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2020年3月のパリ日記#06 3/28〜31


[3月28日(土)]

夜中、振動で目を覚ました。
電話が、震えている。
仰向けのまま、途端に緊張した。

画面を見ると、父の名前が表示されていた。
4:01。
ひとつ大きく息をしてから、出た。
「もしもし」

「……うーん……もしもし」
妙な間があった。
どうしたの?と聞くのを堪え、黙っていると
「いまさあ、置いたら、かかっちゃったんだよ」
「え……!?」
「いや、電話を置いたらさ、かかっちゃったんだよ……」
なんでだろう?と父は実際には言わなかったけれど、その心のうちのつぶやきは、東京からパリまで手に取るように伝わった。
「あのさ、いま……」
4時だよ、という前に
「ごめん」
とこれまた、“本当、どうしちゃったんだろうなぁ”というコーラスがかぶさっているかのような、ごめん、が聞こえてきた。

前日も、父から電話があったのだ。
日本はちょうど夕食どきだった。
「どお? 変わりない?」
うちの父はいつも、変わりない?と聞く。
「うん。変わりない」
そう答えると、
「いまさ、恵比寿で食事してんのよ」
周りの賑やかな様子から、友人たちといるのだろうことが察せられた。
私は数日前に、お父さんと同居していた男性が、自分が感染している自覚のないまま仕事であちこちに出かけながら過ごしていたら、知らぬ間にお父さんがコロナウィルスに感染し発症して、遅れて自身も発症し、入院している間に、お父さんが亡くなった。もちろん最期を看取ることも会うこともできなかった、という病床からビデオインタンビューに答えたものを見ていた。
それはイタリアの話だ。
SNSを開けば、日本ではすっかりコロナへの警戒心が弱まったかのようで、子どもを連れて多くの人で賑わう公園の様子や、友人たち7〜8人で集まって食事をした投稿が少なからずアップされていた。
目にするたびに、状況も人々の意識も、フランスとは異なることをひしひしと感じた。
その温度差に戸惑い続けた1週間だったところに、現役で仕事をしているとはいえ、立派な後期高齢者の父が、「恵比寿で食事してんのよ」とあっけらかんと言った。
それまでうまく処理できずに、どうにか折り合いをつけようと抑え込んでいた感情に火をつけるには、十分だった。
「あのさぁ……」
先の、イタリア人男性の告白インタビューの話をし、フランスは外出禁止が発令されるよりも前に、いち早く70歳以上の外出自粛が大統領演説で宣告されたことを伝え、自分の年齢をもう少し自覚して!! いますぐ、家に帰ってください。と告げた。
「はい。帰ります」
あまりに素直に言われたもんだから、本気で受け取ったのかなぁ、と疑わしく思い、30分ほどして電話をかけ直した。そんなことをしたのは初めてだ。
「家に、帰ってる?」と聞くと
「おぉ〜、いま、車」と帰る途中だった。
あくまでものんきな声音だったけれど、家に向かっているのなら、それでいい。
消えずにいた、ざわつきを伴うドキドキは、それで落ち着いた。

それから1日と経たずして、朝の4時に電話である。
瞬間的に早まった動悸の激しさは、10数時間前の、ざわざわとドキドキが合わさったものとは度合いが違った。
まったく、もう……
と思いながらも、なんの問題もなかったことでの安堵が大きかったのだろう。すぐに眠りに落ちた。


なんか随分遅くまで寝た気がする。鐘鳴らなかったのかな?
カーテンの向こうの光に、早朝ではない強さを感じて目を覚ました。
携帯に手を伸ばし、身を起こして、時間を見ると、8時半を過ぎていた。

私は、うつ伏せで両ひじをつき、両手で携帯を持ち、上体を少し起こしている姿勢だった。
あれ……? 寝返り打てた?
ウワァ、寝返り打てた!!
思わず笑った。
10日ぶりだ。
昨日までの10日間は、朝起きる時が最も苦痛だったのだ。毎朝、痛みに息を止めていた。
いま、たぶんいきなり、くるっと回ったよな?
無意識のうちにやってのけていた寝返りに、信じられない気持ちだった。
何が起こったんだろう? いままでの、あの起きる動作の痛みがいきなり消えるってあるの?
すごくうれしかったけれど、突然の展開にしばし呆然としてから、気付いた。
朝4時の電話。
記憶は定かではないが、でも、私は、あの時、いまと同じ体勢で電話を取っていた。うつ伏せで、両ひじをついて、少し上体を起こして。
おそらく、あまりにも驚いて、文字通り、飛び起きていたのだと思う。

