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2022年を迎えて

最近思うことは、そろそろワクチンに関しては、積極的に情報収集しなくても良いのではないかということ。当初、その効果や安全性について専門家の意見は極端に割れていたが、今は、誰が信頼出来て何を参考にすれば良いか分かる。各国のデータや論文等での答え合わせにより、様々な仮説が事実と間違いに振り分けられた。長期的な部分は未だ明確でないにしろ、大枠でどんな物かということは、自分の中でひとまずケリが着いた。

フランスは日本よりも全体的に、公的機関と異なる情報は見つけにくいと感じる。というのも、大手メディアに多額の援助金が政府から出ているらしい。政府の批判など聞こえようもない。そんな中、わざわざ時間を割いて誹謗中傷を受けるリスクを犯し、外国語で書かれた専門的な論文を、一般人に向け噛み砕いて解説してくれるような、善意の専門家は中々いない(幸い日本では数人見つかった。本当に有難い)。製薬会社等から莫大な報酬を受ける推進派と違って、一銭にもならないのだから当然だ。

フランスでは、せいぜいオルタナティブメディアの取材を受けている動画か、Twitterでの短い意見表明程度で、定期的に世界の感染状況などを見ながら解説してくれるのは、ヒドロキシクロロキンで一躍注目を浴びたRaoult博士しか知らない。この人に対する大手メディアのバッシングは(クロロキンの時から今現在までずっと)本当に酷いものがあり、文章の格調高さで評判のルモンドでさえ、タブロイド紙のように人格攻撃する始末で、途中から全く読む気がしなくなった(今までは仏語の勉強の為に読んでいた)。
Raoult博士で思い出すのは、ワクチンパスポート反対のデモに参加した時、参加者が手にしたプラカードに、大きな博士の顔写真と"On a le droit d'être intelligent(誰にでも知的である権利がある)"と書かれていたことだ。少し皮肉めいたユーモアがフランスらしくて秀逸。

昨年夏から冬にかけて何度か、接種や政府の政策を巡り、人と話をして感じたのは、人にはそれぞれの信条があり、それに適う情報を選び取っているということ。世界は常に安心出来るものでなければならない。ただ自分の毎日が変わらず続くことだけを願い、それ以外のことは考えたくない、ということなのだろう。悲しいけれど、恐怖という感情の前には、論理や理性など無意味だと思い知らされた。

自分の意識が非常時に設定されていたのを、日常へ戻して行こうと思っている。些細なことでも思いついたことは実行して、自分の心が喜んでいるか確認しよう。この積み重ねが日々の生活を瑞々しく、心を元気にしてくれるのに、非常時では気持ちに余裕がなく、後回しにしてしまっていた。
今年は、存分に楽しむことを自分に許そう。

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