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感覚は磨くもの

今は天気が知りたかったら、お天気アプリで雨雲レーダーを見れば、情報を得ることができます。

私が子どもだった頃は、すぐに情報が知りたかったらテレビ。しかし、どこでも見ることができる訳ではありません。プロ野球が好きだった私は、ラジオを聞きながら帰っていて、おじさんみたいだと言われていました。

知りたいと思ったことをすぐに知る環境ではなかったのです。パソコンでインターネットが利用できるようになる前は、わからないことは辞書で、通信環境が整ったら、パソコンを立ち上げて、夜な夜な調べていました。

大学生になった頃には携帯電話もインターネットも当たり前にありました。ただ、山奥にある学校だったので殆ど圏外で、携帯電話は録画した番組のように、後から見るようなものでした。

何も情報を簡単に得られない時どうしていたか、周りの空気や匂い、空や風、違和感、直感、感覚で得ようとしていたのです。

あっという間にスマートフォンに頼るようになって、今は連絡手段は殆どこちらに頼っていて、感覚を使っていません。筋肉と一緒できっと、もう一度鍛える必要がありそうです。

ただトレーニングと一緒で、ずっと使い続けている感覚は研ぎ澄まされます。

子どもの頃は学校のプール、中学高校はテニスコート、夏に外にいることが殆どだった私は、天気の変化を感じられるようになりました。

感覚を使わないと命に関わるからです。
高い建物なんて全然なかった田舎では、だいたい木か学校に雷が落ちます。川が近くにあったので、風や匂いで雨をキャッチしないと、こちらも危険なのです。

また、とにかく川の流れに入らないように言われていました。浅いと思っても入るな、泳ぐなと。
本当に湧水が出ているような小さな小川しか入りませんでした。下水が当時整っていなかったから、入りたくもなかったのです。

今日は、パラパラしか雨が降らないと予報が出ていました。しかし、風は強まり、雷鳴がどんどん近づき、稲妻も見えるようになってきました。
しかしレーダーでは、あと30分後に降るとなっているのです。

培ってきた経験と直感が、予報より自分の方が合っていると確信して、洗濯物をしまって、窓も閉めました。

すると10分位で、稲妻と雷鳴が幾度もなく空に響き、窓を閉めていても風がビュービュー音がなる位吹いていました。1つ少しだけ窓を開けていた部屋は、風圧でドアが開かない位強い風でした。

私は知的好奇心が強くて(夜中にパソコン立ち上げたり、辞書引くような子どもだったので)、情報が溢れかえっている今は、絶えず得たいと思ってしまいます。そして疲弊したり、とても嫌な気持ちになったりします。

今日のことで、情報も大事だけれど、今いる場所、今の自分の感覚から得る情報が何より大切で、自分を守ることを痛感しました。

参考にするのもいいし、頼ってもいい。
ただそれがなくては困らないものにならないように。
元々持っている才能を、いつでも使える準備だけは整えていたいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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