2-1_入院開始

2-1 入院開始 低随圧三大面倒な行動

病院への快適な移動

低髄圧発症から2週間、2019年3月1日(金)入院の日の朝を迎えた。秘密兵器のストローさんのおかげで少しは水分補給ができるようになり、頭痛も最悪の状態ではなくなったが、入院の荷物準備は相変わらずゾンビのようになりながら行った。

ここでひとつ問題がある。何を隠そう我が家は自家用車がない。仮にあったとしても夫は運転免許がない。そんなわけで日頃から公共の交通機関を利用しており、何の不便も感じなかったが、このような体調不良のときはさすがに車が恋しくなる。

入院予定の大学病院は自宅から公共の交通機関を使うと、乗り換えを含め90分程度、タクシーだと60分程度というやや遠方にある。タクシーを使うべきかと迷ったとき、またしても夫の奇跡の人脈をフル活用した。近所に、病院のキャンパス内に職場がある経済学部の先生が住んでいるのだ。ダメもとでお願いしたところなんと快諾してくださった。しかも、乗車してから知ったのだが、当日は出勤の必要がなかったうえに、普段通勤に車を使うことは滅多にないのだとか。ここにも神対応の人物がいたのである

病院到着 ストレッチャーとの出会い 

病院に到着して車を降りると、頭痛の発生をできる限り抑えるために、腰を90度曲げてよろよろと歩き、待合スペースの椅子に横になった。荷物も含め椅子を4つも占拠していたのは申し訳なかったが、背に腹は代えられぬ状況だった。

私が休んでいる間、夫が入院手続きを済ませ、病棟からストレッチャーを運んでもらうよう依頼してくれた。入院中、このストレッチャーにはお世話になることが多く、点滴ポンプと並んで私の相棒かもしれない。寝た状態で移動できるのは本当にありがたい。低髄圧症状が出ているときに車椅子での移動はむしろ拷問だ。

看護師さんからの説明

私が入院したのは「脳神経センター」という病棟の「神経内科」だ。名前だけ聞くとかなり仰々しいが、脳にも神経にも異常がないことはだいぶ恵まれているのだろうなと思った。病室は4人部屋で、既に手術が終了し、リハビリ中の年配女性2名と、同じ日に入院した30代の女性がいた。「よろしくお願いします」と声をかけはしたものの、起き上がることができないので、コミュニケーションはほぼなかった。しかし、耳は無駄にダンボなので、周りの会話から人となりを熟知している自分は暇人である。

ほどなくして、担当の看護師さんから挨拶があり、入院中に不安なことはないかなどを聞かれた。トイレと入浴が苦痛であることを伝えると、持ち運びできる簡易トイレについて説明してくれた。しかし、カーテンを引いたとて、音やにおいは防げないと思うので、「あ、たぶん大丈夫です。」と言った。頭を下げておけば何とか歩けるし、神経や筋肉に問題はないので、足取り自体は軽やかなのだ。貞子風の見た目になるのではあるが。入浴については、寝た状態のまま入れる専用ストレッチャーがあるとのことなので、少し安心した。

低髄圧時の三大めんどくさいこと

低髄圧の時は起き上がると激痛なので、わりと無気力になる。辛うじてfacebookで病状の投稿をしていたが、他に何か生産的なことをしようという意欲は全くおこらない。むしろ、今まで普通にしてきたことが、「強烈にめんどくさい」というより痛みを伴うのでしたくなくなる。

【その1 食事】

自宅療養中は1日1食がデフォルトになった。極限まで空腹を感じるまで食べない。むしろ痛みに感情の大部分を支配されているため食べたくもない。入院前の2週間で体重は3キロ落ちた。

入院すると、否応なく3食運ばれてくるので、半ばしかたなく食事をする。食べる前の準備として、看護師さんにベッドの上に防水シートを敷いてもらい、そのうえにお盆ごと食事を下ろしてもらっていた。蓋はすべて外してもらい、ドレッシング類はかけてもらった状態で食事がスタートする。うずくまるような体勢で両肘をベットにつけスプーンで掻き込むようにして何とか口に運ぶが、途中で痛みがでるので、すぐに横になることの繰り返し。それでも10分以内には食べ終わる。「味わう」という感覚はほぼない。ブドウ糖点滴してくれればいいのにとさえ思うくらい、食事は楽しくない。しかし、消化器官が通常営業なうえに、顔面神経も正常で咀嚼能力がある人に栄養補助の点滴などするわけがないのだ。

【その2 トイレ】

お見舞いに来てくれた母に「ウンコ出すのも命がけだわ」と笑いながら言ったが、あながち間違っておらず、便器に腰を下ろした際の激痛により尿意・便意なんぞ簡単に吹っ飛んでしまう。「あれ?私トイレ行きたいと思ったはずなのに、なんか出てこないぞ?」なんてことがしばしば起きる。病院のトイレは手すりがついているので、必死でそれに捕まって、どの角度が一番痛みが出ないかを試すのだが、なかなか正解にはたどりつかない。トイレは本当に鬼門だ。

トイレまでの移動も難ありだ。自宅にいたころは四つん這いでトイレまで行っていたが病院ではそういかない。頭を90度下げる例の「貞子歩き」をするのだが、家と異なるのは病院内の廊下は予期せぬ障害物(車椅子、食事用台車など)があることだ。最初は看護師さんの付き添いがあった。しかし、実はこの付き添いがかなり自分としては負担だった。ナースコールを押しても、毎回秒速で看護師さんが到着するわけではない。ベッドにいるときはいいが、用を足してトイレから病室に戻るときに、1分でも待っていることは苦痛なのでずるずると歩き始めていたらお叱りを受けた。「危ないので一人で歩かないでください」と。確かに2次被害でも起きようものなら大変である。

【その3】入浴

低髄圧を発症したのは2月半ばで寒い時期だったので、毎日入ることは最初から考えていなかった。最終的には「極限まで頭がかゆいと思ったら、渋々シャワーだけする」というレベルの怠惰な生活になった。

入院すると入浴は規則正しく、女性は火、木、土の週3回と決められていた。専用ストレッチャーにより寝た状態でシャワーできるというのはかなり有難い。看護師さんの介助のもと、ストレッチャーの上で全裸になり、シャワーの温度調節やら、シャンプーの準備やら素晴らしいサポートを受けながら、痛みを感じることなく、スッキリとできたのはかなり感動的だった。通常、ストレッチャーを利用して入浴する患者さんは麻痺があって自身では動けない人なので、台の上で手足を自由に動かせる私は介助のうちに入らないくらい楽だと聞き、看護師さんの仕事の過酷さを感じた。病棟の看護師さんは体力勝負な現場である。


このように、私の入院生活が始まった。すぐに痛みから解放されたわけではないが、半ば強制的に食事や入浴をするようになったのは良かったかもしれない。今後、様々な検査を受けながら、病名確定、治療へと進んでいく。



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