連載小説『エフェメラル』#12
第12話 さよなら青い星
学校から寺院の駐車場にとめられた軍用車両に戻ったエマとラジャンは、車両の通信機から着信音が鳴っていることに気がつく。エマが車両に乗りこみ、通信機の通話ボタンを押す。
「エマだ」
『あ、やっと繋がった。船にも連絡したのに、あなたたち一体どこに行ってたの!』
通信機越しにもジルの焦りが伝わってくる。
「あたしとラジャンはさっきまで学校に行ってた」
『どうして学校? まあそれはいいや。ユーヒちゃんはどこにいる?』
「ユーヒたちならレニーとリンと一緒に大司教とやらに会いに行ったぞ」
『エマ、ユーヒちゃんたちと早く合流して。手遅れになる前に』
「ちょっと待て。手遅れってなんだよ?」
『この計画の目的は、ユーヒちゃんの体を使ってラウラ様を復活させること』
ジルは調査結果とミジュ・マイルスから知らされた事実を全てエマに伝えた。
『このままではユーヒちゃんは消滅してしまう。それをどうにかしたい』
ジルの想いはエマも理解できたが、具体の方法が思いつかない。
「計画をやめさせることはできないのか?」
『それができれば一番いい。でもこれはミジュ様が直々に指揮している計画。私たちではどうしようもない』
「じゃあ黙って見てろっていうのか!」
ジルは沈黙で応える。
「とにかく、あたしはあいつらのところに行って計画を中止するように言う。駄目なら実力行使だ」
『エマ、無理はしないで。それにラウラ様のデータ転送が必ず成功する訳ではない。だからこそ、見届け人としてリンが同行した。ラウラ様が復活したかどうかを判断するのがリンの役目。ユーヒちゃんが助かる可能性としては、データ転送が失敗した後、リンを説得してユーヒちゃんの抹消をやめさせる。これしかないと思う』
「人の命がかかっているんだ。運に頼ってもいられない。まずは計画を中止させる。時間がない。もう行くぞ」
通信を切ったエマは軍用車両に配備されていたライフルを持ち出し、ラジャンと寺院に駆け込んだ。
「ラジャン、カルラが言っていた重要施設の場所がわかるか?」
ラジャンは走りながら答える。
「たぶん地下だ。昔、親父がそんなことを言っていた気がする。寺院に知り合いがいるから、その人に教えてもらった方がいい。おれが上手く言えば施設の入り口の鍵も手に入るかもしれない」
二人は寺院の一画にあるパダムの仕事場へ向かった。
◆
ラウラと対面したユーヒは、ラウラに向かって歩みより、二人を隔てている強化ガラスに手を当てる。
「これが、ラウラ様……」
ユーヒの目に映るのは、鏡で見ているよりも少し大人びた自分の姿。もし母親がいたのならば、きっとこんな感じだったのかもしれない、とユーヒは思う。
「ここが目的地なんですね」
レニーがパダムに向けて言う。
「はい。ここでユーヒ様はラウラ様として転生していただきます」
パダムはラウラを見つめるユーヒに話しかける。
「ユーヒ様、よろしいでしょうか。いえ、そういう言い方は適切ではありませんね。これは定められたことなのです。どうか、受け入れていただきたい」
ユーヒはゆっくりと振り返る。
「私はこのときのために生まれて来たってことなんだよね。そうか。私にはちゃんと役割があったんだ。悩むことなんてなかったんだ。リン、私には価値があったんだね」
リンがユーヒに近づきひざまずいた。
「自分はあなたをこの場所に連れてくるために旅をともにしてきました。ミジュ様の悲願を達成するため。あなたはラウラ様として生まれ変わります。そうなった後でも自分はあなたを守り続けます」
視線を床に向けたままリンは言った。ユーヒは何かを言おうと口を開けたが、言葉を発せずに口を閉じ、小さく頷いた。
リンは立ち上がり、パダムと視線を交わす。パダムは「こちらへ」と言ってユーヒを部屋の奥に誘う。パダムの後をユーヒは歩く。その後にリンが続く。部屋の突き当りにある直径が3メートルほどある球形の装置。それはユーヒがラジャンに襲われたときに入っていた装置と同じものだった。パダムはその隣にある機器に触れ、装置の扉を開けた。
「こちらへどうぞ」
ユーヒがその中へ入ろうとしたそのとき、部屋の入口の扉がバンッと大きな音を立てて開いた。ユーヒが振り返ると、そこにエマとラジャンがいた。
「ちょっと待て!」
エマの言葉に、部屋にいた全員がエマの顔を見る。
「この計画を今すぐ中止するんだ」