“そうか、そういうことなのかも!”
かけるつもりもないのに置いたら電話がかかってしまい、父はさぞ狐につままれたような状態だったかもしれないが、起こるべくして起こった偶然だとしたら、神様、どうもありがとう!と思った。
かなりの荒療治ではあったけれど、じゃなきゃ、寝返りが打てるほど動く状態にはならなかったのだろうな。
こんなことってあるんだな〜。
ニヤニヤして止まらなかった。

3月28日は、記念日だ。
1998年3月28日に私は、留学目的で渡仏した。
この日は何年経っても、成田空港に見送りに来てくれた友人たちの顔を思い出す。

今年は、ちょっと特別な思いを抱いていた。
この1年を過ごしたら、私の人生は、日本で過ごした時間よりも、フランスで過ごした年月の方が長くなる。
それで、漠然と、ターニングポイントになる気がしている。

寝返りが打てたことはまぐれじゃないかとも思えたから、前日までと同じように、ゆっくりとヨガをして、お風呂に入った。
でも、慎重にしようと努めても、うれしくて、身体の中はずっとコロコロと笑い続けている感じだ。

朝ごはんもトーストじゃなくて、ちゃんと食べたい、と思った。
台所に行き鉄瓶に水を注いで火にかけてから、冷蔵庫の前に立った。
扉の取っ手を掴んだまま、開けずに、何にしようかな……と思って窓の外に目をやったら、「卵を割らずにオムレツは作れない」という言い回しがポンっと浮かんだ。
卵だな。
ぱかっと割ろう。
そう思って、6個入りの卵のパックを取り出した。

「卵を割らずにオムレツは作れない」は、19世紀にバルザックが発した表現で、“なんらかの犠牲を払わずに、あるいはやむを得ないリスクを取らずに、何かを得ることはできない”という意味とされる。

私は、つるんとしているよりも、ぐじゅ、とろっとしたオムレツが好きで、形作らないままお皿によそう。
卵の黄色に、皿の上も、気分も明るくなった。
リスクをとって、こんなふうに明るくなったらいいよねぇ。
壊した結果、別の形に生まれ変わって、それが幸せな気持ちになれるものなら、最高だ。

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ぐじゅぐじゅオムレツ(と私は名付けている)には、芽キャベツとジャガイモのサラダを添えた。

芽キャベツを薄くスライスしてさっと茹で、7〜8ミリの厚さに切って茹でたジャガイモと合わせた時の、淡い色が好きだ。
バターで和えるだけのことがほとんどだけれど、この日は残っていたタラマペーストを使った。
この淡い色合いには、黒ではなくて、白コショウを挽く。

今年に入ってからこの3月28日は、ずっと頭でチラチラしていた。
特別な計画を立てていたわけでも、何かプロジェクトを企てていたわけでもない。
でもなぜか、ここから別の、次のスタート地点に向かう気がしてならなかった。
そのスタート地点に行くための、通過地点となる1年という道の、スタートに立つ感じ。
今年までの3月28日と、来年の3月28日はどうも別モノの気がしている。

外出禁止が始まって、“一旦、全部やめてみよう、手放してみよう”と思った時に、“私はここで生きていく”という言葉がぽっと身のうちに湧いたあの感覚を、その後、何度か思い出していた。
その感覚が、すでに知っているものだなぁとも気づいた。

初めてパリを旅行で訪れた大学3年の冬。
空港からタクシーでホテルに向かう道すがら、コンコルド広場を通っている時に「あ、私、ここに住む」と唐突に思った。
その、身体が覚えていた、言葉が降って湧いた感覚に、とても似ていた。


