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FC物語(3)世の中に存在しないものをつくる上で大変だったこと


苦労したコンセプトづくり

国保ゼミのフューチャーセンターを立ち上げるにあたって、一番苦労したのは、「学生主体のフューチャーセンター」という世の中に前例のないものを作らねばならないという点でした。世の中にあるフューチャーセンターの定義は徹底的に調べ、実際のセッションにも参加しましたが、当時はフューチャーセンター自体がまだまだ曖昧なコンセプトだったことに加え、「学生」という変数が入るといったいどうなるのかが予想できず、なかなか具体的なイメージを持てずにいました。ただ東日本大震災を契機に、目指している将来像はなんとなくイメージできたので、「フューチャーセンターをつくる」というより、その漠然とした「自分のイメージを具体化する」ことを目指しました。

まず、そのイメージを実現するために必要な要件を洗い出しました。そして最低限の要件として、継続的に続けなければ意味がないと考えました。作りたいのは「イベント」ではなく、「フューチャーを自ら切り拓いていこうとする人や、そんな人たちを全力で応援する人が集まる場」であり、つまり「コミュニティ」です。フューチャーセンターはそのコミュニティの維持装置としての活動であると位置付けると、「定期的に一定数の人が集まること」が絶対に達成しなければいけないゴールとなります。そして、このゴールを達成するためには、何度も足を運んでくれるリピーターをつくらなくてはなりません。リピーターをつくるためには、何度来ても面白い(飽きない)場をつくることが必要です。飽きない場をつくるためには、そこに集まる人が面白いこと、プロジェクトが具体的に進んでいることが見えること・・・・というように、具体的にやるべきことをブレークダウンしていきました。

また、同時に、作るべきコミュニティのビジュアルイメージを作りました。そこには①どんな人がいて、②どんな表情で、③どんな会話をしているかを、具体的な一枚の絵としてイメージできるまで考えました。

①その場には、どんな人がいてほしいのか

これは迷いなく学生と社会人でした。学生はまずはゼミ生、将来的には他ゼミ生、他学部・他大学の学生に足を運んでもらいたいと考えました。このフューチャーセンターは研究室の中なので、学生の参加はそれほど難しいことではないと思いましたし、だからこそ定期的に開催しても学生参加者がゼロということはないだろうと考えました。人がいないコミュニティほどつまらないものはありませんが、少なくとも学生に関しては一定数の参加者が期待できたことは、定期開催が可能だと判断した大きな要因です。

しかし、社会人にとって大学内のフューチャーセンターに足を運ぶのは、ハードルが高いと考えました。物理的・心理的な距離もありますし、社会人は忙しいので、時間を投資するだけの価値があると思ってもらえないと再訪はないだろうと。提供価値をちゃんと確立するためにはターゲットを広く構えるのではなく、敢えてターゲットを絞り、そのターゲットが満足するような場を作ることを目指しました。ターゲットを絞ることにはあまり迷いはなく、学生に「社会人ってカッコいいな、働くって楽しそうだな」と思わせてくれる社会人、としました。

これはフューチャーセンターの前身であるオープンゼミを始めたときからの問題意識で、大学やバイトだけでは学生が社会人との接点が少なく、ましてや自分が将来あんなふうになりたいと思える社会人に会う機会がほとんどないというところを何とかしたかったのです。学生に社会人を見る機会があるかどうかを尋ねたときに、「バイト先の居酒屋で、会社の愚痴を言っているサラリーマンにはよく会います」という回答が返ってきたときの衝撃ったら。そんな姿ばかり見てたら、社会に出るのが不安になるのは当たり前です。ここで言うカッコいいというのは、例えば仕事ができるだけじゃなくて楽しんでいる、仕事や社会の愚痴を言わない(他責にしない)、学生を下に見るのではなく互いに学び合う姿勢を持ってくれる、行動力があって背中でお手本を示してくれる、そういう人をイメージしました。

そして次に、そういうターゲットに足を運んでもらうために必要な要素を考えるべく、ターゲットになりうる周りの友人に「どういう要件があれば行ってもいいと思うか?」をヒアリングしまくりました。その結果、「そういう人は抽象的な話はあまり好まない」ということが分かりました。こういう人たちはアクションにつながるディスカッションを好むので、「社会をどうしたいか?」という抽象度が高いテーマより、「社会をよくするために自分はこういうプロジェクトを考えているが、実現にあたってこういう課題があるがどうすればよいだろうか」といった具体的な実行上の相談に燃えるようなのです。

確かに、「社会をよくする」のような人によって定義が異なるテーマですとディスカッションが空中戦になりやすいということは、他のフューチャーセンターを視察した学生のレポートから分かっていました。一方で、具体的なプロジェクトの相談を聞いていると、確かに入口はミクロなんですが、そこからその人の価値観や社会の問題が透けて見えることが多く、「ああ、この人はこういう考え方をする人なんだ、面白いなあ、そういう人と一緒に組むとこういう解決策が打てるなあ」と結果的に幅のあるディスカッションになりますし、相談をもちかけた側としては視点を引き上げられたり協力者が見つかったりという結果に繋がります。これが、面白いのです。なのでディスカッションは具体的なテーマで行う、と決めました。

②その場にいる人は、どんな表情をしているのか

「楽しそう」であることをイメージしました。理由はシンプルで、楽しくない場にリピーターはつきませんから。例えテーマが深刻でも、最後は笑って終われる前向きな場になることが必須だと思いました。実際にプロジェクトや事業を進めていると次から次へと問題が降ってきますので、そんな中で自分のモチベーションを保つことは簡単ではありません。だからこそモチベーションをあげたり、ポジティブ思考にシフトするための装置は大事だと思っていますし、フューチャーセンターはそういう場でありたいと思いました。