エマはそう言うと、肩にかけていたライフルをリンに向けて構える。
「エマさん、銃を下げてください」
レニーが落ち着いた声でエマを諭すが、エマはレニーの言葉を無視して照準をリンに合わせ引き金に指をかける。
「ミジュの計画だろうとなんだろうとあたしには関係ない。ユーヒを今すぐ宇宙に連れて帰る」
エマからリンまでの距離は20メートルほどだ。エマのライフルは強化型の人工身体も貫く、マイルス軍特注のものだった。
「リン、ユーヒをこっちに引き渡すんだ。言うことを聞かないと撃つ。脅しじゃない」
リンは半身に構えてエマを見る。
「計画は中止しない。ユーヒはラウラ様に生まれ変わる」
リンがそう言った瞬間、エマは迷わず引き金を引いた。ドウッと重い発射音が部屋に響き、リンの体が後方に飛ばされ、床に倒れこんだ。
「リン!」
声を上げたユーヒがリンに駆け寄ろうとしたとき、リンが眠りから覚めるようなゆらりとした動きで立ち上がった。
「化け物か!」
エマが再び照準を合わせようと銃を構えるが、リンはおよそ人の動きとは思えない獣のようなスピードでエマとの距離を詰めて手刀を繰り出した。あまりの速度にエマは反応できない。エマは覚悟を決めて目を閉じた。しかし、数秒経ってもエマの体には何の衝撃もなかった。目を開けると、エマの前には巨大な影がある。レニーがリンとエマの間に入っていた。リンの手刀はレニーの二の腕に突き刺さっているが、人工身体に換装していたレニーの腕から血は出ない。
「ここまでです。エマさん、銃を渡してください。リンも引きなさい」
リンはユーヒの元に戻り、エマはライフルをレニーに手渡す。レニーはリンの顔を見て質問する。
「リン、あの銃撃を受けても無事なのはなぜだ?」
リンの代わりにエマが答える。
「あいつは完全な人工生命体だ。その全てが人工物で構成されている。身体も、精神も。グルーム社の最高傑作だそうだ」
「そうですか。ゲンソウ様もリンは特別だと仰っていた。それはリンの才能のことを言っているのだと思っていましたが、存在そのものが特別だったということですか……」
レニーはリンの攻撃で動かなくなった右手を見ながら言った。エマは続ける。
「しかもただの機械人形ではなく、人格、感情をもった生命体らしい」
ユーヒは傍らにいるリンの体を足元から頭の先まで見た。胸に受けた銃撃は、制服の破損でその痕跡が確認できるが、破れた胸元に見える肌には薄っすら汚れが付いているだけで、傷は確認できない。
エマはレニーの前に出てリンに問いかける。
「これまで一緒に旅してきたユーヒをお前は消そうとしているんだ。何も感じねえか? リン、お前には感情があるんだろ? 痛みを感じるだろ?」
リンはエマに背を向けたまま沈黙する。
「ユーヒがケガをして治療をしている間、お前は宇宙に祈りを捧げていた。あれは形だけだったのか?」
「……なければ良かったんだ」
リンの小さな声が聞こえた。
「リン、何て言った?」
「感情なんてなければ良かったんだ! 感情さえなければ、こんなに辛い思いをしなくて済んだ!」
リンの叫びが部屋に響き渡った。その叫び声は部屋にいた全員の心に届いた。
「おれだってユーヒを失いたくない。おれが守ってきたのはユーヒで、これからも守るって約束した。話を聞いてあげるって言った。最後まで聞いてあげるって……」
リンの声は震えていた。涙は流れていなかったが、その表情は歪み、悔しさが滲み出ていた。
「だったらこんな計画、やめちまえよ。ユーヒを最後まで守ってやれよ」
エマは自分の子を諭すような優しい口調で言った。リンは首を振る。
「ミジュ様はおれの全てを知ったうえで親衛隊に入れてくれた。ゲンソウという素晴らしい人間を指導役として任命してくれた。そしておれを信頼してこの計画の全てを打ち明け、ラウラ様復活を見届けるように言ってくれた。今のおれがいるのは、ミジュ様のおかげだ。ミジュ様を裏切ることはできない」
「じゃあユーヒがいなくなってもいいのか? それがお前の答えか?」
エマがリンを問い詰める。
「もうやめて」
ユーヒが二人の会話を遮る。
「リン、エマ。もういいよ。覚悟はできているから。パダムさん、最後にみんなとお話させてもらってもいい?」
パダムが頷くと、ユーヒはエマ向かって進んでいく。エマがユーヒに駆け寄り、その小さな体を包み込む。
「お前を故郷に連れて帰りたかった。こんなことになるんだったら、お前のこと最初から船に乗せるんじゃかなったよ」