土の中で粛々と、光の差す世界に芽を出す準備をする種のように、いまを過ごせたらいい。

日付が変わり日曜になった夜中2時に、時計の針は1時間早められ、夏時間へと移行した。


[3月29日(日)]

前の晩、食べ物日記をつけていて、明日の朝ごはんは生ハムを乗っけてカブのクリーム煮かな、と考えていた。

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白い気分だったのだ。

朝、今日も寝返りは打てるだろうか、と慎重になったが、心の不安をよそに身体は、“大丈夫だよ〜”とでも言うかのように、するっと起き上がった。
おもしろいなぁ。
突然、背中とベッドが溶け合ったかと思うほどに動けなくなったかと思ったら、今度は、連日の起き抜けの痛みが幻だったかと疑いたくなるほど、難なく寝返りが打てるようになった。
こんなものだろうか?
とはいえ、痛みが全部消えたわけではなかったから、ヨガは朝晩、続けることにした。また同じ状態になってしまわないように、少し動けるようになったぶん、ポーズをいくつか増やして、背中と腰への対策を考えた。
あと、ともかく、深く呼吸をするこの習慣をキープしたいと思うようになっていた。
週に1〜2回、1時間半のヨガのクラスを受けていた時は、その日にリセットできるサイクルで、それはそれでよかった。
でも、30分前後、毎朝毎晩することは、それ以上によい効果があるように感じた。

すでに曜日の感覚が薄くなりつつあったけれど、日曜日は、なるべく休むようにして、朝のヨガも長めにすることにした。

なのに、前日の寝返りが打てるようになった喜びの余興が続いているのか、なんだか勢いづいている自分がいた。それでか、パンチの効いたものが食べたかった。
身体が、キリッバシッとしたい。ちょっと目が醒めるような何か。

レシピ本をめくっても、ピンとくるものが出てこない。
唐辛子の辛さって感じじゃないんだよなぁ。
激しさは、欲してないんだよなぁ。

ちょっとイメージしているものとは違うけれど、メンチカツにしようかなぁ。
揚げたパン粉の弾ける香ばしさと、ひき肉とタマネギが奏でるジューシーさにはそそられる。
お肉を解凍しようかと思い冷凍庫を見てみたら、どう考えても足りない量しかなかった。

どうするかなぁと思いながら、インスタグラムを開くと、フードライターの鹿野真砂美さん(@shikapi_mw) がおうちごはんをアップしていた。
彼女の作るごはん(特に朝ごはん!)は、いつもとてもおいしそうなのだ。
まさに“おかず”という言葉がぴったりに見える。
料理写真、ではなくて、お皿しか写っていなくても、食卓の風景を感じた。
決まって、いいなぁこんなごはん、と思いながら何枚か挙げられている写真を右にスワイプして最後まで見た後、今度は左にスワイプして、もう一度見る。

この日のトップバッターはワインだった。
そして、次に出てきたのは、オムライスと焼きそばの2つ乗せ。
メンチカツでちょっと洋食に気分が傾いていた私は、即座に反応した。

「オムライスと焼きそば 最高ですね」とコメントすると
「焼きそばはクミン風味! お抱えシェフ謹製です」と返事が来た。

クミン!!
お抱えシェフは、ご主人で、銀座8丁目にあるレストラン「マルディ・グラ」の和知シェフのことだ。
和知さんで、クミンならば、仔羊肉!と頭の中で連鎖反応が起こった。

「クミン風味!いいですねぇ。仔羊肉かレバーが欲しくなるけれど……豚のリエットで作ってみます!」と再びコメントしたら
「ぜひぜひ!仔羊肉でつくると最高ですが、うちも今日は豚挽き肉でした」

お! バッチリじゃないか。

夕食はクミン焼きそばにしよう!
意気揚々と引き出しから乾麺を出そうとして、“うーーーん……でも焼きそばの麺はちょっと今日の気分の食感じゃないなぁ”と気付き、手を止めた。
冷蔵庫にある野菜も残り少なくなってきて、トレビスを2種類使い切るつもりだった。
うどんもおいしそうだけれど、パスタのプリッとした感じがよいかも。
オリーブオイルと迷って、ピーナッツオイルにし、ニンニクのスライスとクミンシードを熱して、豚のリエットとトレビスのシンプルなパスタにした。味付けは塩だけ。
皿に盛ってから、黒コショウを気持ち多めにガリガリと挽く。

