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「ですね」を安易に使うな、という教え

「相手の話してる言葉をわざわざ言い換えないようにね」
そう言われたのは、ライターに成り立ての頃。著名なフォトグラファーの取材を終えてホッとしていたときでした。

言葉の主は、同席していた編集長。注意された! と思い、萎縮しかけた私の様子を気づかってくれたのか、彼女は一度笑顔を作ってから、続けました。

「相手の話していることの真意がつかめないとき、『それは、こういう意味ですか?』と確認することは、原稿を書くうえで大切な姿勢だと思う。でも、単なるあいづちとして、相手が話していることを言い換えたり、要約するのはよくないよ

そう言われてたしかに「私、言い換えしてるな」と自覚がありました。そのときの取材で言えば、

「撮影するとき、イメージの中にある色を表現するまでに、毎回すごく時間がかかるんです」(フォトグラファー)
「色彩にこだわっていらっしゃるんですね」(私)

のように、相手の話したことに対し、自分なりにまとめるような返しをしていたと記憶しています。

しかしそのときは「そうでしたか!」のようなシンプルなあいづちよりも、いったんかみ砕いて「~でいらっしゃるんですね」と返したほうがずっと、“ちゃんと聞いているよ”ということを相手に伝えられる方法だと思って(思い込んで)いました。なので言われたときは、そんなにマズいことかな? という疑問が先に立ち、すぐにはピンと来ませんでした。

「だって『イメージどおりの色を表現するのにすごく時間がかかる=こだわり』なのかな。厳密に考えると同じじゃないと思うけど」

たしかに、そう言われると「こだわり」と感じたのは私の主観でしかありません。本人は楽しくて夢中で、いつの間にか時間が経っている感覚だった、ってこともあるはず。それを「こだわり」と簡単にまとめてフツーの顔をしていた自分に対し、急に居心地が悪くなりました。

「向こうが『こだわりとはちょっと違うんだけどな』と思ったとき、訂正してくれればいいけど、よほどイヤな誤解じゃなければ、わざわざは言ってこないものだからね。そういう聞き手の小さなミスリードが積み重なっていくと、“言葉の質”が変わっちゃうから」

なるほど、と納得したものの、駆けだしライターの私には「言葉の質が変わる」ことが何を意味するか、あまり深く理解できていなかったと思います。でもその後「言い換え」「要約」に気をつけて取材をしてみると、すぐに変化の手ごたえを感じました。

前の会話を踏襲するなら、たとえあいづちだとしても「色彩にこだわっていらっしゃるんですね」と勝手にまとめるようなことは言わず、「それは、色彩へのこだわりからですか?」と、相手の言葉に委ねる言い方に変える

「はい、そうですね」とあっさり会話が終わることもあります。一方で「いえ、こだわりという訳ではないんですが……」のような反応が戻ってくることも少なからずあり、対話の厚みが引出しやすくなりました。

「ですね」と「ですか」は同じ3文字かつ、たったの1文字違い。その使い方にちょっと意識を向けただけで、インタビューのしやすさがぜんぜん違うな、と驚き、そして同時に、これまで雑に言葉を使っていたな、と恥ずかしくなったのを覚えています。

こちらの「こだわりなんですね」に対し、もし相手が「そうですね」と同意したとしても、相手の口から「こだわり」という単語が出ていない以上、それは他者のフィルターを通した言葉にすぎません。その後のライティングにおいて「こだわり」という表現を使うこと=聞き手の意訳です。

ときには意訳も必要ですが、できる限り本人の「生の言葉」や感覚を盛り込むほうが文章にオリジナリティが出て、より生き生きします。話し手の“言葉の質”をいかにキープできるか、も聞き手次第なんだな、とあらためて気づかせてもらいました。

もちろん「ですね=ダメ」なのではなく、「ステキですね」「興味深いですね」のように、個人の感想であることが明確な「ですね」なら、単なる合いの手として使いやすいことも付け加えたいと思います。

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流ちょうに取材を進めることだけに気を取られず、ひと言ひと言の持つ重みにちゃんと意識を向けて取材をすること。その教えは、インタビューのお仕事を10年以上続けてこられた今でも、よく思い出すことのひとつです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。皆さんからの「スキ」やサポートががとてもはげみになります!