「ううん、そんなことない。私はエマの船に乗って良かったと思ってる。エマたちに出会えて、いろんな経験ができた。私が生まれてきたことに意味があって、私のことを本気で心配してくれる人たちがいるんだって分かって嬉しかった。だから、ありがとう」
「そんなこと言うなよ。まるでお別れみたいじゃないか。ラウラの復活が失敗する可能性だってある。だから、あたしは諦めてないからな」
エマはユーヒを強く抱きしめる。ユーヒの頭に温かいものが流れ落ちる。
「じゃあ、行くね。ラジャン、レニーさんも、短い間だったけど楽しかったよ。ありがとう」
ラジャンとレニーは手を上げて応える。二人に言葉はなかった。
ユーヒは再びリンの元へ戻る。
「リン、今まで守ってくれてありがとう。あ、これ渡しておくね」
ユーヒは首にかけていたネックレスを外してリンに手渡す。そこには、リンが誕生日記念としてプレゼントした人工のブルーガーネットが留められていた。
その様子を眺めていたエマは、それをフォボスで買ったときのことを思い出していた。リンは真剣に悩んだ末にその石を選んだのだ。
ネックレスを手渡されたリンがユーヒと会話を交わしているが、エマの位置からは会話の内容までは聞き取れなかった。
リンとの会話を終えたユーヒが球形の装置に入っていく。パダムが入り口で一言声をかけてから装置の扉を閉めた。
「では、ユーヒ様にラウラ様のデータを移行します」
パダムはそう言って装置を起動させる。グオンというあまり心地よいとは言えない音と振動が部屋に響く。
ユーヒは以前にこの装置に入ったときと同じような感覚に落ちた。目の前にピンク色の靄がかかり、少しずつ視界が光に満たされていく。白い光が青色に変化して、目の前に青空と雲を見た。前に入ったときは分からなかったが、今はその光景が地球であることをはっきりと認識できた。草原に立つユーヒに遠くから人影が近づく。遥か遠く、豆粒ほどの大きさだったが、ユーヒにはそれがラウラであることが分かる。時間の感覚はない。気がつけばラウラがユーヒの目の前にいた。
「やっと会えましたね」
ラウラは穏やかに話しかける。
「はい。以前ここに来たときは、あなたのことをこんなにはっきりと見えてなかった」
「情報量の違いです。ここには、私の情報の全てがあります。ミジュが宇宙に持っていけたのは、そのごく一部ですから」
仮想空間での会話であることをユーヒは理解していた。しかし、目の前に見えるラウラは実体だ。少なくとも、ユーヒはそう感じていた。ラウラは言う。
「でも、あなたたちの住む世界では、これを実体とは言わないでしょう。肉体があってこその実体。あなたも見たとおり、私の肉体はもはや機能していません。あなたの肉体のようには動かない」
ユーヒは頷く。
「ラウラ様。あなたを待っている人がいます。会いにいってください」
「あなたはそれでいいんですか?」
「はい。私はあなたの体をお借りした偽物にすぎません」
「そうなのでしょうか? これまで生きてきたあなたの人生自体も偽りであったと?」
「いえ。短い人生でしたが、そこで出会った人々との交流、そこで生じた感情は本物であったと思っています。それでもやはり、私の存在は偽物です。ラウラ様。あなたに体をお返しします」
「そうですか。あなたの覚悟は分かりました。そうであれば、あなたは偽物としての責務と果たすのです」
「偽物としての……」
「はい。私たちは、これから一つになるのですから」
ラウラは両手をユーヒに差し出した。ユーヒも両手を出し、ラウラの手に重ねる。
青空が少しずつ色褪せ、再び眩い光に包まれる。意識が混濁し、光は一瞬にして闇へと反転した。
ユーヒが装置に入ってから1時間ほど経過したところでアラームが鳴り、パダムが作業の終了を告げる。装置の扉が開いた。中からゆっくりとした足取りでユーヒが姿を現す。足元はおぼつかなく、青い瞳はボウっと空を見ている。リンが近づき、ユーヒの前にひざまずいて言う。
「ラウラ様。復活おめでとうございます」
「あなたは?」
「ミジュ・マイルス様から命を受けて参りましたリンと申します。私が責任を持ってあなたをミジュ様の元までお連れいたします」
「そうですか。分かりました。よろしくお願いしますよ、リン」
二人の会話を聞いたエマは全身の力が抜け、両膝を床についた。ラジャンがエマの隣に腰を下ろし、肩に手を当てる。レニーはパダムに話しかける。