数時間のディスカッションの中で問題解決にまで至るのは現実的ではありませんが、次の一歩が見えたり、その一歩を踏み出すモチベーションを得たりすることはできます。ただ、そのためには批判する文化をつくってはいけません。一見実現が難しそうなアイデアに対しても、「そんなの無理だよ」ではなく、「こうしたらできるんじゃないかな?」という意見が出る風土が必要です。そこで、ここは「できる理由」を考えるために脳みそを使う場にしようと思いました。できない理由を考える場は世の中にいくらでもありますからね(笑)。嬉しいことにリピート参加をしてくださる方には「ここに来ると何とかなるんじゃないかなと思える、前向きになれる」と言っていただけまして、それがまさに目指していたところです。

③その場にいる人たちは、どんな会話をしているのか

ここまで来たらもう③も明確になっています。

実際にフューチャーセンターが動き出してからは、目指すゴールのビジュアルイメージとしての写真も手に入れました。それがこれ。こういう表情の人が社会に増えたらいいなーと思い、ところどころに貼ったり見せたりして、「こういう場を作りたい」ということを伝えるためのツールにしていました。ちなみにこうしたイメージ共有の方法は、スタジオジブリが「もののけ姫」を制作したときののやりかたを参考にしています。

ビジュアルイメージ(2011/9/28)
ビジュアルイメージ(2012/10/22)

テーブルを皆でつくる

また、ゴールを実現するのは私ひとりの力ではなく、皆で一緒にやるのだということも学生に分かって欲しいと思いました。ただ一緒にやるといっても、当時の国保ゼミには個性的で自分のこだわりを大事にする学生が多かったので、そういう人たちと同じ方向を向いて進んでいくのはなかなか難しかった。各種コンフリクトはしょっちゅうだし、私が指示をしたところでまずそのままは実行してはもらえません。別に私の指示には従わなくてもいいのだけど、皆で作り上げるんだというチーム意識は持って欲しかったので、場の象徴となる楕円のテーブルを当時のゼミ生(1,2期生)全員でつくるという作業を取り入れることにしました。

クラフトコンサートさんから渡されたベニヤ板で学生が型をつくり、その型通りに職人さんにテーブルを作ってもらうのです。学生達はフリッツ・ハンセンの楕円テーブルの形をネットで探し、プロジェクターでベニヤ板に投影して鉛筆で下描きして、その下絵に沿ってのこぎりで切り出していました。そしてこの切り出しの作業を当時のゼミ生の人数にあわせて8分割し、全員がのこぎりで切り出し作業をしました(私は見てるだけ)。

文字通り皆でテーブルをつくりました(2011/5/23)

案の定、この作業の過程で学生達はけっこう揉めてましたし、切り出し作業を適当にやったためにラインがゆがんでいるところがあったり(担当した学生の愛称にちなんで「ぴこじカーブ」と呼ばれています)、できあがってみたら本家のスーパー楕円とは少し形が違ったりと、色んなトラブルがありましたが、それも含めてプロセスを共有できたことでいいチームビルディングになったと思っています。自分たちで作ったという感覚はテーブルに対する愛着をもたらすし、ひいては場への愛着に繋がったのではないかなと思います。それに身体を使った作業を一緒にするのはシンプルに楽しい。

テーブルは今も大切に使っています(2023/5/23)

大変だったこと

こうしてまとめると順調な感じですが、実際には紆余曲折がありました。上記の思考も最初からあったわけではなく、振り返るとこういうことを考えていたんだなあ、という後付けの整理に過ぎません。そもそも世の中に存在しないものをカタチにするという作業なので、暗中模索というか、何が正しいのかさっぱり分からない状態で動いているので効率も悪いです。フューチャーセンターをやろうと決めたのが3月22日、ゼミ合宿が3月25-26日、設立するぞ宣言をしたのが5月30日、研究室の環境整備をしたのが9月頭、実際に1回目の定期フューチャーセンターを開催したのが9月28日で、それなりに時間がかかっています。

特に3月26日から5月30日の間は、フューチャーセンターとしてのゴールイメージを検討していましたが、完璧なイメージができてから始めなければという考えにとらわれている一方で、そもそも参考になる事例がないのでイメージも描けず、検討が全然前に進まない。どうしようどうしよう、と言い合うだけでポイントをおさえられない話し合いが続くという時期がありましたが、そんなときに中村さんに「とりあえず設立宣言しちゃいなよ!細かいことはあとから考えればいいっしょ!」くらいのノリで言われたことをきっかけに、んじゃまあとりあえず始めて走りながら考えますか、という考え方にシフトして、先も分からないままに5月30日に設立宣言だけしちゃいました。今思うと、これが大きかった。ちゃんとイメージが固まるまで待っていたら、たぶん一生立ち上げられなかっただろうと思います。世の中にないものを作るときは、ざっくりとした仮説で見切り発車して、行動しながら修正するといういわゆる仮説思考は大事だなと思います。

勢いでやった設立宣言(2011/5/30)
1&2期生。設立時の記念写真(2011/5/30)

目次
(1)立ち上げたきっかけ
(2)立ち上げ前にやったこと
(3)立ち上げ初期に大変だったこと
(4)実践を通じて分かったこと  ←次はこれ
(5)場の構成要素
(6)数年後に考えたこと
(7)プロジェクトの具体例
(8)コロナ後の大学生の状況

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