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フィンランドの卵は白かった。・・・フィンランドで驚いたこと。2。


1.試験は鉛筆で。

とある試験を受けに行ったとき、私は筆記用具として、ボールペンを持って出かけました。前日に修正液を持ってきてなかったのに気が付き、慌ててスーパーの文具売り場をかけまわったのですが・・・ない??( ゚Д゚) えっ??ない??あっても、なんだか古いタイプのしかない??

かなり探し回った挙句、その古いタイプのを買いました。しかし試験は、鉛筆と消しゴムをもっていけばよかったのです。(要綱をちゃんと読んでよけばよかったという話です。)


2.スーパーで卵のパックの蓋をあけて

しろい!

と驚きました。前住んでいたところでは、褐色が普通で、白は見たことありません。最近やっと慣れてきました。ついでに、薄いハムのパックがあること、鶏肉などの細切れが存在することなどなど、日本から直でフィンランドへ来ていたならば、別に驚かないであろう所に驚いています。以前に住んでいたところには細切れは存在しないので、煮込み料理はまず肉を細かくするところから始まります。薄切りはさすがにここにもないようです。ハムは、生ハムみたいなのや、大きなサイズで、日持ちしないものしかありません。

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文化の違いって、比較論ということになるのかな。「自分の知っていた、もしくは、慣れていたことと違う」というのが、カルチャーショックと呼べるのかもしれない。それでどちらがよいか、と比べる必要はないのに、ついつい反応してしまうのは、本来は不要なことだと思います。とはいえ、体が拒否反応してしまうこともあります。比べることなく「へーほー」と感心していればいいのではないか、と思うこの頃ですが、これこそ、カルチャーギャップを受け入れる作業であり、けっこう大変なんです。

試験にはボールペン。いつか消えるペンも禁止、というのはフランスの話。フランスの大学の試験では、鉛筆は「下書き用」なのであり、いくら書けていても、点になりません。ペンで書き、修正液で直す必要があります。それに、講義でも、たいていの学生がペンで書いています。おそらく中学くらいから、ペンで書くことになっているのでしょう。子供も、小学生で、小さい手に合う万年筆を購入させられ、書く練習をしていました。

試験にはペン、と知った時にはもちろんびっくりしました。なにせ、全部、論文形式とまでいかずとも、書き連ねるものばかりですから。下書き用には色のついた紙を使います。そこへ下書きし、あとで清書する生徒が多いのですが、律義に全部書いていると、聖書の時間が不足して半端に終わることもあります。親切な先生は、注意喚起されます。私は下書きなどしていたら手が疲れてしまうので、ペンでぶっとばし、修正液使いまくり、最後の5分は乾かす時間でした。これを4年間やっていたら、試験とはつなわちペン、という世界になっていました。ついでながら、パソコンでも受けることはできましたが、その場合は先生から画面が見えるところに座りました。


前住んでいたところでは、文句をいいたいことが非常に多かったわけです。住めば都、と言いますが、無理でした。今もなお、ところ変わっても、文句を言いたいことはときどきありますが、受け流したりする、いうなれば寛容さが少し変わってきたかもしれないと思います。あるいは、寛容になりたくて来てみた、とも言えます。だって、一人で怒っていても、周りが誰も怒っていないのですから。むしろ、「なぜそのことに対して怒るのか、なぜそれが自分にひっかかるのか」を、自分自身に向き合って考え直す機会になっています。

上の例は、日本からフィンランドへ直接移住される場合には、どうという軋轢もありません。鉛筆で試験に解答を書くことも、卵が白いことも、日本でも当たり前のことですから。

家に帰って靴を脱ぐか脱がないか。これもフィンランドでは日本と同じく脱ぐのが基本なので、旅行者用のアパートでは「靴を脱ぐこと」と表示されています。フィンランド人にとっては当然のこと、冬の間の重いブーツを履いたまま中に入るなんて、無理でしょう。面倒でも、脱ぎたいのです。学校でも、ブーツを履いては入れませんから、上履きに履き替えます。ただ、日本と違うのは、学校では同じ廊下を靴で移動したり、上履きや靴下(!)で移動することです。家庭であれば、「玄関スペース」はぼんやりとあっても、フィンランドには敷居も段差はありません。(日本の木造家屋の作りのせいで、敷居があるのではないかと思っています。)そう思うと、日本の一階より高い部屋なら、段差も必要ないかも・・・いや、水道管用に、必要になるのでしょうか。

なんにせよ、慣れとはすごいことです。

そして、つい比べてしまうのも、当然のことです。

フランス人と日本人(女性)との国際結婚では、家で靴を脱ぐ脱がないで、結構話が合わない家庭もあるそうです。小さなことですが、もし主に女性が掃除しているとしたら、たしかに余分な汚れは避けたいところ。無意識に「汚い」と思うのです。

日本の外に住んで、いつも、「故郷の方がいい」と思っていることが多かったら、今いるところの生活に関して考えなおしてもよいのかもしれません。どこに住んでいても批評したいこともあるかもしれません。そんなときにはさらに掘り下げて「どうして私は比べるのだろうか」と考えるのもおもしろいかもしれません。「あ、そうか」とわかったら、割と納得してスルー出来るようになることもあるかもしれません。

私は今や、靴を履いて室内へ入っても、掃除は自分の責任です。卵が白いとか試験に鉛筆とかは、自分自身にはかかわらないので、苦にはなりません。

納得してスルーしたいけれど、室内灯がつらいこの頃です・・・












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