
でも、僕、これからアポイントがあって
もう行かないといけないんだ」
と、一気に言った。
「今日は本当に覗くだけのつもりで
また別の日にゆっくり来るから。」
というと、
「いや、でもやっぱり、
店を案内しないでは出かけられないよ。
案内させてくれるかな?」
「もちろん!」

そうして、本屋さんの入り口から入った。

本屋さんは決して広くない。
本の数だって決して多くない。
本好きの人の書斎くらいかもしれない。
それがとても居心地よかった。

選択肢があり過ぎて、
ネットショップで探し物をしようとしたら
カテゴリー別、ジャンル別と
クリックにクリックを続けた後に
“絞り込み検索の結果、該当する商品は289件です”
とか出てくると、私は途方に暮れてしまい
結局買うのをやめてしまう。

新しくできたその本屋さんの
食の本を扱うコーナーを見たら、
”あ、これ買おうかと思ってたんだよな”
という本と、すでに持っている本が4〜5冊
すぐに目についた。

それだけで安心した。
誰かの家の本棚を見て、
自分も持っている本を見つけて
「何冊も同じ本持ってる」
って伝えたくなるような気持ちだった。

お店は、正面から見ると右側が本屋さんで
左側がカフェ。それぞれに入り口があり、
店内で2つの店は繋がっていて、
今はカフェの窓際で、飲み物やお菓子を
販売している。

本屋さんの奥には、大テーブルがあった。
「あともう少ししたら、ここで
ゆっくりお茶をしたり、PCを持ってきて
仕事もできるようになるよ!」
と言って、ポールはウィンクした。
そして
「アキコ、悪いね。僕は、もう行かなくちゃ。
マリオンは、このままいるから。
あ、アキコ、カフェ、飲むかい?」
「うん。飲みたい。
あと、フォンダン・シャテーニュは?
ここでも作ってる?買って帰りたい」
と聞くと
「あるよ!あ、でもまだ残ってるかな。
確保しといたほうがいいな」
そう言って、マリオンに声をかけ、
「じゃ、僕は行くね。またね」
と手を振って、店を出て行った。

肌寒かったけれど、
青空の広がっていたその週末の夕方は、
途切れることなくお客さんが立ち寄って、
その合間を縫うようにマリオンと近況を話した。
でも、いよいよ難しくなり
「平日の午前中はゆったりしてるから
良かったらアキコ、午前中に来て」
「わかった。そうする」

それで私は、フォンダン・シャテーニュを手に
家に帰った。

フォンダン・シャテーニュは栗の粉のケーキで
しっとり、表面は少しぺたぺたしている。
子供の頃から大好きだった芋ようかんを
若干柔らかくしたような感じで、
私は栗のお菓子にほとんど興味がないのに、
このフォンダン・シャテーニュだけは別なのだ。

先週のある日、
今度は午前中に行った。
お客さんの数は少なかったけれど、
逆に穏やかな空気の中で、
店主夫妻と言葉を交わしに訪れている人たちが
やっぱり途切れなくて、忙しそうだった。

本屋さんのコーナーをうろちょろしてから
カフェの方に行ったら、
マリオンのパパが厨房から姿を現した。

「あなたのパパが、ここでも?!」
「そうよ。もちろんよ」

マリオンのパパはもともとボンマルシェ近くで
レストランを経営していて、星付きシェフだった。
引退して店を売り、マリオンが前の店
”カフェ・トラマ”を始めたときに、
マリオンはデザートをパパに託した。
「歳をとって早起きになったと言いながら
朝5時には厨房に立ってデザートを焼いてるの」
と笑っていた。そして誰よりも信頼していた。

今度の店でも
フォンダン・シャテーニュは、
そのパパが作っている。

美味しいんだ、本当に。




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