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弁理士が知財管理システムを作る話

弁理士の大倉昭人です。2007年に弁理士になり、2014年に知財管理システムの会社を作りました。弁理士が、システム開発に至るまでのお話です。


知財業界に入る前

東京大学/大学院でロボット工学を学び、2002年入社のNTTドコモではネットワーク技術の研究をしていました。学生社会人とIT好きな人に囲まれ、自分自身もプログラミングが好きでした。研究やプログラミングでは自分より優秀な人がたくさんいるので、知財スキルを身につけようと弁理士の資格を取得しました。そして、2007年特許事務所に転職しました。

最初の知財アプリ

特許事務所で最初の仕事は外内(がいない)です。外内とは、外国から日本に入ってくる出願のことで、たとえばアメリカの企業がアメリカの特許庁に出願したものを、日本の特許庁に出願して権利化する仕事です。

外内の場合、一般的に外国特許庁の審査が早く進みます。そのため、日本の特許庁から拒絶理由(ダメ出し)を受けた場合、外国特許庁での反論を日本の特許庁への反論として使えたりします。

外国の審査状況をぱっと知りたいなと思っていたところ、欧州特許庁がAPIを公開していることを知りました。審査状況を一覧するアプリを作り、自分用に使っていました。

事務所システムの立ち上げ

入所1年ほどで、大手国内クライアントの窓口(責任弁理士)になることに。初めての窓口を任される嬉しさと、経験不足からくる不安な気持ちがあります。しっかり準備しようと過去の出願データを調べたいところですが、当時の所内システムは事務の方に作業をお願いする必要があり、見たい情報をすぐに見ることができません。

入所して1ヶ月で事務所のHPを作り替えたこともあり(ちょっとレトロすぎたので)、このとき既に「システムに詳しい人」としてシステム管理全般を任されていました。

そこで、2008年の終わりに、所内システムから出したCSVをブラウザで表示するシステムを作りました。検索機能もつけて、知財担当者や発明者の名前から過去のデータを簡単に調べられます。ついでに、週に一度紙で配られていた期限リストもシステム上で表示して、別管理だった包袋ファイル(案件の電子ファイル)もアクセスできるようにしました。所内のデータを統合して見える化したこのシステムは、すぐに当時150名ほどの事務所全体で使われるようになりました。

転機

しばらく弁理士業をメインとして頑張り、クライアントの重要案件で米国特許庁の審査官面接や、スイス国際仲裁といった貴重な経験を積みました(どちらも無事に登録/勝訴)。2024年時点で特許庁(J-PlatPat)で私の特許代理件数は2500件ほどです。弁理士の仕事は面白く、夢中でこなしていました。

システム開発も趣味で続けていたところ、2013年にある企業からシステム開発の依頼を受けました。顧客企業と複数の特許事務所との間でデータ交換するボリュームのあるシステムです。ありがたいお話なので、仕事を受けることに。このシステムは無事に完成し、2019年の切り替えまでトラブルなく運用を完遂しました。

企業システムを開発する中で、自分で新しい知財管理システムを作る意欲がわきます。

当時はネイティブアプリとWebアプリの過渡期です。ネイティブアプリとは、Windowsなど専用OS上で動作するアプリのことです。導入にインストール作業がいるものの、高機能化しやすく当時はまだまだ主流です。Webアプリは、今でいうクラウドサービスです。ブラウザ上で動作するため導入はシンプルですが、まだ機能的にネイティブアプリに及ばないという位置付けです。

私の考えは、クラウド技術の進化は確実で、新規に作るならクラウドサービス一択です。当時の市販システムはネイティブアプリばかりで、クラウドに移植するのは大変そうです。また、専用サーバを必要とする重厚長大なものもあり、メンテナンスやセキュリティ対応を考えると、将来的な拡張が難しいのではないかと。

そのため、一人でクラウドサービスとして作れば、コスト・機能・メンテナンス性・セキュリティ・発展性で勝負できるかなと思い、2014年root ipを創業しました。

製品リリースまで

2017年に製品をリリースするまでは、弁理士として働いた後、事務所近くに借りた小さいオフィスで作業に没頭しました。メインの仕事が徐々に弁理士業から開発業にシフトしていきます。リリースまでの3年間、苦しい時期もありましたが、弁理士としての経験が支えになりました。所属事務所の理解もあり「もしシステムがダメでも弁理士としてまたやり直せば良い」と思うことができました。そしてなんとか、製品のリリースにたどりつきました。

最初のオフィス

製品リリース後

口コミ中心に顧客が広がり、少しずつクライアントが増えていきました。展示会も毎年出展していると認知度が徐々に増えてきます。最初の出展はまだみせる製品もない2015年。この初出展のとき来てくれた方が、数年後、製品リリース後のブースに来て「なんか広くなりましたね」と言ってくれたときは、嬉しい気持ちになりました。

2015年展示会初出展のブース

この記事を書いている時点(2024年2月)で、root ipのクライアント数は230社ほど。一人で始めた会社も、今ではチームで対応できる体制になりました。成長を重ねて知財業界全体の効率化を進めたいという気持ちと、成長に比例して増加する社会的責任を果たさなくてはという気持ちで、日々業務に取り組んでいます。

最初の展示会の看板をみんなで

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