あら〜! これよこれ!
食べてみたら、ストライクで欲していた味だった。
ぴかんと光るクミンのパンチ力に、全身が目醒めた。
これは、焼きそばでも食べてみないと。

クミンパワーでさらに元気が増した気がした。

20時のニュースで、外出禁止措置による、ウィルス感染とは別の効果が報じられた。
この2週間足らずで、パリの空気の質は劇的に改善し、大気汚染を表す数値は、2年前の同日と比べると60%減り、40年以来の値になったそうだ。
騒音も減少し、各地で自然が戻ってきているらしい。
パレ・ロワイヤルにあるコメディ・フランセーズ前を散歩する2羽の鴨が映し出されていた。

いつもなら、目にしない日はないというくらいに見る飛行機雲が、いまのパリの空には見られない、と聞いた。


[3月30日(月)]

朝は、シリアル入りパンのトーストとリンゴで済ませ、本腰を入れて原稿に取りかかることにした。

相変わらずお天気はよく、特に、午後は台所の日当たりが抜群だ。
机と椅子を替えないかぎりは、いつもの姿勢が続いてよくないかもしれないと思い、足つぼマットとパソコンを台所に運び込んで、作業台で、立ったまま仕事をするようにしてみた。

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高さが変わるとよいようだ。
右腕から肩への痛みは、机に座るときよりも、ずっと軽い。
陽に照らされた床のタイルは暖かく、靴下を脱いだ。

このアパートで暮らしてもうすぐ丸12年が経つけれど、こんなふうに、台所でパソコン仕事をしたことはない。

家の中で、新たに、心地よい過ごし方を発見するのは、まっすぐにうれしい。

あっという間に1日が終わった。


[3月31日(火)]

朝のヨガがよいのか、
台所が新たに仕事場として加わったのがよいのか、
騒音がなく、ともかく静かなのがよいのか、
きっといくつもの相乗効果なのだろうが、
私はこんなに集中力があったのか!?と
自画自賛したくなるほどに、原稿書きに集中できた。

朝だけでなく、夜も少しヨガをしてゆったり湯船に浸かることで、熟睡できていることもよいのだろう。
ちょっとひと息つきたい時に、本を読みたければ短編集を読んで、気分転換できているのもよいのかもしれない。
図らずも得た、パソコンにほとんど触れなかった日々も、大きいのかもしれないなぁ。

ぜひとも、このリズムを体得したい。
外に出かける日々が再開したら、いまと同じままというのは難しくても、このペースにすれば自分のリズムが取り戻せる、というふうにできるといいなぁ。
そう思うほどに心地よく、それに自分の内側が生き生きしていた。

この日、大統領はフランスで最大規模のひとつであるマスク工場を訪問し、その場で会見を開いた。
ツイッターで生中継が配信されたので、見ていたら、マスクや呼吸器など医療器具の生産を、“より多くフランス国内で。より多くを欧州で”と繰り返した。

呼吸器の生産には、自動車会社がすでに着手している報道をニュースで見た。
オルリー空港は、この日の夜で、しばし眠りにつくことになった。

外の世界との交流が減り、内の強化を促す流れは、そのまま、現在の個人が置かれた状態と重なるように思えた。

翌朝受け取った新聞のニュースレターでは、冒頭でヘミングウェイの『老人と海』の一節を引用していた。

「Plutôt que de penser à ce que tu n’as pas, pense à ce que tu peux faire avec ce que tu as.
(いまは持ってこなかったもののことなんか考えているときじゃない。ここにあるもので出来ることを考えるがいい)」
(*訳は、ネット上で見つけました。おそらく新潮社刊の文庫版から引用されたものと思われます)

『老人と海』、昔読んだ時には退屈でなかなかページが進まなかったけれど、いま読み返したら全然違うことを感じそうだ。


(終わり)


*この投稿は、フィガロジャポンに寄稿したものを、編集部の承諾を得て、一部変更の上、こちらに再掲載しています。



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