ただ信頼するだけでいい
殆どノーミスでも、その人の前でだけはたまに失敗をしてしまう人が2人いました。
2人に共通していたのは、とにかく心配性で、人を信頼していない。全部自分でやって、目を通さないと気が済まないので、人より何倍も時間がかかります。そして、その分だけ疲れるしストレスも重なり、結果精度が落ちて、自分をミスをする。
ただ、そのことに気づいていないので、慎重な、石橋を叩き過ぎて割ってしまう生き方は直らないのです。
一方、私もミスを見つけるのが得意で、校閲のアルバイトをした時には、あまりの気づきっぷりに驚かれたこともあります。
自分では、人の欠点にばかり目がいくようで特技とは思えませんでした。
視点を変えるとミスに気づくところは、長所を見つけるところと同じだと気づくこともできるようになりました。
心配症の2人には、信頼して貰えるよう日々努力を重ねるだけでしたが、ネガティブに転じていると不審になってしまうようでした。
これは自分にも同じようなところが少なからずあります。私の場合は、自分で全部やった方が早いし正確だと思ってしまうだけで、根本は同じです。
遠い異国の地で、なかなかのピンチになっていることを知った時。全くその問題と思われることが解決するようにとも思わなかったし、解決することが良いことにも思いませんでした。
このピンチがどんなチャンスに繋がるか、想像しただけでワクワクしました。
一番大切なものはここにあるのだから、あとは力を借しても呼びかければ、もういらないという位、ないものが届くことが想像できたのです。
また、どんな状況であれ、その人がプラスの状態であれば全て相乗効果になる。
今まで、自分が何かしたり、なんとかしようとすることが愛や優しさだと思っていたけれど。
「手を、力を貸して」と呼ばれた時に、いつでも行ける準備だけはしつつも。
胃の不調に再び陥って、ふと録画していたテレビを見たら「アレルギー」について何度も語られていました。私、アレルギーのものを口にしてしまっていたようなのです。(反省!)
インスピレーションで、身体にそれが自分にとっては攻撃的でないことを教えるように言われて、実行しました。
気道が狭まったように感じていましたが、今は呼吸も楽になりました。
体質が変わってアレルギーでなくなることが良いことに思えるけれど。
一番は、今自分がかなりその食べ物に対してアレルギー反応が強くなってしまっている。その事実を受け止めて、一番簡単な身体にそれを取り入れないように気をつけることが、今自分にできること。
ちなにみ「寒い」と言葉を使わなくなっただけで、体感が変わり、飲み物、着るものも、自然とあたたまるものを選択していました。
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