「儀式は無事成功ということですか?」
「はい。ラウラ様は復活されました。マイルス商会、いえ、人類の悲願であった死者の蘇生が実現したのです。相応の犠牲の上に、ですが。そしてこの施設も、施設を管理する我々の役目も終了です」
復活したラウラは部屋の壁の奥に浮かんでいる自分の体を眺めていた。
「私たちはひとつになった」
ラウラは独り言のように呟く。リンが近づき、ユーヒから渡されたネックレスをラウラに差し出す。
「ラウラ様。これを」
ラウラはネックレス手に取り、留められたブルーガーネットを光にかざして見る。
「お守りです。よろしければ、お受け取り下さい」
「そうですか。ありがとう」
ラウラはネックレスをつけ、胸元にあるブルーガーネットに右手を添えた。
「では、大司教に元に参りましょう。月のマイルス商会には私からお知らせしておきます」
パダムを先頭に、エマ、ラジャン、レニーの順に部屋を出て階段を上る。最後に部屋を出るリンとラウラ。最後にラウラはもう一度、抜け殻となった自身の体を見つめる。数百年間、再生体の起源として維持されてきたその体は、ようやくその役目終えた。リンとラウラは一礼をして部屋を後にした。
☆
大司教への報告の前に、ラウラはラーニの伝統衣装に着替えた。足元まで隠れるワンピース状の白い服の上に、臙脂色の羽織を纏ったその姿は、その亜麻色の髪と相まって、旧き地球時代の王族のような雰囲気を醸し出している。
大司教はラウラに休息も兼ねてラーニにもう一泊するように言ったが、ラウラは「時間がない」という理由ですぐに月に戻る決断をした。
ラーニを離れる前に、ラジャンはエマを自宅に招いた。自宅では、学校から帰ったアスミ、アスミの母親がエマを迎えた。
「じゃあ、アスミちゃん、ラジャンと仲良くな」
「うん。エマさんも、息子さんにちゃんと会いに行ってね」
「ああ、もちろんだ。そのために宇宙に帰るんだからな」
そう言ってエマは笑うが、その顔には翳りが見える。
「エマ。あまり気に病むなよ。運命は変えられない。それだけの話だ」
「わかってる。どうしようもないことっていうのは、ままあることだ。お前こそ今度は間違っても宇宙になんか出てくるな。ここで家族と穏やかに暮らすんだ。じゃあな」
ラジャンとアスミを抱きながらエマは別れの言葉を言う。玄関先でラジャンたちに見送られ、寺院の駐車場に戻る。
リンの運転でラーニの空港に戻った一行は、エマの船に乗り込むとすぐに出発し、その日の夕方には軌道エレベーターの地球駅に到着した。
復活したラウラは極力会話を避けているようで、必要最低限の言葉しか発していない。寺院の地下で叫び声まで上げたリンもまた、従前のような無口なリンに戻っていた。
軌道エレベーターの出発を待つ間、エマは船のリビングでジャズ専門のラジオを聴いていた。ラウラとリンはそれぞれの寝室に入ったきり出てこない。
「結局あたしたちはミジュ・マイルスの手の平で踊らされていただけだったんだな。レニー、お前はずっとミジュの下で働き続ける気か?」
特に聞きたい話でもなかったが、話す相手がいないエマはレニーに話を振った。
「それで食べてますから。転職と言っても、軍医を雇ってくれる会社でマイルス商会よりも条件の良い職場なんて見つからないでしょう」
「そうかもしれないな」
「エマさんはこれからもトラック運転手を続けるんですか?」
「そりゃそうだ。性に合ってる。ただ、もうヒッチハイクで人を乗せることはしない。二度とな」
トラック運転手を続けるとは言ったものの、もし息子のルカと一緒に住むことになったら、あまり長い航路の仕事で家を空ける訳にもいかないとエマは思う。しかしそれもルカがエマと一緒に住むことを了解してくれてからの話だった。月に戻ったら、ますはルカのいる施設に行く。エマはそう決めていた。
――まもなく出発いたします。
アナウンスがあり、軌道エレベーターは宇宙に向けて出発した。
エレベーターの外部モニターから地球の様子が映し出された。地上近くでは緑が多かったモニター画面も、次第に青に染まっていく。
「さよなら青い星。もう二度と来ねえからな」
エマはそう吐き捨ててソファーに横になりふて寝をした。
〇
軌道エレベーターの宇宙駅から出航したエマの船は、タイミング良く近くまで寄っていた月に数時間で到着した。月の港にはマイルス商会の大きな送迎車がラウラを迎えに来ていた。
