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まずは自己紹介

こんにちは。
株式会社M&A、代表の三谷阿希です。
私は美容・妊活サロンや、化粧品・ハンドメイドアクセサリーの小売店、キッチンカー事業を手掛ける経営をしております。

今回の記事では、改めて私の自己紹介として、起業を志してからの経験と軌跡について書いていきます。


生い立ち:「自分が起業する」だなんて、考えたことも無かった26歳のOLだった

私は奈良県で生まれ、三姉妹の三女として育ちました。
末っ子だったため、両親にも姉たちにも可愛がられ、典型的な末っ子気質で育ってきたと思います。

今になって思う父からの影響

私の母は書道の先生で、父は自分で事業をしている経営者でした。
でも「父の影響で経営者を目指した」というわけでは全くなくて、
むしろ父の影響で「経営者って大変そう」というイメージを持っていた気がします。

実際に父は、私が生まれる前(=事業の立ち上げ時)は、本当に寝る間も惜しんで仕事をしていたそうですし、わたしが物心ついてからも、かなり忙しく働いていました。

そんな父の仕事に対する考えで、私が大きな影響を受けたと感じているのが「人を大事にする」という考えです。

今、私が大事にしている「人を大事にする」「義理人情を大切にする」「筋を通す」という考えは、思い返せば父の仕事に対する姿勢や考えが根底にあるのだと思います。

部活がメイン、勉強はそこそこ、な学生時代

学生時代は、かなり本気で部活に打ち込んでいました。
所属していたのはバレー部で、バレーボールを選んだ理由は、元々私の姉がバレーを真剣にやっていたのが大きかったです。

部活のコーチはかなり厳しくて、「なんでこんな練習メニュー…?」と思うこともしばしば。
でもこの頃の経験が「学ぶときは素直に受け入れて行動する」という姿勢を身に付けさせてくれました。

ちなみにバレーボール経験者ということもあり、『ハイキュー!!』は大好きな作品の1つだったりします。

一方で勉強に関しては「そこそこ頑張る」という感じで取り組んでいました。
無事に大学に入ることも出来たので、押さえるべきところは押さえるというか、要領の良い方だった気がします。笑

大学に入ってからは、保育系の学部へ進学。
幼稚園教諭と保育士資格を取得するも、「保育の道ではなく一般企業に就職しよう」と考えて、就活をしました。
そして「大手に就職できれば安泰だ」と思って、新卒で三井住友銀行に入社しました。

手厚い福利厚生、収入も悪くない、漠然と「結婚」と思っていたOL時代

新卒として、OL生活がスタートします。メガバンクは一般的なイメージの通り、福利厚生も手厚く、収入も大学の同期と比べても悪くないほうでした。
仕事も頑張っていて、定期的に資格を取得してスキルアップもしていて、自分なりに頑張って働いていたように思います。

だから当時は独立・起業なんて全く考えておらず、銀行の先輩と将来の話になっても、描いていた未来像は「彼氏(現在の夫)と結婚するんだろうなぁ」くらいのぼんやりしたものでした。

起業準備を開始:起業に向けて動き出した当初は、彼氏の応援的なスタンスだった

そんな普通のOLだった私が起業に向けて踏み出したのは、彼氏(現在の夫)がきっかけです。

「彼氏がお世話になってる人に会いに行こう」というスタンスでついて行き、仕事も家族も全て大事にされている恩師と初めてお会いする機会をいただき、「そのまま流れで頑張り始めた」のが当初のスタンスでした。
「彼氏のやる事を応援する」くらいの姿勢だったと思います。

そんな姿勢ですので、当然やる気に満ち溢れていたわけではなかったです。
ただ、そんなスタンスでも、根の素直さから「やったほうが良い」と言っていただいたことは行動に移していったことで、そつなくこなしていき、自分なりに頑張っていました。

1度目の転機:人を本気で信じることを学んだ

最初からそつなくこなしていたものの、「それなり」程度の成果で留まっていた期間が長かったです。そんな私にとって、大きな転機となったのが恩師の関わりでした。

「自分が決めた期限を先延ばしにする癖を、いい加減やめなさい。」

恩師と向かい合って本気で伝えていただき、「こんなに真剣に向き合ってくれる人なんて家族以外にいない」「家族よりも、真剣に向き合ってくれているかもしれない」と感じて、「この人の期待に応えたい」と、スイッチが入りました。

そこから数か月は、とにかく仕事に没頭した期間でした。正直、達成することだけを考えて動いていたので、どうやって達成したのかを詳細には思い出せません。笑

でも、このときの経験から、全力で仕事に取り組むことがおもしろいと実感し、結果として業務委託のお仕事で、ある程度の収入が得られるまでになっていきました。

2度目の転機:「どこを見て仕事をするのか」が大事だと学んだ

1度目の転機以降、当時の自分としてはある程度満足する結果を得ていたように思います。
そんな私に、恩師が「どこを見て仕事をするのかが大事だ」「もっと大きな目標を見て行動しなさい」と伝えてくれました。

「恩師は自分以上に私の可能性に期待してくれているんだ」と、その時に気づいたことを、今でも鮮明に覚えています。

恩師からの激励をきっかけに、それまでに達成したことのない目標を掲げて、その目標をなんとしてもやり遂げようと決めて動き始めました。

このときも毎日を無我夢中で走り抜け、掲げた目標を達成。
完全に独立して、本格的に経営者として歩き出しました。

この経験を通して「やると決めたことを達成することが、こんなにも自分の自信に繋がるんだ」と強く体感しました。
そして、自分1人で全力で走るだけでなく、仲間とともに全力で仕事に取り組み、一緒に達成していく面白さを知ったのもこの時です。

