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イヤイヤ練習した曲を愛せるようになったのは、成長の証。

先週末、友人のピアノ発表会へ
行ったときのエピソードについて。

都内から電車を乗りついで行った、
とある街で、小さなピアノ発表会が
あった。
何を隠そう、小学校から高校までピアノを習っていたライターあきこ。もちろん、発表会も何度か経験している。
小学生から大人まで、弾いていた曲も演奏もさまざま。
緊張と晴れがましさが混じったような出演者たちの顔をみていると、なんだか昔を思い出して胸がきゅっとなる瞬間があった。

そして、ある中学生くらいの女の子の番になった。彼女が弾いていたのは、ハチャトリアンという作曲家による『ソナチネ ハ長調』。
ソナチネというテキストに収録されている曲で、とっても聴き覚えがあった。
というか、私自身、ちょうど同じくらいのころにピアノのレッスンで弾いたことがあったのだ。
ただ、聴いたときにふっと浮かんだ感想は自分でも意外なものだった。

『これ、すごくいい曲。』

かつての私は、なんだか単調な練習曲だなぁ〜、そんなに好きじゃないなぁ、と思って弾いていた。
ここに抑揚をつけて、とかそんな事を意識するわけでもなかった。

でも、この日、この場で聴いたその曲からはいろんな物を感じ取ることができた。

曲の構成としては、明るくテンポのよい前半から、少し意味ありげな中盤へと向かい、そしてまた明るい後半がはじまりそのままクライマックスを迎える。
なんだかそれがそのまま、ピアノのレッスンそのものであり、またこの曲を練習するであろう若い少年少女を表しているような気がした。

もちろん個人の技術や目指す目標にもよるけれど、ピアノのレッスンは一曲を仕上げるのに時間がかかる。
『この曲を弾けるようになりたい』を叶えるまでには、大変なことや苦しいこともある。
頭では弾き方をわかっているのに指が言う事を聞いてくれない苛立ちとか。
練習が思うように捗らず、発表会までに間に合うのだろうかという心配だとか。

でも、試練を乗り越えていざお披露目の場を迎えたら、それだけで今までの苦労が報われるような心持ちになる。
だから、最後はいつもハッピーエンド。

もちろん、時にはハッピーエンドにならないこともあるかもしれない。
でも、まだそんな事は知らなくていい。
だって、まだ長いピアノの道の扉を開けたところなんだから。

作者がこんな思いをこめて作ったのかどうかは知らない。
(答えがいくつもあるのが芸術のいいところだから。)
でも、昔はただ退屈に思えた曲をわたしなりに解釈したら、一音一音がとても意味のあるものに思えた。
それが、わたし自身の成長だ。

つまらない曲なんかない。
そこに隠された意味を感じながら
楽しめば、一音一音が輝いてみえる。

退屈だったものを楽しめるようになったとき、ひとは成長しているのかもしれない。

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