「エマさんは本社まで行かないんですか?」
船を降りたレニーがエマに聞く。
「ユーヒがいなくなった今、あたしはもう関係者でもなんでもない。ここでお別れだ」
「わかりました。エマさん、いろいろお世話になりました。お元気で」
レニーが深くお辞儀をする。レニーの陰にいたラウラとリンがエマに近づく。
「エマさん。私、いや、ユーヒさんと一緒に旅をしていただきありがとうございました。私からも感謝申しあげます」
ラウラが頭を下げる。
「いや、あんたにお礼を言われる筋合いはねえ。ユーヒがあんたの復活を望んだんだ。あたしはそれを手伝っただけ。ミジュによろしく言っておいてくれ。もう二度とあたしに仕事の依頼をしてくるなとな!」
エマは踵を返して港から街に向かって歩き出す。それを追い越してリンがエマの正面に立つ。
「なんだよリン。あたしに撃たれたこと根に持ってんのか?」
「違う。あなたは優しい人だ。ユーヒを大切にしてくれたし、不愛想なおれに対してもフラットに接してくれた。だから、ありがとう。それを言いたかった」
エマは自分の赤い髪をぐしゃぐしゃとかきながら答える。
「リン、お前だって優しいやつだ。ユーヒの事を本当に想っていた。それは伝わったよ。これからはラウラを守ってやるんだ。お前は最高傑作らしいから。感情に振り回されることもあるだろうけど、せいぜいがんばれよ。じゃあな」
エマは右手を上げて歩き出す。リンはエマが見えなくなるまで頭を下げ続けた。
エマの旅は終わった。次は、自分自身と向き合う番だった。月の街に出たエマは、息子のルカに会うため、地下層へ行く高速エレベーターの駅に向かった。
●
マイルス商会総帥であるミジュ・マイルスは、マイルス商会の専属医師であるジルに見守られ、自室のベッドに横たわっていた。体には多くのチューブが取り付けられ、ジルは医療用の端末に表示される数値に神経を集中していた。ジルの携帯にレニーからの連絡が入る。
『あと5分ほどでラウラ様が到着する』
「わかった。とにかく早く来て」
通話を終えたジルはミジュに話しかける。
「お聞きのとおりです。間もなくラウラ様がいらっしゃいます」
ミジュは力なく頷く。
再生手術を繰り返して生きながらえてきたミジュの体は、外部からの補助なしではその機能を維持することが困難な状態だった。生物のDNAに組み込まれた死に向かうプログラムは、再生体であろうとも避けようがなかった。
ジルは焦っていた。ユーヒがその存在を賭けてまで復活させたラウラをミジュに会わせられなければ、ユーヒの想いに報いることができない。レニーの連絡からの数分が、ジルには永遠に思えるほど長く感じた。
ミジュの部屋の扉が開く。ゲンソウを先頭に、レニーが入り、その後ろからリンとラウラが続く。ミジュのベッドの手前でゲンソウとレニーがラウラに道を開け、リンもレニーの隣に並んだ。ラウラがミジュの枕元に立つ。
人の気配に気が付いたミジュが、ゆっくりと顔をラウラに向ける。
「ラウラ?」
ミジュは乾いた声を発し、ラウラに向けてか細い腕を動かす。
「ミジュ。やっと会えたね」
ラウラはミジュの手を取り、顔をミジュに近づけた。ラウラを確認したミジュの目に、ほんの少しだけ光が戻る。
「また一緒にお茶をするって約束したのに、先に行っちゃうなんてひどいよ、ラウラ」
「ごめんなさい。約束を破るつもりなんてなかった」
「だから私はあなたを蘇らせることにしたの。これは復讐よ」
ミジュは悪戯な笑みを浮かべる。ラウラはそれに合わせて微笑んだ後、真剣な表情に戻る。
「復讐なんかじゃない。あなたは私に約束を守らせてくれようとした」
「あなたのためだなんて思っていなかった。私はただ、あなたにもう一度会いたかっただけ。400年以上かけて自分の欲望を叶えたんだよ」
端末に表示された数値が急激に下がりだした。部屋にアラーム音が鳴り響く。
「私はおばあちゃんになっちゃったけど、あなたはあの頃のままね」
「ミジュ、あなただってあの頃のままよ。純粋で、友達想いのあなたのまま」
ラウラの手を握るミジュの手に、力はほとんど残っていない。
「戻ってきてくれてありがとう。今度は私が先に行くから。また会いましょう……」
「うん。待ってて。必ず行くから」
ミジュの目から光が失われた。
ジルの手元にある端末も、ミジュの身体機能停止を示した。
つづく(次回、最終話)