だからこそ、この目標を達成して以降は、仲間に形として見せられるモノがあった方が良いと考えて、常に背伸びをしながら事業展開してきました。

事業展開:仲間が輝ける場所を作るために多くの事業を手掛ける

梅田にセレクトショップをオープン

経営者となって最初に手掛けたのは小売店事業で、セレクトショップを2021年にオープンしました。

私の経営方針の1つとして「活躍の場を創る」というものがあります。
世の中には、「このままでいいのか」「何かを変えるべきかもしれない」と思いつつも、「これまで積み重ねてきた技術を無駄にしたくない」という葛藤を持つスペシャリストの方が多くいるように思います。

そういった方々が活躍できる場を創っていきたいと思っています。
多事業展開しているのも「こういう事業をやりたい!」っていう気持ちよりも、「こういう人が輝く場を創りたい!」という気持ちが大きいです。

そのため、最初にオープンしたセレクトショップは、仲間に見せることのできるモノとしての側面もありますが、活躍の場を創る起点として現在も活用しています。
セミオーダー・フルオーダーのハンドメイドアクセサリーの販売をしているのも、その一環です。

キッチンカー事業を開始

次に始めたのはキッチンカー事業です。
当初はカレー作りのスペシャリストである友人の活躍の場として、カレーがメインのイベント、通称「カレー会」からスタートしていきました。

カレー会は5人でスタートして、回数を重ねるごとに参加する人が増えて、
カレーイベントを始めてから約2年が経つ頃には、100名以上の方が足を運んでくださるまでになっていました。

そしてその頃にご縁があって、イオン系列の店舗イベントで、初めてカレーをキッチンカーで販売。
カレー会をスタートした5人で「いつかキッチンカーやりたいね」とずっと話をしていたので念願のキッチンカー!
初出店にも関わらず、大盛況に終わったことを今でも覚えています。

その後も、多くのスペシャリストがキッチンカーに参画していってくれたおかげで、敢えて定番ではなく色々なメニューで、新しい楽しみを提供してご好評いただいています。

私だから出来る事業:自身の妊活とよもぎ蒸し・妊活サロン

キッチンカー事業を始めるくらいまでは、「仕事も家族も、全部を大事にする人生にするんだ」という思いを胸に経営の道を進んできたものの、なんとなく「今は仕事を優先するほうが良い」と思って仕事に打ち込んできました。

正直、「妊活を始めれば、子どももすぐに出来るだろう」と思い込んでいたのも一因だと思います。

事業が軌道に乗ってきて、改めて女性として・家族としての幸せを考え、夫と相談して、子どもを作ろうと決めました。
しかし想像とは違い、すぐには授かることが出来ませんでした。

クリニックに通えばすぐに妊娠するだろうと思って通い始めるも、妊活の現実を知ることに。

幸いにも、金銭的にも時間的にもゆとりが出来ていたので、私達夫婦は仕事の傍ら不妊治療に取り組むことも出来て、無事に子どもを授かるに至りました。

この容易ではなかった妊活経験の中で、自然妊娠を望んでいる人や金銭的に悩んでいる人がたくさんいることを知り、そういった人達に何か自分に出来ることはないか?という思いが次第に膨らんでいきました。
私自身が妊活を経験したからこそ、「これは私にしかできない!」とも思ったのです。

そこで私は、「クリニック以外にも妊活に良いものはないか?」と調べ、体験していた中でも身体の変化を実感した「よもぎ蒸し」を提供することを決めました。

幸い私の仲間には、看護師や理学療法士、助産師などの医療のプロフェッショナルがいるので、その仲間の力も借りてよもぎ蒸しサロンを2022年にオープン。

キャリアも出産・子育ても全部取りしたい、色んな選択をする全ての女性を応援する美容・妊活サロンとして、身体を整えることができ、豊富な経験や知識を持つ医療従事者が常駐しており、医療に精通したスペシャリスト達の輝ける場所という側面も。

スペシャリスト達の助力もあり、オープン以来多くのお客様にご好評いただいています。

今後の展望:仲間の輝ける場所を創り続けながら、事業を拡大

更に多くの方が輝ける場を創っていく

私はこれまで、周りにいる仲間が「活躍できる場を創る」という想いを、ビジネスを通して形にしてきましたし、これからもこの気持ちは変わりません。

ただ、もっと幅広く、色々な方が輝く応援が出来るのではないかと、妊活サロンのサービス提供を通じて感じています。

妊活のように時間・お金をかけなければならない分野で、リーズナブルで高品質なサービスを提供できれば、直接的な仲間以外の多くの方の人生の背中押しが出来ると思います。

だからこそ今後は妊活サロンも含めた各種事業を拡大して、国内・国外問わず多くの人たちが活躍する場を創り、社会全体の背中を押していくことに仲間とともに全力で取り組んでいきます。

全力でチャレンジする人生を歩んで、走っていく

起業に向けて踏み出してから今までを振り返ってみて、「簡単な道のりだった」とは思わないです。
ただ、「誰にでも出来る可能性があること」でもあったと思ってます。

だからこそ、これからも仲間にもお客様にも輝ける場所・きっかけを提供していき、全力で挑戦し仕事をする人生を走っていきます。

これからも末永くよろしくお願いします。

三谷阿希

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